歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

v

中華皇帝とは

新しい王朝を作ったら武帝か?~唐の勘違い~

光武帝 武帝と同じく「世」。前漢武帝は世宗。光武帝は世祖。 光武帝は王朝の復興で、厳密には家は異なるから、だから世祖 武帝だが、前漢武帝がいるので、光をつける。 輝かしい功績を挙げたの意味。 曹操は魏太祖武帝。 太は始まり、祖は祖業の意味。 やは…

曹髦 儒家伝統を踏まえた論理的結論は論理的特攻。

曹操を彷彿させるような、曹髦のスタンス。 儒家的名族の王祥を師父として学ぶ。 王沈・裴秀・司馬望・鍾会とともに、 学問を議論する。 この四人は師ではないのだ。 この見識を持って、自身を論理的に考えたであろう。 皇帝なのに、実権がない。 本来あるべ…

司馬懿=前漢宣帝=後漢光武帝=袁紹③

実は名族の系譜において、 司馬懿の前は袁紹なのである。 袁紹が200年に官渡の戦いで曹操に敗れて以来の 名族政権が249年正始政変(高平陵の変)で実現したのだ。 実に50年ぶりに名族が力を握った。 袁紹はどのような人か。 袁紹はとかく「三国志演義」など…

魏晋南北朝から唐末までの非名族の中華皇帝たち

中国史における軍人皇帝。 名族・貴族の力が強かった魏晋南北朝から、 朱全忠が白馬の禍で貴族を皆殺しにするまでは、軍人皇帝は名族から毛嫌いされた。 西晋・東晋は、名族・河内司馬氏。だから良い。しかし、 曹操、五胡の諸君主、劉裕、蕭道成、陳覇先、…

司馬炎の前までは皇帝は下流の人がなるものだった

司馬炎の前までは 皇帝は名族がなるものではなかった。 秦始皇帝=秦王室自体が西戎の出身 劉邦=沛の無頼漢 劉秀=劉邦の子孫。小領主の次男。 曹操=宦官の孫 劉備=筵を織るような貧しい民 孫権=父の孫堅は、無頼漢。 むしろ項羽や王莽など、上記皇帝の…

高祖劉邦が天下を取ったことが儒家にとっての大誤算

儒家の誤算。 始皇帝も劉邦も、曹操も、天下を取るはずではなかった。大きな誤算。 劉邦が天下を取った。 これをどう捉えるか。 いずれにしても大きく社会は変動した。 秦までは、王と貴族の時代。 それが劉邦という無頼の徒に天下を許してしまったという衝…

誰々という「皇帝」がいるのではない

皇帝は皇帝である。 皇帝は皇帝であることを求められる。 ややこしいが、 原則、始皇帝も高祖劉邦も、 全て皇帝であって、皇帝という存在は常に同じという 考え方である。 だから、皇帝の判断は常に同じという考え。 もちろん実態は人格があるので、 人によ…

漢王朝正統アイディンティティ

漢王朝正統アイデンティティ。 漢朝400年の後を承けて、 建てた魏。魏は、歴史に伝統に伝説に挑戦した。 漢朝400年の歴史は、 皇帝は劉氏しかありえないという 伝説をもたらした。 これは大きな漢人のアイディンティティにもなる。 漢が本来の正統である。 …

中華皇帝はこの世にあるもの全てを私有する。

結論として、 中華皇帝の王朝国家は、現代の国というより、 現代の私企業に近い。すなわち絶対無比である。 (上記は参考図書。 皇帝、天皇という概念が記してある。) 例えば、漢とか魏とか、 呉とかという国があったという 概念ではない。 唯一人の皇帝が…