歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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八王の乱

司馬乂・司馬穎の兄弟喧嘩〜303年〜 正論を述べる司馬乂、人間らしい司馬穎

司馬冏が滅びると、司馬乂と司馬穎の兄弟喧嘩である。 兄弟喧嘩の背景 兄弟喧嘩が政局に与える影響 兄弟喧嘩が軍事衝突を引き起こす。 司馬越の裏切り 兄弟喧嘩の背景 これも西晋と言う時代の縮図である。 出自が良く、漢籍を収め儒教的経典の教養を身につけ…

司馬穎政権の仲間割れ 司馬越の後悔〜304年〜

司馬穎政権 全く支持が得られないその理由: 司馬越たちの後悔 さて、司馬越が司馬乂を裏切ってくれたことで、司馬穎はようやく政権を奪取できた。【司馬穎政権】-------------------304年1月28日司馬乂は司馬越の手により、火炙りに処され、殺された。司馬…

出自が似通いウマが合う、司馬穎と恵帝皇太子司馬遹。

司馬穎は恵帝の皇太子司馬遹と仲が良かった。 理由は二つある。 ①年齢が近いこと ②両者の母の出自が卑しいこと ①年齢が近いこと 司馬遹は278年生まれ、司馬穎は279年生まれである。 ②両者の母の出自が卑しいこと 司馬遹の母は、屠殺業者の家の出身で、…

武帝司馬炎の男子、尋常でない夭折率 三分の二が夭折

成人できた武帝司馬炎の子: 夭折した武帝司馬炎の子: 宮中での暗闘は彼ら成人した武帝司馬炎の子とその身内で行われる。 武帝司馬炎の子は下記の通りである。 ------------------ 武帝司馬炎の男子は、26人いる。 うち、夭折したのが17人いる。成人し…

司馬穎「いけしゃあしゃあと理屈を説いてくる兄司馬乂などと組めるか!」 八王の乱唯一の兄弟喧嘩 八王の乱⑯

八王の乱唯一の兄弟喧嘩 司馬乂 対 司馬穎 司馬穎「いけしゃあしゃあと理屈を説いてくる兄司馬乂などと組めるか!」 ①司馬朗家(司馬威) ②司馬馗家(司馬越) ③司馬孚家(司馬顒) ④司馬肜 ⑤司馬倫 ⑥司馬伷家(司馬睿・司馬澹・司馬繇) ⑦司馬駿家(司馬歆…

八王の乱⑮ 言い出しっぺと実行者が異なることで対立が生まれる。司馬穎 司馬乂

①司馬朗家(司馬威) ②司馬馗家(司馬越) ③司馬孚家(司馬顒) ④司馬肜 ⑤司馬倫 ⑥司馬伷家(司馬睿・司馬澹・司馬繇) ⑦司馬駿家(司馬歆) ⑧司馬攸家(司馬冏)司馬師家でもある。 ⑨司馬允 ⑩司馬乂 ⑪司馬穎 302年12月に司馬冏が敗死すると、 プレイヤーは…

八王の乱⑭ 司馬倫挙兵のリーダー・司馬冏に対する司馬穎の嫉妬

司馬冏と司馬穎は並び立つのか: 司馬肜・司馬伷家・司馬駿家・司馬乂の帰趨: 301年4月時点: 【司馬冏政権】---------------------------------------- ①司馬朗家(司馬威) ②司馬馗家(司馬越) ③司馬孚家(司馬顒) ④司馬肜 ⑤司馬倫 ⑥司馬伷家(司馬…

八王の乱⑬ 狭義の八王の乱(301-306年)の各プレイヤーについて

宗族のプレイヤーは司馬倫クーデターの時点でこれだけいる。 ①司馬懿の兄弟世代→司馬朗家・司馬馗家、司馬孚家 ②司馬師・司馬昭の兄弟世代→司馬肜・司馬倫・司馬伷家・司馬駿家 ③武帝司馬炎の兄弟世代→司馬攸家 ④恵帝の兄弟世代→恵帝自身・司馬允・司馬乂・…

八王の乱⑫ 司馬倫の賈后打倒は宗族クーデターである。

司馬倫のクーデターは 賈后に対する宗族クーデターだった。 西晋の皇族である、河内司馬氏には、 八王の乱の時点で、 四つのカテゴリーの勢力がある。 そしてそれはそれぞれ家の単位で自己防衛を図る。 ①司馬懿の兄弟世代 ②司馬師・司馬昭の兄弟世代 ③武帝…

八王の乱⑪ 司馬倫の「簒奪」は決して独り善がりの行為でもない。

司馬倫は司馬允を打倒したのち、 恵帝から九錫を受ける。 これで司馬倫は、趙王・相国・九錫・(都督中外諸軍事)となる。 この三つが揃うことの意味は、皇位禅譲の王手である。 これは王莽、曹操、孫権、司馬昭に続く、史上四人目のことである。 司馬倫が宗…

八王の乱⑩ 賈后を滅ぼした司馬倫・孫秀は本性を露わす。

【司馬倫政権】----------------------------- 司馬倫は賈后を間接的に嵌め、 皇太子を殺害させて、皇太子を殺害した賈后および賈氏一派の 打倒を掲げて、政権を奪取した。(300年4月) その謀主は、司馬倫である。 司馬倫は、西晋高祖司馬懿の第九子で、末…

八王の乱⑨ 司馬倫の輔佐孫秀が賈后政権を終焉させる。

賈后は恵帝の後継者争いに始まり、 賈后の実子の問題に至るまで常に不安に苛まれていた。 父賈充は権臣とはいえ、 もう一人の娘が恵帝の後継者争いのライバルに嫁いでいるのは大きい。 賈后がクーデターを起こした291年から299年までは 安定していた。 しか…

司馬倫と司馬穎の共通項。

司馬倫と司馬穎の共通項。 司馬倫と司馬穎は八王の乱を勝ち切れなかったものの、 強い勢力を持って八王の乱を戦った。 司馬倫は、恵帝から皇位を簒奪し、皇帝にまでなる。 司馬穎は、司馬倫を倒した司馬冏を打倒し、皇太弟になる。 両者とも一度は国権を押さ…

西晋恵帝の謎

恵帝暗愚論に隠された秘密 西晋恵帝の実態 北宋司馬光の西晋恵帝暗愚偽装論 西晋恵帝 実態のまとめ 恵帝の、賈后への感謝。賈后の、恵帝への感謝。 西晋恵帝 三つの時期から実態を考察する。 恵帝暗愚論に隠された秘密 恵帝は暗愚だ、暗愚だと言われる。 あ…

司馬馗家の司馬越、司馬孚家の司馬顒。~傍系の大族~

司馬馗家という単位、司馬孚家という単位で見ると、 司馬越、司馬顒の立ち位置がわかる。 西晋の宗族は、 司馬八達世代 司馬師・司馬昭兄弟 司馬炎兄弟 司馬炎の子供世代 それぞれが家を作り結束して動く。 これは原則となっている。 司馬懿、司馬師、司馬昭…

賈后の立場はいつも不安定。

賈后が命取りになったのは、 恵帝の皇太子司馬遹を廃したことにある。 291年に始まる賈后政権は、イメージとは異なり、 非常にバランスの良い政権であった。 実務能力の高い、張華・裴頠を中心に、 外戚、宗族、名族、賈謐二十四友を中心とした寒門がバラン…

賈后評価の誤解〜賈后の動機は自己防衛〜

賈后を冷静に見つめ直したい。 賈后は、結果として、 政権運営の能力がある。 夫恵帝が皇帝即位までに至る最大の功労者であり、 恵帝の高い信頼を得ていた。 しかし、自身の立場の不安定さに常に苛まれており、 賈后の立場を脅かすような周囲の行動に極めて…

賈謐二十四友 詳細 ⑰~㉒ 周恢・牽秀・陳眕・郭彰・許猛・劉訥

⑰周恢 ⑱牽秀 ⑲陳眕 ⑳郭彰 ㉑許猛 ㉒劉訥 について。 -------------------------------------------------------- ⑰周恢・・・ 詳細は不明だが、 娘は、武帝司馬炎の子司馬遐(273年ー300年)に嫁ぎ、司馬覃を産む。 司馬遐は武帝司馬炎の第13子で清河王。 賈…

賈謐二十四友 詳細 ⑥~⑯ 鏐世徴・杜斌・摯虞・諸葛銓・王粹・杜育・鄒捷・左思・崔基・劉瓌・和郁

⑥鏐世徴 ⑦杜斌 ⑧摯虞 ⑨諸葛銓 ⑩王粹 ⑪杜育 ⑫鄒捷 ⑬左思 ⑭崔基 ⑮劉瓌 ⑯和郁 について。 -------------------------------------------------------- ⑥鏐世徴・・・不明。 -------------------------------------------------------- ⑦杜斌(とひん)・・・ 杜…

賈謐二十四友 詳細~①石苞②欧陽建③潘岳④陸機⑤陸雲

①石崇 ②欧陽建 ③潘岳 ④陸機 ⑤陸雲 について、下記に記す。 ------------------------------------------------------------------ ①石崇・・・建国元勲の石苞の末子。 石苞は晩年司徒にまで登った。元々武官であり、寒門(非名族)。 同じく寒門の鄧艾ととも…

賈謐二十四友の概要:末路と由来

賈謐二十四友というわけなので、24名いる。 彼らの事績を各論で述べる前に、全体像から入って説明をしたい。 賈謐二十四友というが、賈后政権が倒れた際に、司馬倫ないしは孫秀に殺されたのは、4名のみである。 ほかは生き延びた。決して、全員が賈后・賈謐…

賈謐にとっての、「賈謐二十四友」とは何なのか。

【賈謐二十四友は、賈謐と石崇が手を結んだことによる産物である。】 賈充の外孫で賈充家の当主賈謐は長じて、 士大夫と交流を積極的に持つ。 それらは賈謐二十四友と呼ばれる。メンバーは、 石崇・欧陽建・潘岳・陸機・陸雲・鏐世徴・杜斌・摯虞・諸葛銓・…

八王の乱⑧ 賈后政権の構成 賈充の政敵張華と司馬越の父司馬泰が参画

【賈后政権】ーーーーーーーーーーー さて、賈后が政権を摂るが、 この期間は安定していたことは間違いのないことである。 ちょうど、元康年間(291年ー300年)とほぼ同時期である。 賈后が政権を摂ったとはいえ、政権運営ができるわけではない。 本来は、…

八王の乱⑦ 賈后が政権を獲るまで 楊氏から司馬亮滅亡まで

ーーーーーーーーーーーーーーーーー 【楊駿政権】ーーーーーー 290年4月世祖武帝司馬炎崩御。 恵帝即位。 外戚弘農楊氏の楊駿が後見。(後漢の名臣楊震の末裔ということになる。) 楊駿は、太尉、太子太傅、都督中外諸軍事、侍中、録尚書事。 非常に緊迫感の…

八王の乱を楽しむ⑥ 歴史の終わりであり始まりである八王の乱

八王の乱の楽しみ方。 中国史上の中で、 著名にも関わらず最もわかりにくい事変の一つだ。 その理由は多々ある。 ・登場する人物が司馬某が多く、誰が誰だかわからない。 ・そもそも西晋に対しての興味が湧きにくい。 ・八王の乱の結果がより一層混迷するの…

八王の乱⑤ 司馬倫・司馬越は皇位を主張できない。

【誰が西晋の天命を受け継ぐかによって、大義名分が変わる】 300年に恵帝の皇太子(愍懐太子)司馬遹が賈后に殺されてから、 諸王は皇太弟になる形で、権力を握ろうとしてきた。 しかしながら、争いに勝ち切った、司馬倫と司馬越は、 それができない。 恵帝…

司馬炎家のみが天命を継ぐという武帝司馬炎の意志表示

太祖が司馬昭、世祖が司馬炎。 誰が天命を受けたか問題。 これが司馬氏の亀裂を産んだ。 太祖司馬昭が天命を受ける。 世祖が司馬炎で、その天命を受け継ぐ。漢において、太祖が劉邦、世祖が光武帝劉秀であることを考えれば、すぐに意味はわかる。 しかし、 …

武帝司馬炎の、誰が天命を受けたのかの争いが八王の乱の遠因となる。

自分の血統にこだわる武帝司馬炎。 廟号からたどる。 〜天命を継ぐのは司馬昭家のみなのか。司馬懿家なのか。〜 〜司馬炎の天命の独占が、八王の乱を引き起こした。〜 武帝司馬炎は、 とことん自身の血統に拘った。 そう言われてみれば当然と言えば当然なの…

八王の乱④ 司馬越の偽善から始まる利己主義

司馬越の登場が、西晋の命運を決める。 繰り返しになるが八王の乱はまとめると下記の通りである。 --------------------------------- 賈后がきっかけとなり、 司馬倫が宗族争いへと発展させ、 司馬越が勝ち残ったが、西晋は分裂した。 そこを劉曜と石勒が突…

八王の乱③ 司馬倫がきっかけで以後は宗族同士の争い

司馬倫の狡猾かつ巧妙な策謀が賈后を滅ぼす。 --------------------------------- 賈后がきっかけとなり、 司馬倫が宗族争いへと発展させ、 司馬越が勝ち残ったが、西晋は分裂した。 そこを劉曜と石勒が突き、西晋は滅亡したのである。 --------------------…