2017-03-08から1日間の記事一覧
賈充のことを、中国史上の権臣たちと同様に、 権力を極めようとしたと考えると、見誤る。 賈充はトップとして、責任を取りたくないタイプだ。保身の人である。 頭がいいので、ギャンブルをする勝負師にも見えるが、実態は非常に慎重で臆病な人物だ。 賈充は…
どうも賈充を引き上げたのは、 司馬師のようである。 毌丘倹の乱の折、討伐に従軍している。 司馬氏サイドで賈充が登場するのはこれが初めてとなる。 司馬師は当時大将軍の位にあった。 大将軍は、開府することができる。 大将軍自身の幕僚を抱えることがで…
257年諸葛誕の乱を引き起こす。 この乱が賈充が引き起こした詳細な事情に関しては 司馬昭すらも知らなかったかもしれない。 司馬昭の息子司馬攸に娘を嫁がせる。 舅となる。司馬昭と姻戚関係になる。 260年曹髦弑逆 263年鍾会の乱 長安まで進駐する。 もう司…
賈充は儒家と法家を交えた施政を行なったが、 重要なところで、 我田引水を図った。 そもそも、 皇帝曹髦の弑逆も、 賈充が自死すれば、良かったのだ。 それほどの大罪なのだ。 これで皇帝の価値は地に堕ちた。 刃を向けていい存在にしたのだ。 残念ながら、…
賈充を引き上げたのは、 司馬昭の後継者問題だ。 司馬昭は司馬攸の正妻に、賈充の娘を迎えている。そのタイミングは258年5月以降260年5月以前だ。 司馬昭の息子に、 司馬攸という人物がいる。 司馬昭は、司馬攸を後継者にしたかった。 賈充は司馬攸の婿にな…