歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

【黄河渡河地点が「中華」】五胡十六国時代における「中華」とは②

前回の記事で、「中華」という概念が、 中国史上、変遷するものである、と記した。 ●五胡十六国時代における「中華」とは① www.rekishinoshinzui.com 「中華」はどこなのか、という定義は「思想」である。 では五胡十六国時代における「中華」とはどこなのか…

五胡十六国時代における「中華」とは①

中華統一という概念は何か。 ●桓温が目指した「中華」とは何か。 ●「中華」の概念は時代とともに変化する。 ●中国史上、常に拡大する「中華」圏 ●五胡十六国時代においてどこを支配すれば「中華」と獲ったことになるのか。 ●「中華」という概念はいつ始まっ…

淝水の戦いの前後で五胡十六国時代はフェーズが変わる。

●五胡十六国時代と南北朝時代の六人のキーパーソン ●石勒と苻堅、異民族王朝の全盛期を創出。 ●東晋 淝水の戦いその後 ●東晋内部の内輪揉めに勝った劉裕。 300年の狭義の八王の乱から、 事実上五胡十六国時代へと突入する。 これが終わるのが、北魏による華…

土断・僑州郡県・流民の三つが華やかな六朝文化を産む。

●土断という言葉の由来。 ●流民を収容した「僑郡」の発端について ●「永嘉南渡」・・・東晋流民収容の始まり。 ●僑州郡県は貴族名族勢力を伸張させる。 土断という問題が元々ある中、 流民が発生、その対処策として僑州郡県が実施。 根本の部分には土断を実…

土断法の実施は9回

土断、すなわち土地で断じるの意味である。 何を断じるのか。民の戸籍を土地で断じるのである。 ●土断法の実施は全部で9回である。 ●土断の対象者は流民。彼らは税や役務を免除されていたから。 ●民の取り合いとも言える土断法。 ●第一次土断法実施で国力の…

土断法 その由来は皇帝権の弱体化

そもそも、土断法の由来 そもそもの由来は、 西晋の初めである。 ●土断法の発端は九品官人法の弊害 これは九品官人法(九品中正法)の弊害から、 衛瓘(エイカン)が西晋武帝司馬炎に建議したものであった。 九品官人法(九品中正法)は、 魏の曹丕が、陳羣…

「土断法」とはつまり皇帝集権のことである。

東晋において、 土断法というのは非常に重要なキーワードだ。 ●江南、荊州には三国呉以来の世兵制の土壌がある。 ●土断法とは貴族名族への、皇帝の対抗策 ●東晋が土断法を必要とした背景。 ●反皇帝集権と皇帝集権推進 ●皇帝集権推進派は庾氏と桓温 ●桓温と庾…

357年末時点で前燕・東晋・前秦の三国対立が確定

357年末で三国対立の情勢が確立する。 ●前秦まとまる。姚襄の死と、苻堅即位。 ●前燕の河北制覇 ●東晋 桓温全盛期 ●前燕、前秦、東晋の三国対立が確定。 ●前秦まとまる。姚襄の死と、苻堅即位。 姚襄は桓温に敗れた後、 幷州の平陽に逃げ込む。 劉淵が建てた…

東晋北伐⑰桓温が洛陽攻略のみで撤退した理由

356年8月に姚襄を打ち破り、 洛陽城内へ桓温は入城。 桓温の第二次北伐は洛陽奪取という快挙を成し遂げた。 ●何故桓温は撤退したのか ・東晋内の政治抗争 ・兵が足りない。 ●前燕は既に鄴まで勢力を伸ばしていた。 ●前秦戦線はどうか。 ●姚襄との激戦の疲労 …

東晋北伐⑯絶好のチャンス、桓温第二次北伐洛陽攻撃

桓温の第二次北伐の実行。 ●桓温対建康政府の対立。 ●東晋政府から反対された桓温の第二次北伐 ●前燕鮮卑慕容部はライバルの青州段部に付きっ切り ●前秦は皇帝苻生の暴政により混乱中。 ●姚襄と桓温の洛陽伊水決戦。 桓温は、354年の前半に第一次北伐を実行…

東晋北伐⑮桓温356年第二次北伐前夜の中華情勢

●河北・後趙の崩壊→東と西に分裂。 ●西の関中は氐族苻氏 ●東の河北は前燕鮮卑慕容部が獲る。 ・冉閔が後趙を滅ぼす。 ・鮮卑慕容部が冉閔を滅ぼす。 ●どこも取れなかった羌族姚氏 桓温の356年第二次北伐に関して、 そこに至る前の情勢について説明したい。 ●…

慕容垂は悪人である。

●慕容垂の罪はなぜ許されるのか。 ●異民族の苻堅が東晋謝安という漢民族に負けたから。 ●謝安を持ち上げる漢民族優越主義 ●人として慕容垂の裏切りを許せますか。 ●鮮卑慕容部裏切りの歴史は自らを亡国へ導く。 ●異民族気質の慕容垂は自己中心的である。 ●慕…

慕容評より問題なのは慕容垂だ。

●慕容評の4つの事実 ●慕容儁の、慕容評の扱いと大きな差がある慕容垂いじめ ●従順な慕容評、その存在の特異性。 ●慕容垂は悪人である。 ●慕容評と慕容垂、どちらが奸臣か。 慕容評の実態について、 以下に四点に集約する。 これが実態である。 ●慕容評の4つ…

慕容評とは何者か。

●慕容評とは何者か。 ●慕容評は実は甥慕容恪らと同世代。 ●慕容評と慕容恪の相性が良い理由 ●後世のイメージとは異なり慕容評は最前線で戦っている。 前回は慕容評の歴史的評価に対する疑問点を挙げた。 今回は慕容評の実像を考えたい。 ●慕容評とは何者か。…

慕容評の歴史的評価に対する問題提起

前燕は慕容儁の時代に大きく勢力を伸ばした。 慕容評はこれに大きく貢献したのだが、 歴史の中から消されてしまう。 なぜなのか。 ●慕容評の存在は前燕にとって大きい。 ●後の「奸臣」慕容評は兄慕容皝、甥慕容儁に非常に信頼された。 ●慕容評が「奸臣」扱い…

前燕皇帝慕容儁の成功要因④慕容評の従順さ

後世の評価が低い慕容評。 これは事実ではない。 当時の歴史は、 東晋中心に描かれ、そしてその東晋に立ち向かった 苻堅を異民族の中ではピックアップする。 ●慕容恪をサポートする慕容評 ●慕容恪・慕容評ラインこそが前燕の成功要因。 ●慕容評単独では前燕…

前燕皇帝慕容儁の成功要因③弟慕容恪の胡漢両方のルーツを持つ

慕容恪(ぼようかく)がなぜ輔弼という概念を理解し、 そして実行し得たのか。 ●慕容恪は何故兄慕容儁を輔弼し得たか。 ・弟であること。 ・慕容恪は、異民族と漢人とのハーフ。 ●慕容恪の母の出自、渤海高氏とは。 ●姜斉、田斉の血を継ぐ者こそが中華の本流…

前燕皇帝慕容儁の成功要因②異民族として初めて輔弼をした慕容恪

●慕容恪は軍人として歴史的な人物である。 ●輔弼を初めて理解できた異民族・慕容恪 前燕慕容儁の成功要因は、 弟慕容恪と叔父慕容評の協調体制にある。 これは鮮卑慕容部としては、 稀な事象だということを①にて述べた。 ここでは、 慕容儁の弟慕容恪個人と…

前燕皇帝慕容儁の成功要因① 慕容恪と慕容評

鮮卑慕容部が、 大きく雄飛するのは慕容儁(ぼようしゅん)の時代である。 ●あっという間に河北を獲得した慕容儁 ●慕容儁の幸運、慕容恪と慕容評のサポート ●慕容部の兄弟争いはいつものこと ●叔父の専横も異民族の通例 これを実現できたのは、 弟慕容恪と叔…

常に孤立する前燕鮮卑慕容部、その理由。

●鮮卑慕容部、その孤立の理由。 ●鮮卑慕容部、7代かけて皇帝となる。 ●親中華の鮮卑慕容部は異民族から嫌われる。 ●鮮卑慕容部の親中華は、魏司馬懿の遼東攻略に始まる。 ●八王の乱をきっかけに鮮卑慕容部は孤立することになる。 ●四面楚歌を勝ち切った鮮卑…

慕容皝が、鮮卑慕容部が中華へ覇を唱える礎を築いた。

●鮮卑慕容部が燕として中華圏の勢力となったのが慕容皝時代 ・慕容皝の方針は、父慕容廆路線を継承。 ●慕容皝体制立ち上がり期の内乱 ・庶兄慕容翰らとの争い ・弟慕容評は慕容皝に従う。 ●慕容皝は鮮卑段部を滅ぼして、燕王を僭称する。 ・石虎を撃退 ・東…

慕容廆 鮮卑慕容部中興の祖

●慕容廆の治世の長さは鮮卑慕容部の安定をもたらす。 ●慕容廆の基本戦略は、西晋・東晋への従属で勝ち残る。 ※「宇文部について」 ●慕容廆が後を継ぐと、庶兄慕容吐谷渾は青海へ去る。 ●慕容廆、王浚・石勒らの攻撃をはねのけ、遼東で自立する。 ・第一の敵…

鮮卑慕容部の歴史概略

●鮮卑慕容部、慕容渉帰の代に一勢力となる。 ●慕容廆の代で鮮卑慕容部は自立した勢力となる。 ●慕容皝の代に燕王を名乗る。 ●慕容儁、前燕皇帝となる。 ●前燕のラストエンペラー、慕容暐。 鮮卑慕容部において、中華の歴史に関わって前燕の建国滅亡までの ト…

氐族の前秦苻氏 苻堅に至るまで。

前秦苻氏。異民族の氐族である。 元々は蒲氏である。 後趙石虎死後に苻洪(当時は蒲洪)が 後趙から離反した時に、姓を変えた。 出身は、 略陽(今の甘粛省天水市秦安県。天水市北部)である。 天水秦安なので、 羌族の南安よりも東で、長安寄りである。 苻…

姚弋仲は石虎死後も後趙に義理立てする。

●結果的に対外的には落ち着いていた後趙石虎時代 ●異民族の癖、後継者争いは清の雍正帝まで続く。 ●石虎死去前後の後継者争い ●処刑した廃太子石宣残党の反乱 ●姚弋仲に助けを求める石虎 ●石虎一族の相克により冉閔が台頭する。 ●姚弋仲は石虎の子擁して冉閔…

石虎と馬の合う姚弋仲、後趙で異民族トップとなる。

●328年の洛陽決戦、その後の石虎の涼州進駐で姚弋仲と出会う。 ●石勒との洛陽決戦で劉曜敗死、石虎の前趙進駐。 ●石勒の死後、簒奪した石虎は姚弋仲の諫言を受ける。 ●羌族姚氏の河北清河郡への徙民 ・氐族は枋頭 ●簒奪した石虎を救った姚弋仲は異民族トップ…

羌族首領姚弋仲が世に出るまで。

●羌族姚氏、石虎後の戦乱で最も割りを食った。 ●羌族姚氏の出自。 ●匈奴漢の分裂。姚弋仲は前趙に属する。 ●羌族姚氏、石虎後の戦乱で最も割りを食った。 後に後秦を建国する姚氏だが、 後趙石虎の死去後の混乱で最も割りを食った部族である。 彼らは結論と…

東晋北伐⑭356年桓温の第二次北伐 洛陽侵攻 、桓温のねらい

354年の桓温第一次北伐から356年桓温第二次北伐までの 中華情勢に言及して、桓温の軍事上の狙いを考えたい。 ●前燕の鮮卑慕容部が勢力を大きく伸張させる。 ●桓温ができるのは寡兵による電撃戦、その効果的な目標はどこか。 ●洛陽を狙う、姚襄と桓温 ● 裏切…

東晋北伐⑬桓温が第二次北伐で洛陽を狙うまでのやりくりについて。

東晋政府の全面協力を得られない桓温は電撃戦で洛陽を狙う。 結論はこれだ。 しかし、そこに至るまで、桓温は東晋内で、 準備を始める。それは調整力・政治力が問われるものであった。 桓温は第二次北伐へ備え、動く。 東晋政府とのやりくり、調整力と軍事戦…

東晋北伐⑫長安を陥せなかったが帰還した桓温は英雄となる。

●長安攻略失敗で失意の桓温、実は41年振りの快挙であった。 ●司馬昱首班の東晋朝廷も桓温を賞賛せざるを得ない。 ●衆望を背景に、桓温は動員兵力の増加を狙う。 ・課題1 僑籍 ・課題2 貴族の大土地所有 ●民衆と桓温 対 貴族名族 という構図ができる。 ●長安…