歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

後秦

北魏拓跋珪は402年柴壁の戦いで後秦に対して「抹殺戦法」

●402年柴壁の戦いで後秦を大破。 ●オルドスの匈奴鉄弗部がきっかけの、柴壁の戦い ●後秦が北魏の平陽を攻撃した背景。 ●拓跋珪の迅速な親征 ●北魏拓跋珪の成功要因・抹殺戦法 ●402年柴壁の戦い、その後。 ●匈奴鉄弗部赫連勃勃の自立。 ●402年柴壁の戦いで後…

姚泓後秦滅亡原因の一つは胡漢融合の失敗~「文弱」になる、異民族の王の後継者~

●内憂外患、四面楚歌の姚泓 ●「文弱」になる、異民族の王の後継者 ●鳩摩羅什が姚興に中華国家を志向させた。 ●中身は「漢人」の姚泓に対する、羌族姚氏の反発。 ●内憂外患、四面楚歌の姚泓 内憂外患。 四面楚歌。 姚泓が後を継ぐも、 非常に厳しい対外情勢と…

姚興の治世後半の落日。仲良し後秦羌族姚氏の末日。402年柴壁の戦い。

●後秦の運命を決める402年柴壁の戦い。 ・平陽、後秦にとって、北魏にとっての意味。 ●柴壁の戦いにおいて後秦姚興の最大の誤算は拓跋珪の親征。 ●姚碩徳が404年南涼の服属で涼州をほぼ掌握。 ●405年後仇池の服属。これで後秦の対外拡張は終焉。 ●407年赫連…

4代姚興前半期に後秦羌族姚氏は最盛期を迎える。

●姚興の前半期に羌族姚氏は最盛期を迎える。 ・東晋の状況 ・関中以外の華北情勢 ●羌族の仲良し姚氏の本領発揮 ●後秦羌族姚氏の快進撃。 ・394年前秦苻登の撃破。 ・396年河東の確保 ・399年洛陽の獲得。 ・400年西秦の服属化。 ・401年後涼の服属化。 ●鳩摩…

二代姚襄②苻堅に最後は敗死~羌族の仲良し姚氏~

①より続く。 姚襄は東晋に帰属したものの、 東晋陣営との折り合いが悪く、結局自立をする。 ●姚襄、東晋から離反して前燕に付属。 ●姚襄、洛陽にて東晋の桓温と遭遇。 ●姚襄は桓温の第二次北伐と激突 ●姚襄の撤退。 ●357年三原の戦い 姚襄は皇帝になる前の苻…

始祖姚弋仲(ようよくちゅう)~羌族の仲良し姚氏~

高い結束力を誇る羌族姚氏。 これが羌族姚氏の強みである。 歴史上の羌族姚氏は 下記である。 姚弋仲(ようよくちゅう) 姚襄(ようじょう) 姚萇(ようちょう) 姚興(ようこう) 姚泓(ようおう) の五代である。 姚泓は姚興を継いで一年で東晋の劉裕に滅…

384年前秦分裂から394年完全滅亡までの事の顛末。

●前秦崩壊は三勢力独立がきっかけ。 ●385年8月に姚萇が苻堅を殺して前秦は事実上の滅亡。 ●苻堅殺害を受けて後を継ぐ庶長子苻丕。 ●苻丕は西燕に負けて逃走、東晋軍と遭遇し戦死。 ●苻堅後の華北。 ●苻丕の後を受けた苻登は姚興に敗れ去る。 淝水の戦い後の…

淝水の戦い大敗後、前秦分裂。 きっかけは慕容垂。

●淝水の戦いから北魏華北統一まで56年 ●苻堅、淝水の戦いで大敗した後すぐに起きたこと ●前秦外様最大勢力の鮮卑慕容部と羌族姚氏 ●慕容垂、慕容泓、姚萇の独立で、前秦苻堅は崩壊する。 ●慕容垂の自立 ●慕容儁の子で慕容暐の弟慕容泓の自立。 ●姚萇の自立 ●…

姚弋仲は石虎死後も後趙に義理立てする。

●結果的に対外的には落ち着いていた後趙石虎時代 ●異民族の癖ともいえる後継者争いは清の雍正帝まで続く。 ●石虎死去前後の後継者争い ●処刑した廃太子石宣残党の反乱 ●姚弋仲に助けを求める石虎 ●石虎一族の相克により冉閔が台頭する。 ●姚弋仲は石虎の子擁…

石虎と馬の合う姚弋仲、後趙で異民族トップとなる。

●328年の洛陽決戦、その後の石虎の涼州進駐で姚弋仲と出会う。 ●石勒との洛陽決戦で劉曜敗死、石虎の前趙進駐。 ●石勒の死後、簒奪した石虎は姚弋仲の諫言を受ける。 ●羌族姚氏の河北清河郡への徙民 ・氐族は枋頭 ●簒奪した石虎を救った姚弋仲は異民族トップ…

羌族首領姚弋仲が世に出るまで。

●羌族姚氏、石虎後の戦乱で最も割りを食った。 ●羌族姚氏の出自。 ●匈奴漢の分裂。姚弋仲は前趙に属する。 ●羌族姚氏、石虎後の戦乱で最も割りを食った。 後に後秦を建国する姚氏だが、 後趙石虎の死去後の混乱で最も割りを食った部族である。 彼らは結論と…