歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

これまでは三国時代から西晋。今は八王の乱、永嘉の乱。八王の乱、永嘉の乱は最高に面白い。

中華皇帝とは

ややこしい五胡十六国時代、南北朝時代は中華正統史観のせいである。

311年から589年までの時代を、 五胡十六国時代、南北朝時代と呼ぶ。 しかしこれは非常にややこしい。 ●華北王朝が優勢の五胡十六国時代 ●ただの二朝並立、南北朝時代 ●北は「索虜」、南は「島夷」 ●南を正統にしたい、後世の王朝 特に北がややこしい。 その…

⑩石勒の中華戦記 劉趙(前趙)と石趙(後趙)並立。劉曜の嫌がらせ

319年に至り、いよいよ石勒は趙王として完全独立する。 趙皇帝劉曜からの猜疑を受けて手切れとなったためだ。 劉曜から仕掛けて石勒と手切れとなったが、 彼我の戦力は実は劉曜が劣勢である。 劉曜は、 関中を本拠に河東、河内を支配する。 石勒は、襄国、鄴…

差別された側が、差別した側を打倒していくのが中華の歴史である。=漢、唐、元が概念を変える=

漢人の異民族に対する差別は、近代の白人の、有色人種に対する考えと同じである。 中華の歴史の中で、差別する差別される側というのは、固定していない。 600年から800年のタームで、変化していく。 差別された側が、差別した側を打倒していくのが中華の歴史…

晋書の意図が劉淵の歴史的事実を「伝説」にすり替えられた。

劉淵と白登山との関係は、晋書の意義を考えると見えて来る。 時代が変わると白登山の意義が変わるのである。 ●晋書の完成を、唐太宗が自身の晩年に急がせた理由: ●唐太宗を初めとした異民族が侵略者ではない理由を作りたい。 晋書は648年の唐の太宗の命によ…

劉淵 漢として自立した真実の理由=劉淵は西晋のエージェントである=

●王に留まる意味:称号と劉淵の人物像から探る。 ●何故漢と名乗ったか。 ●なぜ劉淵が漢を選んだ理由が、白登山の戦いに由来するようになったのか。 304年の10月に劉淵は漢を名乗り自立したことになっている。304年の段階で、劉淵が漢と名乗った理由について…

匈奴単于は中華皇帝の「必需品」~皇帝としての正統性の象徴~

●きっかけは、前200年白登山の戦い ●前漢武帝、中華の雪辱を晴らして、秦の始皇帝とイコールになる。 匈奴の単于を傘下に置くこと、それは中華皇帝にとって、最大の正統性の証であった。 ●きっかけは、前200年白登山の戦い 現在の大同(当時は雁門郡平城。代…

晋書の役割=劉淵が皇帝を名乗った経緯から探る=

●晋書成立の背景 ●晋書の役割 ●唐が受け継いだ北朝の発端 ●劉淵が漢皇帝と同格でかつ漢皇帝を継承するとした時期 現代中国は政治的な国とよく言われる。 それは中国史において、政治的な対処が明確にしているからではないかと 私は考える。 王朝が全く変わる…

劉淵の独立は二回=王であること、皇帝であることは意味が異なる=

劉淵の独立は二度。その意味の違い。 劉淵、自立の経緯 304年の劉淵独立が漢王にとどまる、その意味 劉淵、二度目の独立。308年10月皇帝になる。 このタイミングでなぜ劉淵は皇帝となったか。 劉淵の独立は二度。その意味の違い。 劉淵の自立は、二回ある。 …

劉淵の歴史認識=匈奴漢が祀る三祖五宗とは=

三祖五宗 太祖とは、世祖とは、烈祖とは 劉淵は高祖光文帝。この意味。 劉淵の打ち立てた王朝、匈奴漢の宗廟で祀る皇帝は下記である。 三祖五宗 祀る皇帝は下記である。三祖五宗という。 【三祖】太祖高皇帝劉邦世祖光武帝劉秀烈祖昭烈帝劉備【五宗】太宗文…

劉淵自立の背景=劉淵の天命論=それに対する司馬越の当て付けが劉琨

●天から選ばれた子という天子伝説に則って、劉淵は自立した。 ●祀る皇帝は下記の三祖五宗 劉淵の自立理由は二点だ。 ①匈奴本国の掌握の為である。 ②匈奴の不満を抑える為である。 ●とはいえ304年に自立した劉淵は3年大して動かない。 ●匈奴だけではなく、こ…

317年12月から318年3月まで中華皇帝というこの世の持ち主が存在しない大変な異常事態が起きる。

この世の持ち主が存在しない異常事態: 飼い犬に手を咬まれた中華皇帝: 西晋東晋過渡期の311年ー318年、下記の重要事件が起きる。 ・司馬越病死⇒軍勢滅亡311年4月 ・懐帝 逮捕(洛陽陥落)311年6月 ・懐帝 処刑313年1月 ・愍帝 逮捕(愍帝、降伏)316年11月…

三つ巴の中華覇権争奪戦が311年6月から始まる。~永嘉の乱以後~

311年6月に西晋皇帝懐帝が、匈奴漢に捕らわれてから、 中華覇権争奪戦が始まる。 330年9月に石勒が皇帝となり、華北の覇者としての地位を確立するまで続く。 約20年の争乱である。 ①匈奴漢皇帝 劉聡=匈奴優先= ②石勒=異民族・漢人対等融合= ③西晋残党=…

司馬炎の生き方はディオニュソス的である

司馬炎はディオニュソス的な生き方を志向した皇帝である。 ディオニュソス的=快楽主義。

洛陽が中国の原点

中国大陸を中心とした世界。 北はモンゴル、バイカル湖まで、 東は満州、朝鮮半島まで、 西は、敦煌など西域まで、 南は、昆明やベトナムまで、 を範囲としたエリア。 それより先は、海、山、砂漠などに通行を阻害される。 北は馬などの家畜が豊富。 東は、…

三国時代に九錫に関連して禅譲まで至らなかったケースが散見される。

禅譲までの至らなかったケースが下記4ケースある。 ●諸葛亮: 諸葛亮は非公式に李厳から九錫を受けるようにと勧められている。 229年のようで、第三次北伐で武都・陰平を制圧したタイミングのようだ。 同年孫権が皇帝を称したので、それを受けてなのではな…

王公・執権・九錫の三点セットが禅譲王手

王莽以来の禅譲に際して、 九錫のみが共通項である。 諸侯の最高位(王号など)は共通ではない。 政権における最高執権位(宰衡、丞相、相国など)も共通ではない。 孫権はこのような特別な最高執権位についていない。 九錫のみが共通項である。 禅譲直前の…

元々漢の皇帝のスタイルは劉禅のスタイルだ。

●元々漢の皇帝のスタイルは劉禅のスタイルだ。 前漢高祖劉邦は、専制君主ではあるが、 実際の政治は丞相に任せる。 丞相をメインに、御史大夫、太尉の三公が政治を動かす。 それが変わったのは、 景帝の時代。 前154年の呉楚七国の乱を勝ち切った景帝は、 皇…

前漢・後漢の皇帝権のあり方から三国時代の皇帝を考える。

以下に前漢成立から西晋成立までの 皇帝権に関する流れを記載したい。 ------------------------------------------ 皇帝権確立途上期 ↓ 皇帝権確立 ↓ 皇帝独裁 ↓ 【皇帝独裁⇔輔弼の専横】の相克 ↓ 王莽の儒家的理想政治 ↓ 【皇帝独裁⇔輔弼の専横】の相克 ↓…

漢皇帝劉禅こそが、漢王朝の皇帝権の理想的なあり方である。

---------------------------------------------- 【前漢】 高祖 いわゆる郡国制。すなわち皇帝権が中華全土に及ばない。 ↓ 丞相に政治を委託、輔弼。 景帝 前154年呉楚七国の乱にて、皇帝権中華全土に及ぶ。その後丞相廃止。 ---【ここが漢王朝が中華王朝と…

劉禅は理想の儒家皇帝である。

漢皇帝劉禅。 中国史上最も有名な暗愚な皇帝は劉禅だ。 しかし、劉禅は要所要所で政治対立のバランサーとして 出現する。それも意外とぶれない。 姜維と費禕の対立から、漢皇帝劉禅のスタイルをたどる。 費禕を暗殺したからといってすぐには最高権力者にはな…

新しい王朝を作ったら武帝か?~唐の勘違い~

光武帝 武帝と同じく「世」。前漢武帝は世宗。光武帝は世祖。 光武帝は王朝の復興で、厳密には家は異なるから、だから世祖 武帝だが、前漢武帝がいるので、光をつける。 輝かしい功績を挙げたの意味。 曹操は魏太祖武帝。 太は始まり、祖は祖業の意味。 やは…

曹髦 儒家伝統を踏まえた論理的結論は論理的特攻。

曹操を彷彿させるような、曹髦のスタンス。 儒家的名族の王祥を師父として学ぶ。 王沈・裴秀・司馬望・鍾会とともに、 学問を議論する。 この四人は師ではないのだ。 この見識を持って、自身を論理的に考えたであろう。 皇帝なのに、実権がない。 本来あるべ…

司馬懿=前漢宣帝=後漢光武帝=袁紹③

実は名族の系譜において、 司馬懿の前は袁紹なのである。 袁紹が200年に官渡の戦いで曹操に敗れて以来の 名族政権が249年正始政変(高平陵の変)で実現したのだ。 実に50年ぶりに名族が力を握った。 袁紹はどのような人か。 袁紹はとかく「三国志演義」など…

魏晋南北朝から唐末までの非名族の中華皇帝たち

中国史における軍人皇帝。 名族・貴族の力が強かった魏晋南北朝から、 朱全忠が白馬の禍で貴族を皆殺しにするまでは、軍人皇帝は名族から毛嫌いされた。 西晋・東晋は、名族・河内司馬氏。だから良い。しかし、 曹操、五胡の諸君主、劉裕、蕭道成、陳覇先、…

司馬炎の前までは皇帝は下流の人がなるものだった

司馬炎の前までは 皇帝は名族がなるものではなかった。 秦始皇帝=秦王室自体が西戎の出身 劉邦=沛の無頼漢 劉秀=劉邦の子孫。小領主の次男。 曹操=宦官の孫 劉備=筵を織るような貧しい民 孫権=父の孫堅は、無頼漢。 むしろ項羽や王莽など、上記皇帝の…

高祖劉邦が天下を取ったことが儒家にとっての大誤算

儒家の誤算。 始皇帝も劉邦も、曹操も、天下を取るはずではなかった。大きな誤算。 劉邦が天下を取った。 これをどう捉えるか。 いずれにしても大きく社会は変動した。 秦までは、王と貴族の時代。 それが劉邦という無頼の徒に天下を許してしまったという衝…

誰々という「皇帝」がいるのではない

皇帝は皇帝である。 皇帝は皇帝であることを求められる。 ややこしいが、 原則、始皇帝も高祖劉邦も、 全て皇帝であって、皇帝という存在は常に同じという 考え方である。 だから、皇帝の判断は常に同じという考え。 もちろん実態は人格があるので、 人によ…

漢王朝正統アイディンティティ

漢王朝正統アイデンティティ。 漢朝400年の後を承けて、 建てた魏。魏は、歴史に伝統に伝説に挑戦した。 漢朝400年の歴史は、 皇帝は劉氏しかありえないという 伝説をもたらした。 これは大きな漢人のアイディンティティにもなる。 漢が本来の正統である。 …

中華皇帝はこの世にあるもの全てを私有する。

結論として、 中華皇帝の王朝国家は、現代の国というより、 現代の私企業に近い。すなわち絶対無比である。 (上記は参考図書。 皇帝、天皇という概念が記してある。) 例えば、漢とか魏とか、 呉とかという国があったという 概念ではない。 唯一人の皇帝が…