歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

王敦の「嘘」 東晋史の真実

一方、 東晋において、悪く描かれるのは、 王敦、桓温、司馬道子、桓玄だ。 しかし彼ら視点で、 調べると、彼らにはいろいろな言い分がある。 ●東晋を実際に作ったのは王敦 王敦は事実上東晋の基礎を作っている。 司馬睿は旗頭に過ぎない。 王導は王敦よりも…

東晋の滅び方と西晋の滅び方は同じ。

●皇帝の影が薄い東晋 ●東晋皇帝安帝は知的障害者であった。 ●西晋末と東晋末は同じ構図 東晋の歴史は桓玄簒奪で終わる。 ●皇帝の影が薄い東晋 東晋は、 桓玄が皇位を簒奪したことで、 その息の根を事実上止められた。 この後劉裕により、 復興させられるが、…

王導と謝安の嘘。6人のリーダーが東晋を導く。

●王導の嘘。 ●謝安の嘘。 さて、東晋は、前記事の通り、 下記8名の人物で東晋の歴史を語れる。 王導 王敦 庾氏三兄弟(代表は長兄庾亮) 桓温 謝安 司馬道子 桓玄 劉裕 この中でポジティブな描かれ方をしている人物を◯、 ネガティブな描かれ方をしている人物…

東晋の歴史は「嘘」である。

東晋の歴史には嘘がある。 王導の「嘘」。 桓温の「嘘」。 謝安の「嘘」。 劉裕の「嘘」。 この四つの嘘が最も大きな意義を持つ。 これらの嘘が東晋の歴史をつまらなくしている。 ●一般的に語られる東晋の歴史 ●面白くない歴史は大体嘘。 ●一般的に語られる…

桓玄は4歳にして「楚公」であった。

桓玄について。世に出るまでについて述べたい。 彼の世に出るまでは4歳から21歳までである。 長い。 ●4歳の幼児、「楚公」となる。 ●桓玄の後見人桓沖が譙国桓氏を守り抜く。 ●21歳にして桓玄、世に出る。貴族扱いに不満。 ●自らの才能を抑えきれない桓玄 ●…

司馬道子の謝安追放は当然である。

司馬道子について。 ●謝安は、桓温の対立勢力。 ●亡き桓温勢力の退場。 ●亡き桓温勢力の退場で困った皇帝とその宗族。 ●司馬道子の反発は当たり前。 ●謝安は下手。 淝水の戦いに大勝すると、 司馬道子は謝安を政権から追い出す。 すぐにだ。 司馬道子は後に…

中華の都市間の距離を日本の都市で考えて実感する

北京は「青森」、上海は「鹿児島」。 ●北京と上海: ●洛陽と曲阜: ●西安と北京: ●西安と洛陽: ●北京と洛陽: ●武漢と南京: ●成都と荊州(江陵) ●成都と漢中: ●絳と洛陽 ●洛陽と荊州: ●韓国と北朝鮮: ※下記にある距離とは、地図上の直線距離を指す。 …

苻堅の大失敗、淝水の戦いー大敗の理由。

華北を統一し、石勒を越える領土を獲得した苻堅。 ●寿春-合肥ルート単独は鬼門。 ●蜀だけではダメ ●苻堅は蜀は取れたが荊州は取れなかった。 ●襄陽は荊州から中原へ出るための最前線。 ●武昌は地政学的に荊州のへそ。 ●江陵は楚の都。 ●江南勢力の必勝パタ…

淝水ってどこ?【淝水の戦い】

●淝水ってどこ? ●寿春周辺の地形について ●淝水の場所: 淝水の戦いであるが、これは苻堅の大失敗である。 それどころか、この敗戦で苻堅は全てを失った。 しかしこの淝水とは一体どこのことであろうか。 ●淝水ってどこ? 前秦苻堅が大負けした、 中華史上…

謝安を6つの視点から批判する⑤〜謝安賞賛は桓温批判のこと〜

謝安6つの批判の最終稿である。 ●⑥に関する引用文 ●⑥の反論〜桓沖側からの積極的な撤退〜 ●謝安のドラマチックなエピソードに騙されてはならない。 ●謝安賞賛は桓温批判のためである。 謝安賞賛=桓温批判が、 結論だ。 後世の貴族名族たちは、 自分たちを圧…

謝安を6つの視点から批判する④〜謝安の「無為自然」〜

さて、この 「謝安を6つの視点から批判する④」では、 下記引用文の④⑤に関して、 謝安批判を展開したい。 ●引用文 ④と⑤のパート ●④の反論〜桓温は禅譲を狙っていない〜 ●⑤の反論〜桓温が死んですぐに謝安が政権を取ったわけではない。〜 ・謝安は王導と並び称…

謝安を6つの視点から批判する③〜陪臣の意味〜

謝安批判の三つ目の視点。 それははじめての任官が 陪臣である点である。 ●③の反論~陪臣~ ・開府の副官のポジションについて ・諸葛亮ー費禕・楊儀の場合。 ・司馬師ー賈充の場合 ・曹操と夏侯惇は同僚である。 ●そこまですごくない謝安。 陪臣は日本の呼…

謝安を6つの視点から批判する②土断と清談

前回は序文の位置付けで 謝安批判文を述べた。 今回はより具体的な反論文を載せたい。 6つの批判ポイントのうち、2つを挙げる。 ●謝安を批判ポイントの引用文 ●①に対する反論〜土断を拒否したのは謝安ら貴族名族〜 ●②の反論〜清談の名士は褒め言葉ではない〜…

謝安を6つの視点から批判する①

●引用文を受けての、6つの謝安批判。 下記の、先日の「謝安批判論」でも述べたが、 謝安は取り立てて何か優れた業績をあげているわけではない。 www.rekishinoshinzui.com 桓温をこけ落とすために、 謝安は持ち上げられただけであり、 謝安自身に評価すべき…

桓温を模倣する劉裕 東晋末期④

東晋の輿論を得ていた桓温。 その威光を背景に桓温の子、桓玄は皇位を簒奪。 しかしその性急なやり方は反発を買い、 劉裕に足をすくわれる。 ●軍を賤む貴族名族 ●貴族名族と劉裕はwin-winの関係 ・有職故実に詳しい貴族名族の支援を受けた劉裕は禅譲への道を…

桓玄の大失敗 東晋末期③

●桓温の遺産: ●桓玄、致命的な間違いを犯す。 ●待てなかった桓玄 東晋中央は、 司馬道子が専権を振るい、 不安定になる中、 荊州は安定していた。 ●桓温の遺産: 345年以来50年以上桓温の王国と言って良かった荊州は その統治の見事さを象徴するかのごとく…

司馬道子の反攻と失墜 東晋末期②

桓温の死去。 淝水の戦いでの大勝。 これが東晋内部のバランスを崩していく。 ●司馬道子 宗族のトップになる。 ●謝安は司馬道子を抑制するも返り討ちにあう。 ●司馬道子の能力不足 そこから東晋末まで、 ・謝安の失脚、 www.rekishinoshinzui.com ・司馬道子…

謝安批判論。政権掌握も淝水も一時の幸運に過ぎない。 東晋末期①

謝安は反桓温派の貴族名族を代表する人物である。 だから、 のちに王導の瑯琊王氏とともに、 貴族トップとなる。 王導と同じく貴族名族へ利益誘導したからである。 謝安は桓温の死後政権を掌握したが、 それはほんの一時期に過ぎない。 ●東晋の内部闘争グセ…

徙民政策⑤の集大成・宇文泰の「関中本位政策」

さて、徙民政策の結論である。 徙民政策の集大成は宇文泰が作る。 曹操、曹丕以来の徙民政策を 大規模な国家戦略へと変化させ、後の隋唐の繁栄を創出する。 ●徙民政策の総仕上げは宇文泰である。「関中本位政策」 北周の事実上の祖、 宇文泰こそが、この徙民…

徙民政策④最大限活用する前秦と北魏。

徙民政策を完成させた後趙と前燕。 ●前秦苻堅は滅ぼした敵対勢力を全て長安へ移住させる。 ・前秦の人口対策 ・前秦苻堅の儒教的発想 ●北魏の華北統一で大規模な徙民政策はひと段落する。 ●徙民政策で民族シャッフルが進んだ華北 これを受けて、 前秦と北魏…

徙民政策③華北異民族の常套手段へ

徙民政策は、曹操・曹丕に始まり、 石勒が完成させ、その後各王朝に受け継がれる。 石虎、前燕、前秦、後燕、後秦、北魏と 数十万人単位の徙民政策を行なって国家体制を固めることとなる。 それほど有用な政策であった。 初めは孤立を補うための政策。 のち…

徙民政策②この政策を石勒が完成させる。

曹操・曹丕により、 政策化した徙民政策。 これを大いに活用するのが、 五胡十六国時代の幕を開けた石勒である。 ●後漢末より大乱だった西晋末 ●最も大規模な徙民政策を行った石勒 ●西晋末の大乱を収めた石勒は中華の人口分布を改造する。 ●関中が無人の野に…

徙民政策①目的と始まった背景について。

徙民政策。 徙民、しみんと読む。 民を徙す(うつす)、移動させるという意味である。 移動させるというより、実態は強制移住と行った方が正しい。 この徙民政策は魏晋南北朝において、国家の存亡に関わる 最重要政策の一つである。 我々日本人にはこういっ…

南朝皇帝はただのガードマン。快楽主義の貴族名族を守るために。

420年に東晋は劉裕の手により滅亡する。 その後100年強を南朝と呼ぶ。 ●軍人皇帝―貴族名族の密約こそが六朝文化を爛熟させる。 ・国防の担い手を探す貴族名族たち ・劉裕と貴族名族の結託 ●南朝を事実上支配するのは、皇帝になった血筋よりも上位に立つ貴族…

名族を裏切る皇帝司馬炎、名族の支持を永遠に失う中華皇帝【皇帝の存在価値②】

前回まで理想の皇帝が社会の変容によって 価値を失っていく経緯について 述べた。 ●皇帝司馬炎の裏切り ●司馬炎が歴史的に皇帝と諸侯(貴族名族)の関係を破綻させた。 ●皇帝は有名無実であって欲しい、貴族名族の時代 ●意外と復古主義な庾氏三兄弟と桓温 ●…

理想の皇帝が煙たがられて、司馬炎という名族皇帝が誕生する。【皇帝の存在価値①】

※dorontaさんのコメントで着想を得ました。感謝いたします。 中華皇帝の価値は時代によって変容する。 皇帝の存在が理想的な時代から、 煙たがられるまでについてここでは述べたい。 ●とてつもなく素晴らしかった皇帝制度 ●農民のリーダーとしての前漢皇帝 ●…

幽州の歴史⑨地政学的に幽州は「大中国」のヘソとなる。

●大運河線を軸とした中華世界へ。 ●中華進入ルートの燕雲十六州 ●金元明清の都は「幽州」、もはや「幽」ではなく、「京」であった。 安禄山が中華を席巻したのち、 次に幽州が注目されるのは、唐が滅びた後の戦乱の時代、 五代十国である。 ●大運河線を軸と…

幽州の歴史⑧ いよいよ幽州は中華を席巻する覇王の地へ変貌する。

隋唐の異民族、中華皇帝としてのメンツをかけた 高句麗遠征。 ●唐の最盛期は玄宗時代 ●唐玄宗の虚無感とディオニュソス的発想 ●安禄山という災厄は幽州で生まれる。 ●安禄山の幽州が、大唐帝国を席巻した。 これを成し遂げるまでの半世紀の間に、 幽州は中華…

幽州の歴史⑦前漢武帝に並んだ、唐高宗・則天武后夫妻。

●高句麗を滅ぼした唐高宗・則天武后夫妻 ●巧みな外交戦で、高句麗・倭陣営を打倒する唐高宗・則天武后夫妻。 ●中華皇帝なら誰もが目指す前漢武帝時代の再来を、唐高宗・則天武后は成し遂げた。 隋煬帝・唐太宗というエネルギッシュな人物が 成し遂げられなか…

幽州の歴史⑥高句麗遠征に失敗する隋煬帝・唐太宗は完全な中華皇帝になりきれない。

●隋唐の高句麗遠征 ●隋の崩壊の経緯は秦に類似。 ●完全な中華皇帝になりたいから李世民も高句麗にこだわる。 ・李世民のメンツ 異民族の皇帝が中華皇帝として 完全になるために、高句麗が必要となる。 今回はそれについて述べたい。 ●隋唐の高句麗遠征 自身…