歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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名族

崔逞の失言?~北魏皇帝と清河崔氏の因縁の始まり~

崔逞(さいてい)。 名族清河崔氏の出身である。 ●名族・清河崔氏は斉の末裔。 ●崔琰、曹操に誅殺されてさらに名を上げる。 ●漢人を掌握するための、清河崔氏。 ●漢人グループのトップとして異民族皇帝とのコミュニケーションに苦労する。 ●清河崔氏、受難の…

拓跋珪による本格的漢人統治。北魏皇帝と清河崔氏の因縁の始まり~崔逞の嫌味~

「拓跋珪が初めて異民族皇帝として漢人統治を本気でしようとする。」 ●拓跋珪が崔逞を不敬とする経緯。 ●漢地の統治には漢人官僚が不可欠。 ●東晋返書事件で崔逞を自死させる、二つの意義 ①拓跋珪、漢人をマネジメントする。 ②拓跋珪、崔逞の嫌味を認識した…

謝安を6つの視点から批判する⑤〜謝安賞賛は桓温批判のこと〜

謝安6つの批判の最終稿である。 ●⑥に関する引用文 ●⑥の反論〜桓沖側からの積極的な撤退〜 ●謝安のドラマチックなエピソードに騙されてはならない。 ●謝安賞賛は桓温批判のためである。 謝安賞賛=桓温批判が、 結論だ。 後世の貴族名族たちは、 自分たちを圧…

謝安を6つの視点から批判する④〜謝安の「無為自然」〜

さて、この 「謝安を6つの視点から批判する④」では、 下記引用文の④⑤に関して、 謝安批判を展開したい。 ●引用文 ④と⑤のパート ●④の反論〜桓温は禅譲を狙っていない〜 ●⑤の反論〜桓温が死んですぐに謝安が政権を取ったわけではない。〜 ・謝安は王導と並び称…

謝安を6つの視点から批判する③〜陪臣の意味〜

謝安批判の三つ目の視点。 それははじめての任官が 陪臣である点である。 ●③の反論~陪臣~ ・開府の副官のポジションについて ・諸葛亮ー費禕・楊儀の場合。 ・司馬師ー賈充の場合 ・曹操と夏侯惇は同僚である。 ●そこまですごくない謝安。 陪臣は日本の呼…

謝安を6つの視点から批判する②土断と清談

前回は序文の位置付けで 謝安批判文を述べた。 今回はより具体的な反論文を載せたい。 6つの批判ポイントのうち、2つを挙げる。 ●謝安を批判ポイントの引用文 ●①に対する反論〜土断を拒否したのは謝安ら貴族名族〜 ●②の反論〜清談の名士は褒め言葉ではない〜…

謝安を6つの視点から批判する①

●引用文を受けての、6つの謝安批判。 下記の、先日の「謝安批判論」でも述べたが、 謝安は取り立てて何か優れた業績をあげているわけではない。 www.rekishinoshinzui.com 桓温をこけ落とすために、 謝安は持ち上げられただけであり、 謝安自身に評価すべき…

桓温を模倣する劉裕 東晋末期④

東晋の輿論を得ていた桓温。 その威光を背景に桓温の子、桓玄は皇位を簒奪。 しかしその性急なやり方は反発を買い、 劉裕に足をすくわれる。 ●軍を賤む貴族名族 ●貴族名族と劉裕はwin-winの関係 ・有職故実に詳しい貴族名族の支援を受けた劉裕は禅譲への道を…

謝安批判論。政権掌握も淝水も一時の幸運に過ぎない。 東晋末期①

謝安は反桓温派の貴族名族を代表する人物である。 だから、 のちに王導の瑯琊王氏とともに、 貴族トップとなる。 王導と同じく貴族名族へ利益誘導したからである。 謝安は桓温の死後政権を掌握したが、 それはほんの一時期に過ぎない。 ●東晋の内部闘争グセ…

南朝皇帝はただのガードマン。快楽主義の貴族名族を守るために。

420年に東晋は劉裕の手により滅亡する。 その後100年強を南朝と呼ぶ。 ●軍人皇帝―貴族名族の密約こそが六朝文化を爛熟させる。 ・国防の担い手を探す貴族名族たち ・劉裕と貴族名族の結託 ●南朝を事実上支配するのは、皇帝になった血筋よりも上位に立つ貴族…

名族を裏切る皇帝司馬炎、名族の支持を永遠に失う中華皇帝【皇帝の存在価値②】

前回まで理想の皇帝が社会の変容によって 価値を失っていく経緯について 述べた。 ●皇帝司馬炎の裏切り ●司馬炎が歴史的に皇帝と諸侯(貴族名族)の関係を破綻させた。 ●皇帝は有名無実であって欲しい、貴族名族の時代 ●意外と復古主義な庾氏三兄弟と桓温 ●…

理想の皇帝が煙たがられて、司馬炎という名族皇帝が誕生する。【皇帝の存在価値①】

※dorontaさんのコメントで着想を得ました。感謝いたします。 中華皇帝の価値は時代によって変容する。 皇帝の存在が理想的な時代から、 煙たがられるまでについてここでは述べたい。 ●とてつもなく素晴らしかった皇帝制度 ●農民のリーダーとしての前漢皇帝 ●…

呉郡四姓は誰のことか=彼らの由緒、由来とその境遇=

呉郡四姓とは、 三国志の時代に出てくる、 顧雍、陸遜、張温、朱桓のことである。 司馬睿が南遷したときに、建業を中心とした 江南エリアで力を持っていた呉郡四姓という存在がいる。 彼らが江南土着勢力の代表である。 ●呉郡四姓とは何を指すのか。 ●呉郡呉…

東晋丞相王導の献言で司馬睿が南遷したという「嘘」=彼は保身に走る単なる政治家である。=

王導の献言で司馬睿が南遷したというのは嘘だ。 ●王導の虚実 ●司馬睿南遷は司馬越の指示 ●司馬越直属の参軍王導は監軍として司馬睿南遷に同行。 参軍とは: 監軍とは: ●王導の自己保身 ●●●●●司馬越の監軍 王導●●● www.rekishinoshinzui.com ●王導の虚実 後…

西晋を滅ぼした石勒、曹操との類似性。

◾️石勒の遺言と曹操の遺言の比較◾️ ●石勒という奴隷出身者と、曹操という宦官の「孫」、究極の成り上がり。 ●中原の確保。事実上の天下取り。 ●中華統一王朝後漢と西晋を事実上の滅亡に追い込む、曹操と石勒。 ●「鄴」を本拠に置く、軍事重視の姿勢。 ●胡漢…

軍勢の中身から辿る、310年11月司馬越の江南逃亡。~事実上の「遷都」作戦②~

司馬越が洛陽を離脱したが、その目的を軍勢の中身、実態から探る。 洛陽を空っぽにまでして出発したこの軍勢の実態とは?

司馬師から政治スタンスが儒家・寛容の政治へ変わる。

司馬師の政治スタンスは、 儒家寄りの寛容スタンスであると私は言い切る。 ここで、司馬懿の法家儒家の混在から、 儒家にシフトする。 理由は下記の三点。 ・伊尹の古例から始まるのが象徴的。 ・孫権死後の対呉戦の敗北に関して、 自身を罰する。 ・皇帝曹…

袁紹と司馬懿の中継ぎ役が荀彧=荀彧は自殺していない=

●袁紹と司馬懿を繋ぐもの、荀彧 荀彧も名族である。名族の系譜では、袁紹と司馬懿の間をつなぐ者である。 名族の歴史では、荀彧は曹操に負けたことになる。 それで曖昧な存在になっているのが、荀彧である。 本当は、 袁紹→(荀彧)→司馬懿だ。 下記に、陳寅…

魏晋南北朝から唐末までの非名族の中華皇帝たち

中国史における軍人皇帝。 名族・貴族の力が強かった魏晋南北朝から、 朱全忠が白馬の禍で貴族を皆殺しにするまでは、軍人皇帝は名族から毛嫌いされた。 西晋・東晋は、名族・河内司馬氏。だから良い。しかし、 曹操、五胡の諸君主、劉裕、蕭道成、陳覇先、…

名族の存在は学歴社会に似ている

名族社会・貴族社会は学歴社会に似ている。 「私は司馬丸々と申します。」 「ああ、あの河内温県の司馬さんですか。 それは厳しい教育を受けたのでしょう 先祖の遺風も受けているのでしょう 文武両道なのでしょうね。 兄弟みなさん優秀なのですか。」 などと…

儒教の理想、周公旦

周公旦こそ社会福祉の理想像。 周公旦は中原に社会秩序を作った。 礼制を作った。 周公旦のようなモラルで社会に接するべき。 このスタイルをそれぞれの大小問わず社会単位で 求めた。 村、街、首都など社会は様々だが、 周公旦の在り方が理想となった。 周…

名族は社会福祉。その理想は周公旦。

名族とは何か。 名族とは貴族とか士族とかともいう。 名族自体は、名望のある一族という意味。 色々な定義はある。 私は中国の名族・貴族とは、 血胤関係に基づいた利権関係と主張する。 一族の先祖のある人。 なんとか官吏になれた。 下位の官吏だが、なん…