中華皇帝とは
光武帝 武帝と同じく「世」。前漢武帝は世宗。光武帝は世祖。 光武帝は王朝の復興で、厳密には家は異なるから、だから世祖 武帝だが、前漢武帝がいるので、光をつける。 輝かしい功績を挙げたの意味。 曹操は魏太祖武帝。 太は始まり、祖は祖業の意味。 やは…
曹操を彷彿させるような、曹髦のスタンス。 儒家的名族の王祥を師父として学ぶ。 王沈・裴秀・司馬望・鍾会とともに、 学問を議論する。 この四人は師ではないのだ。 この見識を持って、自身を論理的に考えたであろう。 皇帝なのに、実権がない。 本来あるべ…
実は名族の系譜において、 司馬懿の前は袁紹なのである。 袁紹が200年に官渡の戦いで曹操に敗れて以来の 名族政権が249年正始政変(高平陵の変)で実現したのだ。 実に50年ぶりに名族が力を握った。 袁紹はどのような人か。 袁紹はとかく「三国志演義」など…
中国史における軍人皇帝。 名族・貴族の力が強かった魏晋南北朝から、 朱全忠が白馬の禍で貴族を皆殺しにするまでは、軍人皇帝は名族から毛嫌いされた。 西晋・東晋は、名族・河内司馬氏。だから良い。しかし、 曹操、五胡の諸君主、劉裕、蕭道成、陳覇先、…
司馬炎の前までは 皇帝は名族がなるものではなかった。 秦始皇帝=秦王室自体が西戎の出身 劉邦=沛の無頼漢 劉秀=劉邦の子孫。小領主の次男。 曹操=宦官の孫 劉備=筵を織るような貧しい民 孫権=父の孫堅は、無頼漢。 むしろ項羽や王莽など、上記皇帝の…
儒家の誤算。 始皇帝も劉邦も、曹操も、天下を取るはずではなかった。大きな誤算。 劉邦が天下を取った。 これをどう捉えるか。 いずれにしても大きく社会は変動した。 秦までは、王と貴族の時代。 それが劉邦という無頼の徒に天下を許してしまったという衝…
皇帝は皇帝である。 皇帝は皇帝であることを求められる。 ややこしいが、 原則、始皇帝も高祖劉邦も、 全て皇帝であって、皇帝という存在は常に同じという 考え方である。 だから、皇帝の判断は常に同じという考え。 もちろん実態は人格があるので、 人によ…
漢王朝正統アイデンティティ。 漢朝400年の後を承けて、 建てた魏。魏は、歴史に伝統に伝説に挑戦した。 漢朝400年の歴史は、 皇帝は劉氏しかありえないという 伝説をもたらした。 これは大きな漢人のアイディンティティにもなる。 漢が本来の正統である。 …
結論として、 中華皇帝の王朝国家は、現代の国というより、 現代の私企業に近い。すなわち絶対無比である。 (上記は参考図書。 皇帝、天皇という概念が記してある。) 例えば、漢とか魏とか、 呉とかという国があったという 概念ではない。 唯一人の皇帝が…