歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

晋文公

【春秋晋の年表①】覇者となる晋文公と趙盾の台頭

晋の覇者としての歴史は 前636年に晋の重耳が晋に帰国し、 晋の君主となったときから始まる。 ●前636年晋文公、60歳で即位。 ●前634年周襄王、晋に南陽を与える。 ●前633年 晋文公、三軍創設。 ●前632年城濮の戦い 晋文公対楚成王 ●前628年晋文公死去。 ●前6…

晋文公重耳の流浪時代を支えた7名のうち狐偃・趙衰は別格

重耳を支えた7名の側近、孤偃と趙衰だけは別格である。 晋文公重耳を支えた中心人物は孤偃と趙衰である。 ●狐偃は重耳の母方の叔父。一族は重耳最大のスポンサー。 ●趙衰は重耳の寵臣で参謀、二重の婚姻関係。最も相性が良かった。 ●狐毛・魏犨・顛頡・胥臣…

③何故斉の桓公は重耳を受け入れたか。

私は晋という国は重耳以前の時代においては、周王の世界、中華、中原ではなかったと主張する。 ●晋の武公までのあまりにもできすぎたストーリー: ●異質な国、晋: ●前677年に周から諸侯として認められた時に姫姓を与えられた。 ●異民族の春秋五覇、呉も越も…

②何故斉の桓公は重耳を受け入れたか。

①斉の桓公は重耳の亡命を喜ぶ。 ②斉の桓公は晋に介入しない。 ③姫姓の国は重耳を嫌がる。 ④晋に関心のない桓公が重耳亡命を喜び、姫姓の国が重耳を嫌う、その結論 何故斉の桓公は重耳を受け入れたか、に関して、 3つの視点から考えていきたい。 ①斉の桓公は…

①何故斉の桓公は重耳を受け入れたか。=問題提起=

何故斉の桓公は重耳を受け入れたか。 後に春秋五覇の一人となる、晋の文公、重耳。彼は公になる前は流浪の公子であった。 ●斉の桓公は本来の晋の後継者争いを差配する立場である。 ●重耳を冷遇するのは全て姫姓の国である。 ●異姓の国 衛で冷たくあしらわれ…