桓温は346年に蜀にある成漢を攻撃。 翌347年には蜀から漢中までを制圧するという大殊勲を挙げる。 ●成漢 実は成国と漢国である。 ●成国の崩壊と、漢国の建国 ●漢を名乗るこの蜀の国は、東晋と完全に相入れなくなった。 当時成漢は混乱をしていた。 ●成漢 実…
東晋における北伐派と反北伐派について。 ●東晋において何故北伐派、反北伐派という視点がないのか。 ●中華王朝たる東晋にとって北伐は当然 ●事実上の皇帝代理司馬昱 ●司馬昱と桓温が活躍する時期はほぼ同じ。 ●桓温と司馬昱は北伐派。 東晋には実は北伐派と…
建国以来30年近く停滞している東晋。 この鬱屈とした東晋に 光明をもたらしたのが桓温である。 ●桓温が西府軍を預けられた理由 ●桓温、345年荊州に出鎮。西府軍の掌握。 ●345年の東晋の対外情勢 ●成漢 実は成国と漢国である。 ●桓温の成漢討伐 〈桓温の電撃…
●秦の献公に始まる7代かけた天下取り。 ●秦の献公以後は事実上の新王朝 ●戦国時代の主導権を秦が握るまでの経緯概観 ①秦の献公年表 ②秦の孝公年表 ③秦の恵文王年表 ④秦の武王年表 ⑤秦の昭襄王年表 ⑥秦の荘襄王年表 ⑦秦王政年表 戦国時代は、 魏の時代が最初…
戦国時代、魏の次は斉の時代、 である。 ●魏の次は斉の時代である。 ●田乞 田氏の国取り ●田恒(田恒) 姜斉を牛耳る。 ●田和=斉太公、田斉の建国。 ●田剡・田午兄弟争乱。田午が勝ち、斉桓公となる。 ●斉威王(威宣王)の登場 〈覇権国魏を失墜させる。〉 …
●戦国時代をスタートさせる象徴的な事件、三晋独立。 ●戦国時代、初めに覇を唱えるのは魏文侯 ●名君魏の文侯の長い治世が魏を隆盛に導く。 ●魏文侯の行政改革 〈魏の法整備の背景〉 ●魏が法の整備で中央集権制国家のさきがけとなる。 〈法整備の先駆けは鄭子…
(年号は平勢隆郎氏の説による。 私は平勢氏の考えの方が、 歴史の流れとして理解ができるので、 これを支持する。カッコ内の年号は通説である。 通説も諸説あるが最もメジャーなものと 思われるものにした。) ●戦国時代の三つの時代区分: ●戦国時代 最初…
春秋時代と戦国時代の境目がいつか。 この結論は、 私は晋の趙氏に内紛が起き、 そこにほかの晋の六卿が介入した前497年、 これが境目だと考えている。 ●春秋時代と戦国時代の境目。通説は晋の視点。 〈前451年(前453年)〉 〈前401年(前403年)〉 〈前386…
●とにかく幼帝を嫌がった庾冰・庾翼: 〈康帝の危篤〉 ●庾冰・庾翼ら庾氏の悲願、北伐。 〈血統を変えてでも成年皇帝にこだわった庾冰・庾翼〉 ●作られたヒーロー、桓温が更に躍進する。 ●桓温を何充が重責に充てる。 ●何充、潁川庾氏と瑯琊王氏の両氏と姻戚…
●庾亮の悲願東晋北伐を343年に実現する庾翼とは。 ●343年北伐の実行。 ・遼東の慕容皝、涼州の張駿と連携。 ●康帝の崩御、2歳の幼帝穆帝即位。 ●司馬昱を後継にしようとする無茶。 ●巴の獲得と、庾冰・庾翼の死。 東晋が国家単位で北伐を初めて実施したのが…
岳飛を超える桓温。 これが、 桓温の実態、その結論である。 南宋の英雄、岳飛を超える実績を持つ桓温、 虚構に満ちた西晋・東晋の歴史をなぞることで、 この結論を明確にしたい。 ●嘘だらけの西晋・東晋史 〈恵帝毒殺犯の嘘〉 〈司馬越、石勒討伐の嘘〉 〈…
刊溝。 これは運河である。 ●刊溝はどこにあるか。 ●刊溝はいつ作られたか。 ●刊溝を作った呉王夫差の目的 ●越王勾践も邗溝を活用する。 ●呉楚七国の乱で前漢の呉王劉濞が邗溝を活用。 ●後漢末から三国時代の刊溝 孫権も使う。 ●西晋時代の刊溝は平和利用。 …
●庾亮は北伐を実行して名誉挽回を図りたい。 ●北伐をしたい庾亮、石勒死後の絶好のチャンスを逃す。 ●庾亮いよいよ北伐かという時に石虎に叩かれる。 北伐を敢行した祖逖が失意のうちに死去。 その後東晋は王敦の乱、蘇峻の乱と内乱が続く。 いずれも、軍功…
パッとしない東晋の歴史。 その中で唯一輝かしさをもたらすのが、 桓温、そして北伐である。 しかし、東晋の北伐は桓温に至るまでにも実はある。 これは東晋の歴史がパッとしないことにも繋がるのだが、 後世力を持った者たちがこういった 事績を隠してしま…
349年病で焦り、 最晩年に石虎は皇帝につく。 しかし数か月で同年石虎は崩御する。 ●石世←石遵、石遵←石鑑、石鑑←石閔がそれぞれ殺害。 ●漢族を裏切った石閔、今度は後趙石氏に裏切られる。 ●石閔、冉閔へと改名、魏を建国。そして異民族の大量虐殺。 ●冉閔…