歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

2017-05-31から1日間の記事一覧

八王の乱⑨ 司馬倫の輔佐孫秀が賈后政権を終焉させる。

賈后は恵帝の後継者争いに始まり、 賈后の実子の問題に至るまで常に不安に苛まれていた。 父賈充は権臣とはいえ、 もう一人の娘が恵帝の後継者争いのライバルに嫁いでいるのは大きい。 賈后がクーデターを起こした291年から299年までは 安定していた。 しか…

司馬倫と司馬穎の共通項。

司馬倫と司馬穎の共通項。 司馬倫と司馬穎は八王の乱を勝ち切れなかったものの、 強い勢力を持って八王の乱を戦った。 司馬倫は、恵帝から皇位を簒奪し、皇帝にまでなる。 司馬穎は、司馬倫を倒した司馬冏を打倒し、皇太弟になる。 両者とも一度は国権を押さ…

西晋恵帝の謎

恵帝暗愚論に隠された秘密 西晋恵帝の実態 北宋司馬光の西晋恵帝暗愚偽装論 西晋恵帝 実態のまとめ 恵帝の、賈后への感謝。賈后の、恵帝への感謝。 西晋恵帝 三つの時期から実態を考察する。 恵帝暗愚論に隠された秘密 恵帝は暗愚だ、暗愚だと言われる。 あ…

司馬馗家の司馬越、司馬孚家の司馬顒。~傍系の大族~

司馬馗家という単位、司馬孚家という単位で見ると、 司馬越、司馬顒の立ち位置がわかる。 西晋の宗族は、 司馬八達世代 司馬師・司馬昭兄弟 司馬炎兄弟 司馬炎の子供世代 それぞれが家を作り結束して動く。 これは原則となっている。 司馬懿、司馬師、司馬昭…

賈后の立場はいつも不安定。

賈后が命取りになったのは、 恵帝の皇太子司馬遹を廃したことにある。 291年に始まる賈后政権は、イメージとは異なり、 非常にバランスの良い政権であった。 実務能力の高い、張華・裴頠を中心に、 外戚、宗族、名族、賈謐二十四友を中心とした寒門がバラン…

賈后評価の誤解〜賈后の動機は自己防衛〜

賈后を冷静に見つめ直したい。 賈后は、結果として、 政権運営の能力がある。 夫恵帝が皇帝即位までに至る最大の功労者であり、 恵帝の高い信頼を得ていた。 しかし、自身の立場の不安定さに常に苛まれており、 賈后の立場を脅かすような周囲の行動に極めて…

石崇が「賈謐二十四友」を作った。

賈謐二十四友は粒揃いである。 哲学者、文学者、詩人、文化人が揃いに揃っている。 血筋の良い者もいて、武帝の子の舅になっている者もいる。 武官の者もいて、西晋に殉じた者も多い。 当時を代表する傑物ばかり集まっている。 しかし、 賈謐二十四友と言う…