歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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徙民政策③華北異民族の常套手段へ

徙民政策は、曹操・曹丕に始まり、 石勒が完成させ、その後各王朝に受け継がれる。 石虎、前燕、前秦、後燕、後秦、北魏と 数十万人単位の徙民政策を行なって国家体制を固めることとなる。 それほど有用な政策であった。 初めは孤立を補うための政策。 のち…

徙民政策②この政策を石勒が完成させる。

曹操・曹丕により、 政策化した徙民政策。 これを大いに活用するのが、 五胡十六国時代の幕を開けた石勒である。 ●後漢末より大乱だった西晋末 ●最も大規模な徙民政策を行った石勒 ●西晋末の大乱を収めた石勒は中華の人口分布を改造する。 ●関中が無人の野に…

徙民政策①目的と始まった背景について。

徙民政策。 徙民、しみんと読む。 民を徙す(うつす)、移動させるという意味である。 移動させるというより、実態は強制移住と行った方が正しい。 この徙民政策は魏晋南北朝において、国家の存亡に関わる 最重要政策の一つである。 我々日本人にはこういっ…

南朝皇帝はただのガードマン。快楽主義の貴族名族を守るために。

420年に東晋は劉裕の手により滅亡する。 その後100年強を南朝と呼ぶ。 ●軍人皇帝―貴族名族の密約こそが六朝文化を爛熟させる。 ・国防の担い手を探す貴族名族たち ・劉裕と貴族名族の結託 ●南朝を事実上支配するのは、皇帝になった血筋よりも上位に立つ貴族…

名族を裏切る皇帝司馬炎、名族の支持を永遠に失う中華皇帝【皇帝の存在価値②】

前回まで理想の皇帝が社会の変容によって 価値を失っていく経緯について 述べた。 ●皇帝司馬炎の裏切り ●司馬炎が歴史的に皇帝と諸侯(貴族名族)の関係を破綻させた。 ●皇帝は有名無実であって欲しい、貴族名族の時代 ●意外と復古主義な庾氏三兄弟と桓温 ●…

理想の皇帝が煙たがられて、司馬炎という名族皇帝が誕生する。【皇帝の存在価値①】

※dorontaさんのコメントで着想を得ました。感謝いたします。 中華皇帝の価値は時代によって変容する。 皇帝の存在が理想的な時代から、 煙たがられるまでについてここでは述べたい。 ●とてつもなく素晴らしかった皇帝制度 ●農民のリーダーとしての前漢皇帝 ●…

幽州の歴史⑨地政学的に幽州は「大中国」のヘソとなる。

●大運河線を軸とした中華世界へ。 ●中華進入ルートの燕雲十六州 ●金元明清の都は「幽州」、もはや「幽」ではなく、「京」であった。 安禄山が中華を席巻したのち、 次に幽州が注目されるのは、唐が滅びた後の戦乱の時代、 五代十国である。 ●大運河線を軸と…

幽州の歴史⑧ いよいよ幽州は中華を席巻する覇王の地へ変貌する。

隋唐の異民族、中華皇帝としてのメンツをかけた 高句麗遠征。 ●唐の最盛期は玄宗時代 ●唐玄宗の虚無感とディオニュソス的発想 ●安禄山という災厄は幽州で生まれる。 ●安禄山の幽州が、大唐帝国を席巻した。 これを成し遂げるまでの半世紀の間に、 幽州は中華…

幽州の歴史⑦前漢武帝に並んだ、唐高宗・則天武后夫妻。

●高句麗を滅ぼした唐高宗・則天武后夫妻 ●巧みな外交戦で、高句麗・倭陣営を打倒する唐高宗・則天武后夫妻。 ●中華皇帝なら誰もが目指す前漢武帝時代の再来を、唐高宗・則天武后は成し遂げた。 隋煬帝・唐太宗というエネルギッシュな人物が 成し遂げられなか…

幽州の歴史⑥高句麗遠征に失敗する隋煬帝・唐太宗は完全な中華皇帝になりきれない。

●隋唐の高句麗遠征 ●隋の崩壊の経緯は秦に類似。 ●完全な中華皇帝になりたいから李世民も高句麗にこだわる。 ・李世民のメンツ 異民族の皇帝が中華皇帝として 完全になるために、高句麗が必要となる。 今回はそれについて述べたい。 ●隋唐の高句麗遠征 自身…

幽州の歴史⑤漢化した異民族国家隋だからこそ高句麗に拘る

●前燕が遼東を中華にする。 ●幽州、遼東に関心のない北斉、北周 ●隋の楊氏、異民族なのに漢人名族の弘農楊氏に成りかわる。 ●漢化したい隋、だからコンプレックスがある。 幽州・遼東を支配した鮮卑慕容部。 それが皇帝となる。 幽州・遼東が皇帝の出身地と…

幽州の歴史④幽州の支配者がはじめて中華皇帝となる。

●遼東出身の鮮卑慕容部が幽州を足がかりに中華王朝へ変貌 ●遼東の中華化 ・中華の歴史に喧嘩を挑んでしまった前燕慕容儁 ●遼東の中華化で高句麗を従属させられるかどうかが中華の歴史において政治問題化する。 王浚死後、 幽州は石勒・石虎の後趙、 遼東は鮮…

幽州の歴史③ 幽州の馬が八王の乱の行く末を左右する。

●幽州の王浚、八王の乱の行く末を左右する ●八王の乱は賈后派と反賈后派=亡き皇太子派の争い ●「并州」と「幽州」が争う八王の乱 ●中華の権力争いに大きな影響を与え始める幽州 ●王浚没後、幽州と遼東が分断。 いよいよ幽州が中華の歴史に 直接関わるシチュ…

幽州の歴史② 騎兵狩りの拠点へ発展。

この流刑地同然の幽州。 その名の通り、うらさびれた場所であった幽州。 ●公孫瓚の躍進が幽州の存在感を増す。 ●曹操の烏桓討伐 ●司馬懿による遼東公孫淵討伐で幽州は遼東統治の拠点へ この幽州の存在感が増してくるのは、 幽州の周囲にいる異民族が保持する…

幽州の歴史① 流刑地のような陸の孤島

●幽州は中華文明とは隔絶した土地 ●後漢光武帝は幽州まで行かなかった ●黄河の流路変更 ●幽州は事実上の流刑地 ●幽州は中華文明とは隔絶した土地 幽州という名前になったのは、 前漢武帝の時。 天下を13州に分けた時、 戦国時代の燕が割拠した地域を、幽州と…