歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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北魏皇帝拓跋珪の集権策~部族解体~

北魏道武帝拓跋珪。 一代で北魏帝国を創業。 親征を多々行い、武勇に優れた人物の印象が強いが、 実は拓跋珪は、これまでの異民族皇帝とは異なった政策を行っている。 その一つが、 「諸部族の解体」である。 目的は、拓跋珪自身、皇帝への集権である。 ●異…

北魏拓跋珪は402年柴壁の戦いで後秦に対して「抹殺戦法」

●402年柴壁の戦いで後秦を大破。 ●オルドスの匈奴鉄弗部がきっかけの、柴壁の戦い ●後秦が北魏の平陽を攻撃した背景。 ●拓跋珪の迅速な親征 ●北魏拓跋珪の成功要因・抹殺戦法 ●402年柴壁の戦い、その後。 ●匈奴鉄弗部赫連勃勃の自立。 ●402年柴壁の戦いで後…

北魏拓跋珪、一気に河北の覇者へ。「参合陂」のその後~

●参合陂の戦いとその後。 ●一気に南下して後秦と戦い幷州まで勢力を伸ばす。 ●太行山脈の東に出て冀州へ侵攻。 ●代の平城へ遷都、皇帝を称する。 拓跋珪が395年参合陂の戦いで後燕に大勝してから、 409年に死去するまで、北魏拓跋珪は破竹の勢いで 勢力を拡…

「子貴母死」・・・後継皇帝になるとその実母は殺される北魏

表題の規則は、 「子貴母死」と呼ばれる。 ●北魏において「子貴母死」が行われることになった背景。 ●「子貴母死」の一般的に伝わる由来 ●前漢武帝の故事にこじつけた北魏 ●北魏「子貴母死」が実施されたのは二回のみ。 これは北魏における制度である。 皇帝…

拓跋珪、セオリー通りの参合陂の戦い、大勝利

●拓跋珪は遊牧民の典型的な戦い方をする。 ●拓跋珪は基本に忠実かつ兵法を大胆に応用する名将。 ●実は慕容垂も遊牧民の正攻法で桓温を撃退している。 ●坂の上に陣取る拓跋珪ら北魏騎兵軍、これもセオリー。 ●遠征で疲れる後燕軍、慕容垂の病状も気になり戦い…

拓跋珪が大幅に支配地を伸ばすのは、慕容垂と手切れになったから。

北魏の事実上の開祖、拓跋珪。 非常に戦いに長けた指導者であり、 一代で河北の覇者となった。 ●395年参合陂の戦いを引き起こす、慕容垂・拓跋珪の断交。 ●拓跋珪は慕容垂の宿敵西燕と手を組む。 ●394年本来の前燕正統政権西燕を慕容垂が滅ぼす。 ●慕容垂、…

傲慢な慕容垂と手切れとなり窮地に陥る拓跋珪

●慕容垂との手切れ。 ●慕容垂の面子。 ●対外情勢から見た背景 ●慕容垂「鮮卑慕容部・燕の正統後継者である俺にひざまづけ」 ●参考図書: 破竹の勢いで北方に勢力権を作る拓跋珪。 391年の時点で弱冠20歳。 前秦を事実上破綻させ、河北の覇者とならんとする慕…

拓跋珪の登場。代の復興、魏の建国。

拓跋珪の登場。 ●鮮卑拓跋氏の嫡流。拓跋珪の系譜 ●匈奴独孤部に匿われる拓跋珪。 ●拓跋珪、代の復興。すぐに魏と国号を変える。 ●これまで通り外交政策、拓跋珪は鮮卑慕容部に従属する。 ●拓跋珪にとっての仇敵、劉顕(匈奴独孤部)と劉衛辰(匈奴鉄弗部)…

匈奴鉄弗部と鮮卑拓跋氏の因縁~赫連勃勃前史~

●赫連勃勃と、鮮卑拓跋氏と匈奴鉄弗部の因縁。 ●匈奴鉄弗部の由来 ●劉虎 由来の怪しさ ●「鉄弗」とは ●拓跋什翼犍に屈服させられる匈奴鉄弗部。 ●赫連勃勃の父劉衛辰が鮮卑拓跋氏の代滅亡のきっかけを作る。 ●匈奴鉄弗部の南部、関中で勢力を増す前秦苻堅。 …

拓跋什翼犍は前燕に従属していた。

338年に代を継承、 376年に前秦苻堅に滅ぼされるまで、 代王として君臨した拓跋什翼犍。 見えにくい史実だが、 拓跋什翼犍は前燕鮮卑慕容部に従属をしていた。 ●石虎を裏切って自立する拓跋什翼犍 ●前燕鮮卑慕容部が河北の覇者となる。 ●370年の前燕滅亡とと…

鮮卑拓跋氏前半の年表 258年から376年

鮮卑拓跋氏が258年に魏に認められてから、 376年に前秦苻堅に滅ぼされるまでの118年について。 これが北魏、鮮卑拓跋氏の前半の歴史である。 後半は386年に鮮卑拓跋氏が復興してから、 534年に北魏が宇文泰と高歓の手により東西分裂するまで、である。 重要…

鮮卑慕容部の後援で拓跋什翼犍が独立。

●鮮卑慕容部の後ろ盾を得て鮮卑拓跋氏が自立。 ●鮮卑慕容部の勢力伸長 ●参考図書: ●鮮卑慕容部の後ろ盾を得て鮮卑拓跋氏が自立。 これを機に拓跋什翼犍は鮮卑慕容部と手を結び、 婚姻関係を結ぶ。拓跋什翼犍が石虎から離反したことになる。 拓跋什翼犍の初…

拓跋鬱律だけが中華王朝従属をやめる。

●拓跋鬱律だけが中華に従属しないことを選ぶ。 ●拓跋鬱律は東晋とも断交して身内に殺される。 ●鮮卑拓跋氏内乱のこの時期は中華全体が動乱のとき。 ●拓跋什翼犍、後趙から離反して自立。 ●参考図書: ●拓跋鬱律だけが中華に従属しないことを選ぶ。 拓跋猗盧…

拓跋猗盧、胡漢融合策の失敗。

五胡十六国時代という時代は、 旧来の漢民族文明に、異民族がどのように入り込んでいくのかを問う時代である。 ●拓跋猗盧、胡漢融合の失敗。 ●後継者争いの構図 ●胡漢の領域にまたがって支配権を持つことで交易利権を得た鮮卑拓跋氏 ●異民族か漢化か、その答…

初めて「異民族のまま」中華諸侯になる鮮卑拓跋氏。

八王の乱での対西晋追従が功を奏して 中華諸侯になる鮮卑拓跋氏。 これは中華史における歴史的快挙である。 漢字一文字の国名は中華諸侯の国名である。 「代」の「公」となった 鮮卑拓跋氏の首領、拓跋猗盧(たくばついろ)は、 徹底的に西晋に協力すること…