歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

前秦

苻堅の大失敗、淝水の戦いー大敗の理由。

華北を統一し、石勒を越える領土を獲得した苻堅。 ●寿春-合肥ルート単独は鬼門。 ●蜀だけではダメ ●苻堅は蜀は取れたが荊州は取れなかった。 ●襄陽は荊州から中原へ出るための最前線。 ●武昌は地政学的に荊州のへそ。 ●江陵は楚の都。 ●江南勢力の必勝パタ…

淝水ってどこ?【淝水の戦い】

●淝水ってどこ? ●寿春周辺の地形について ●淝水の場所: 淝水の戦いであるが、これは苻堅の大失敗である。 それどころか、この敗戦で苻堅は全てを失った。 しかしこの淝水とは一体どこのことであろうか。 ●淝水ってどこ? 前秦苻堅が大負けした、 中華史上…

謝安批判論。政権掌握も淝水も一時の幸運に過ぎない。 東晋末期①

謝安は反桓温派の貴族名族を代表する人物である。 だから、 のちに王導の瑯琊王氏とともに、 貴族トップとなる。 王導と同じく貴族名族へ利益誘導したからである。 謝安は桓温の死後政権を掌握したが、 それはほんの一時期に過ぎない。 ●東晋の内部闘争グセ…

徙民政策④最大限活用する前秦と北魏。

徙民政策を完成させた後趙と前燕。 ●前秦苻堅は滅ぼした敵対勢力を全て長安へ移住させる。 ・前秦の人口対策 ・前秦苻堅の儒教的発想 ●北魏の華北統一で大規模な徙民政策はひと段落する。 ●徙民政策で民族シャッフルが進んだ華北 これを受けて、 前秦と北魏…

徙民政策③華北異民族の常套手段へ

徙民政策は、曹操・曹丕に始まり、 石勒が完成させ、その後各王朝に受け継がれる。 石虎、前燕、前秦、後燕、後秦、北魏と 数十万人単位の徙民政策を行なって国家体制を固めることとなる。 それほど有用な政策であった。 初めは孤立を補うための政策。 のち…

胡漢融合を成し遂げた前秦王猛

●東晋の緩やかな分裂。 ●自制を促す王猛が死去すると、歯止めが利かなくなる前秦。 ●苻堅のナルシスト傾向 ●胡漢融合こそ、前秦の成功要因。 ●東晋の緩やかな分裂。 東晋は、 謝安と桓沖の手打ちにより、 376年 謝安が東晋の実権を握る。 桓沖は桓温以来の勢…

苻堅ペースの13年間 370年ー383年

苻堅のペースが続く、370年から383年。 ●369年桓温第三次北伐失敗から383年淝水の戦いまでの流れ。 ●まずは慕容恪 ●満を持しての桓温出兵 ●苻堅、王猛を使って前燕を滅ぼす。 ●苻堅ペースの13年間 370年ー383年 その間東晋は内部分裂をし始める。 ここに至る…

357年から370年までの前燕、前秦、東晋の三国時代の推移

●357年時点 ・前燕 ・前秦 ・東晋 ●前燕と東晋の黄河ー淮水間攻防戦 ●前燕、破竹の勢いで南下。 ●前燕皇帝慕容儁が早死。慕容恪摂政。 ●自身を周公旦になぞらえた慕容恪、364年洛陽攻略するも367年に死去。 ●慕容恪の死を機に桓温が第三次北伐。 ●東晋の反撃…

357年末時点で前燕・東晋・前秦の三国対立が確定

357年末で三国対立の情勢が確立する。 ●前秦まとまる。姚襄の死と、苻堅即位。 ●前燕の河北制覇 ●東晋 桓温全盛期 ●前燕、前秦、東晋の三国対立が確定。 ●前秦まとまる。姚襄の死と、苻堅即位。 姚襄は桓温に敗れた後、 幷州の平陽に逃げ込む。 劉淵が建てた…

東晋北伐⑯絶好のチャンス、桓温第二次北伐洛陽攻撃

桓温の第二次北伐の実行。 ●桓温対建康政府の対立。 ●東晋政府から反対された桓温の第二次北伐 ●前燕鮮卑慕容部はライバルの青州段部に付きっ切り ●前秦は皇帝苻生の暴政により混乱中。 ●姚襄と桓温の洛陽伊水決戦。 桓温は、354年の前半に第一次北伐を実行…

氐族の前秦苻氏 苻堅に至るまで。

前秦苻氏。異民族の氐族である。 元々は蒲氏である。 後趙石虎死後に苻洪(当時は蒲洪)が 後趙から離反した時に、姓を変えた。 出身は、 略陽(今の甘粛省天水市秦安県。天水市北部)である。 天水秦安なので、 羌族の南安よりも東で、長安寄りである。 苻…

東晋北伐⑪長安包囲 桓温第一次北伐は電撃戦

●北伐とは、非常に割りの合わない事業。 ●桓温得意の電撃戦。 ●司馬勲という異形の存在が秦嶺山脈越え。 ・司馬勲とは ●桓温自身は武関経由で関中へ侵入。 ●英雄桓温の誕生は、桓温の真摯さか、狡猾さか。 桓温の第一次北伐 桓温の北伐は上奏の結果、政権首…

五胡十六国時代の第2フェーズは「三国時代」。

殷浩が姚襄に裏切られ、 北伐は失敗。 殷浩は姚襄を暗殺しようとしていたのだから当然であった。 桓温の、殷浩に対する左遷要請に、建康政府(つまり司馬昱)は折れ、 殷浩を放逐する。 こうして桓温にお鉢が回ってくる。 ここで352年の殷浩北伐失敗から370…