歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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慕容恪

苻堅ペースの13年間 370年ー383年

苻堅のペースが続く、370年から383年。 ●369年桓温第三次北伐失敗から383年淝水の戦いまでの流れ。 ●まずは慕容恪 ●満を持しての桓温出兵 ●苻堅、王猛を使って前燕を滅ぼす。 ●苻堅ペースの13年間 370年ー383年 その間東晋は内部分裂をし始める。 ここに至る…

「桓温イコール曹操」批判論のために土断法を実施しても動けない。

土断しても動けない桓温。 桓温の権勢に対して、桓温を簒奪者曹操になぞらえて批判し、 足を引っ張る。 ●東晋は洛陽落城寸前にようやく土断法実施。 ●土断しても動けない桓温と自由に領土を拡大する慕容恪 ●習鑿歯(しゅうさくし)による漢晋春秋が桓温批判 …

357年から370年までの前燕、前秦、東晋の三国時代の推移

●357年時点 ・前燕 ・前秦 ・東晋 ●前燕と東晋の黄河ー淮水間攻防戦 ●前燕、破竹の勢いで南下。 ●前燕皇帝慕容儁が早死。慕容恪摂政。 ●自身を周公旦になぞらえた慕容恪、364年洛陽攻略するも367年に死去。 ●慕容恪の死を機に桓温が第三次北伐。 ●東晋の反撃…

前燕皇帝慕容儁の成功要因④慕容評の従順さ

後世の評価が低い慕容評。 これは事実ではない。 当時の歴史は、 東晋中心に描かれ、そしてその東晋に立ち向かった 苻堅を異民族の中ではピックアップする。 ●慕容恪をサポートする慕容評 ●慕容恪・慕容評ラインこそが前燕の成功要因。 ●慕容評単独では前燕…

前燕皇帝慕容儁の成功要因③弟慕容恪の胡漢両方のルーツを持つ

慕容恪(ぼようかく)がなぜ輔弼という概念を理解し、 そして実行し得たのか。 ●慕容恪は何故兄慕容儁を輔弼し得たか。 ・弟であること。 ・慕容恪は、異民族と漢人とのハーフ。 ●慕容恪の母の出自、渤海高氏とは。 ●姜斉、田斉の血を継ぐ者こそが中華の本流…

前燕皇帝慕容儁の成功要因②異民族として初めて輔弼をした慕容恪

●慕容恪は軍人として歴史的な人物である。 ●輔弼を初めて理解できた異民族・慕容恪 前燕慕容儁の成功要因は、 弟慕容恪と叔父慕容評の協調体制にある。 これは鮮卑慕容部としては、 稀な事象だということを①にて述べた。 ここでは、 慕容儁の弟慕容恪個人と…

前燕皇帝慕容儁の成功要因① 慕容恪と慕容評

鮮卑慕容部が、 大きく雄飛するのは慕容儁(ぼようしゅん)の時代である。 ●あっという間に河北を獲得した慕容儁 ●慕容儁の幸運、慕容恪と慕容評のサポート ●慕容部の兄弟争いはいつものこと ●叔父の専横も異民族の通例 これを実現できたのは、 弟慕容恪と叔…

鮮卑慕容部の歴史概略

●鮮卑慕容部、慕容渉帰の代に一勢力となる。 ●慕容廆の代で鮮卑慕容部は自立した勢力となる。 ●慕容皝の代に燕王を名乗る。 ●慕容儁、前燕皇帝となる。 ●前燕のラストエンペラー、慕容暐。 鮮卑慕容部において、中華の歴史に関わって前燕の建国滅亡までの ト…

五胡十六国時代の第2フェーズは「三国時代」。

殷浩が姚襄に裏切られ、 北伐は失敗。 殷浩は姚襄を暗殺しようとしていたのだから当然であった。 桓温の、殷浩に対する左遷要請に、建康政府(つまり司馬昱)は折れ、 殷浩を放逐する。 こうして桓温にお鉢が回ってくる。 ここで352年の殷浩北伐失敗から370…

冉閔、理由ある暴走

349年病で焦り、 最晩年に石虎は皇帝につく。 しかし数か月で同年石虎は崩御する。 ●石世←石遵、石遵←石鑑、石鑑←石閔がそれぞれ殺害。 ●漢族を裏切った石閔、今度は後趙石氏に裏切られる。 ●石閔、冉閔へと改名、魏を建国。そして異民族の大量虐殺。 ●冉閔…

石勒を継ぐ者、慕容恪

慕容恪。 父を助けて、慕容部の勃興を助ける。 兄を助けて、前燕帝国の成立を実現する。 そして、華北エリアの大部分を攻め取る。 西は、前秦苻堅を関中に押し込み、陝県(三門峡)を境とし、 南は淮河までを領域とした。 これらを実現したのは、 前燕慕容部…