歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

北魏太武帝の華北統一戦。

北魏太武帝。 423年に15歳にして皇位を継ぐ。 この時点の北魏の状況だが、 道武帝により北魏の基礎は固まり、 明元帝により華北における北魏の優位性は すでに確固たるものとなる。 ●最も厄介な柔然撃退。 ●北魏が柔然に苦しんだ理由。 ●因縁の赫連勃勃 ●鮮…

両統迭立に関わる天皇。

●両統迭立に関する天皇。 後鳥羽天皇: 土御門天皇: 順徳天皇: 守貞親王: 後堀河天皇: 後嵯峨天皇: 後深草天皇: 亀山天皇: 後宇多天皇: 伏見天皇: 後伏見天皇: 後二条天皇: 花園天皇: 後醍醐天皇: 邦良親王: 光厳天皇: ●両統迭立に関する天皇…

両統迭立は誰のせいか。

両統迭立は誰のせいか。 後鳥羽上皇か、 後嵯峨天皇か、 亀山天皇か、 それとも鎌倉幕府か。 ●後嵯峨天皇は後堀河天皇および四条天皇の血統が絶えたことにより即位できた天皇である。 ●後深草天皇と亀山天皇は同母兄弟である。 ●両統迭立の流れ:8ステージ ①…

15歳にして後を継いだ北魏太武帝は決して若くはない。

北魏太武帝。 ●北魏、道武帝・明元帝・太武帝三代にわたる華北取り ●太武帝の15歳が「若い」は中華視点。 ●中華視点の成人20歳は勉強のため。 ●異民族の成人はやんちゃ盛りの15歳。 ●日本の元服(戦国時代)は大体15歳まで 北魏といえば、 この皇帝が華北を…

五胡の覇者が北魏439年

●八王の乱の結果は五胡の台頭。 北魏の華北統一というが、 それよりも 北魏が五胡の覇者となったことの方が 歴史的意義は圧倒的に高い。 北魏の太武帝が、 五胡十六国時代を終焉させたのである。 ●八王の乱の結果は五胡の台頭。 290年の八王の乱に始まり、 …

中国は黄河・淮水・長江の三つの線で分断される。

南北に分かれて黄河・淮水・長江を取り合うのが、中華統一戦争である。 ●中華統一戦争、三つの陣取り合戦 ●黄河の押さえ方 ●長江のおさえ方 ●淮水のおさえ方 ●大運河の完成がこの3エリアを融合させた。 ●中華統一戦争、三つの陣取り合戦 中華統一戦争を行う…

413年倭の五王の始まり。

劉裕の義熙土断。413年。 この同じ年に、 我が日本史において重要なことが起きる。 ●倭が島伝いに山東省に来れるようになった。 ●劉裕北伐・禅譲と、倭の五王の不思議な関係。 413年東晋に対して、 倭が朝貢する。 これは劉裕の北伐の成果である。 劉裕は二…

北魏太武帝の廟号、世祖の意味。

いよいよ五胡十六国時代を終焉させた 北魏の太武帝拓跋燾(たくばつとう)の話に移る。 ●「世」の意味。 ●「武」の意味 ●我が子孫だけが後を継ぐ、「世祖」。 ●非嫡流の苻堅が皇帝となる。 ●我が血統こそ嫡流=「世」の意味。 ●この血統が嫡流だという宣言が…

劉備こそが漢王朝永続論の象徴である。

●蜀漢劉備が体現する「漢王朝永続論」 ●東晋で復活する「修正漢王朝永続論」 ●桓温の台頭が漢王朝永続論を復活させる。 ●五胡の君主は実力主義の体現者曹操が好き。 ●北宋と南宋、立ち位置の違い。 ●明の歴史解釈変更。 ●明が劉備を支持する理由。 表題の通…

なぜ北魏は「魏」なのか。

●なぜ北魏は「魏」なのか。 ●曹魏の位置づけ。 ●拓跋氏が名乗っていた「代」の意義。 ●血統上のつながりがなくても漢を名乗る匈奴の劉淵 ●劉淵は西晋否定のために漢民族の「漢」を継ぐ。 ●拓跋珪が魏を選んだ理由。 ●東晋へのイデオロギー対抗上の「魏」 ●な…

明智光秀の裏切り方は、足利尊氏の裏切り方に似ている。

●明智光秀、本能寺の変までの経緯。 ●足利尊氏、六波羅探題陥落までの経緯。 ●明智光秀と足利尊氏、それぞれの経緯の比較。 ●明智光秀、足利尊氏はそれぞれの政権におけるNo.2であった。 ●明智光秀は足利尊氏をベンチマークした。 ●明智光秀と足利尊氏のたっ…

元号「令和」の由来。

2019年5月1日に改元となり、 「平成」から「令和」となる。 ●大和言葉の当て字である万葉仮名。 ●漢字の使い方は前例主義 ●漢字使用の前例を知りうる教養人のみが知りうる世界 ●帰田賦こそ当時の知識人たちの知的な本音 ●中華文明の大元は江南・南朝にある。…

五胡十六国時代の出来事年表=313年から441年まで=

五胡十六国時代の年表。 わかりやすい節目とは。

元号とは。

「平成」から「令和」への改元。 日本では、明治維新以来、一世一元の制、 すなわち、一代の天皇において、 一つの元号のみとするとされたので、 非常に歴史的なことである。 ウィキペディアより画像引用。 そのため本来の改元は、 天皇の崩御に伴うもの、と…

周の守護者が斉桓公・晋文公。

●「斉桓晋文」 ●経済力のある中原諸国、軍事力を欲する。 ●中原の経済力と斉桓公の軍事力が結びつく。 ●僻地・晋だからこそ軍事力がある。 ●晋が周の守護者の地位を保ったのは、晋公に力がなかったからという逆説 ●「斉桓晋文」 春秋五覇の中で、 斉桓公、晋…

北魏二代皇帝明元帝拓跋嗣 隠れた名君

明元帝の在位は、 409年から423年である。 ●北魏明元帝を支える、長孫嵩と崔宏という名臣。 ●明元帝は華北支配を完成 ●明元帝期における東晋は劉裕の台頭期。 ●東晋宗族最後の反劉裕活動、司馬休之 ●劉裕北伐 後秦を併合 ●東晋宗族司馬休之という大義名分を…

初めて錬丹術の犠牲になる皇帝、北魏道武帝拓跋珪

北魏道武帝拓跋珪。 異民族の皇帝として、数多くの先進的な政策を実施。 拓跋珪は、孫の太武帝に比べると、 あまりピックアップされないが、 五胡十六国時代後半、南北朝、隋唐の歴史を語るには、 必要不可欠な存在である。 ●不老長寿を求めて錬丹術。 ●「鉱…

崔逞の失言?~北魏皇帝と清河崔氏の因縁の始まり~

崔逞(さいてい)。 名族清河崔氏の出身である。 ●名族・清河崔氏は斉の末裔。 ●崔琰、曹操に誅殺されてさらに名を上げる。 ●漢人を掌握するための、清河崔氏。 ●漢人グループのトップとして異民族皇帝とのコミュニケーションに苦労する。 ●清河崔氏、受難の…

北魏の成功要因・失敗要因は漢化したかしなかったか。

北魏の歴史を俯瞰した時に、 漢化というテーマをどう扱うかで、国勢が定まっている。 この扱い方が、成功要因・失敗要因となっている。 ●北魏の成功要因・失敗要因は漢化である。 北魏の成功要因は漢化しないこと。 道武帝、太武帝の向かうところ敵なしの強…

北魏道武帝拓跋珪、6つの革新政策その2「④仏教保護 ⑤「魏」のストーリーを継ぐ ⑥抹殺戦法」

≪①からの続き≫ ●拓跋珪の6つの革新政策。 ●国家主体の仏教保護 ●「④仏教保護」施策 ●中華国家としての在り方。 ●「⑤「魏」のストーリーを継ぐ」施策 ●匈奴の劉淵をベンチマークする拓跋珪 ●異民族は抹殺 ●「⑥抹殺戦法」 ●拓跋珪の凄さは胡漢を分けて考え融合…

北魏道武帝拓跋珪、6つの革新政策その1「①異民族の地に留まる。 ②漢化しない。 ③皇帝集権」

見過ごされがちな道武帝拓跋珪の政策。 しかしながら、 拓跋珪の存在、実績は五胡十六国時代が生み出した成果である。 ●拓跋珪の6つの革新政策。 ●漢化してしまうと滅びてしまう異民族国家 ●漢化しないで、より軍事力を強める。 「①異民族の地に留まる。②漢…

胡漢融合の集大成が唐太宗という存在。

胡漢融合の集大成が唐太宗という存在。 ●唐太宗の時代に胡漢融合が完成する。 ●胡漢融合の歴史を簡潔に述べる。 ●鮮卑による中華征服成る。 五胡十六国時代に始まり、唐太宗の時代に 胡漢融合は完了する。 胡漢融合の歴史を経緯と結論を下記に簡潔に示す。 ●…

拓跋珪の仏教受容

拓跋珪が、 早くから仏教を取り入れていたのは 非常に特徴的である。 ●部族解体された民をまとめるのが仏教。 ●北魏は国家としてはじめて仏教を推進。 ●異民族君主として、仏教を信奉したのは石勒、姚興。 ●中華世界として、初めて仏教を保護したのは孫権で…

鮮卑拓跋氏の国号は何故「魏」なのか③~匈奴にならう拓跋珪。~

「鮮卑拓跋氏の国号は何故「魏」なのか」 ①②で、 国号決定のアプローチについて述べた。 ここでは、拓跋珪が「魏」という国号にした理由を明示したい。 ●鮮卑拓跋氏と「魏」をつなぐ「細い線」 ●もう一度、代ではダメな理由。 ●東晋が有する天命に対抗したい…

鮮卑拓跋氏の国号は何故「魏」なのか②~「魏」との関連を探る。~

●拓跋珪は、何を根拠に魏としたか。 ●なぜ、封地の「代」ではいけなかったのか。 ●封地視点では「魏」は使えない。 ●趙でもよかったのではないか。 ●実は趙と韓には皇帝の国号としてふさわしくない理由がある。 「鮮卑拓跋氏の国号は何故「魏」なのか①」では…

鮮卑拓跋氏の国号は何故「魏」なのか①~禅譲論と漢王朝永続論の対立。~

●拓跋珪が国号を「魏」にした理由をでっちあげる後世。 ●封地に由来する国号。 ●「漢王朝永続論」 ●禅譲論か、漢王朝永続論かで国号の決め方が変わる。 鮮卑拓跋氏大人一族の生き残り、 拓跋珪により、386年1月代が復活するが、 同年386年4月、すぐに国号を…

拓跋珪による本格的漢人統治。北魏皇帝と清河崔氏の因縁の始まり~崔逞の嫌味~

「拓跋珪が初めて異民族皇帝として漢人統治を本気でしようとする。」 ●拓跋珪が崔逞を不敬とする経緯。 ●漢地の統治には漢人官僚が不可欠。 ●東晋返書事件で崔逞を自死させる、二つの意義 ①拓跋珪、漢人をマネジメントする。 ②拓跋珪、崔逞の嫌味を認識した…

北魏道武帝拓跋珪が帝都を平城にする意味。

拓跋珪が代の平城に本拠を置いた理由。 (代はエリア名、平城は都市名である。 平城は現在の大同市) それは、北魏鮮卑拓跋氏帝国の持つ異民族気質を保ちたいと考えたからである。 ●趙襄子により中華となる代。 ●対異民族の最前線、代。 ●前漢文帝が封じられ…

土断法の発案者は西晋の衛瓘

●衛瓘のプロフィール ●蜀漢を滅ぼす成果を挙げた一人 ●衛瓘の異民族政策。 ●八王の乱、最初の勝者 ●衛瓘が土断法を提案した背景。 ●私有民という問題が発生する経緯。 ●万物を所有するはずの中華皇帝司馬炎は我慢する。 東晋から南北朝の時代において、 度々…

北魏皇帝拓跋珪の集権策~部族解体~

北魏道武帝拓跋珪。 一代で北魏帝国を創業。 親征を多々行い、武勇に優れた人物の印象が強いが、 実は拓跋珪は、これまでの異民族皇帝とは異なった政策を行っている。 その一つが、 「諸部族の解体」である。 目的は、拓跋珪自身、皇帝への集権である。 ●異…