王導
一方、 東晋において、悪く描かれるのは、 王敦、桓温、司馬道子、桓玄だ。 しかし彼ら視点で、 調べると、彼らにはいろいろな言い分がある。 ●東晋を実際に作ったのは王敦 王敦は事実上東晋の基礎を作っている。 司馬睿は旗頭に過ぎない。 王導は王敦よりも…
●王導の嘘。 ●謝安の嘘。 さて、東晋は、前記事の通り、 下記8名の人物で東晋の歴史を語れる。 王導 王敦 庾氏三兄弟(代表は長兄庾亮) 桓温 謝安 司馬道子 桓玄 劉裕 この中でポジティブな描かれ方をしている人物を◯、 ネガティブな描かれ方をしている人物…
東晋の歴史には嘘がある。 王導の「嘘」。 桓温の「嘘」。 謝安の「嘘」。 劉裕の「嘘」。 この四つの嘘が最も大きな意義を持つ。 これらの嘘が東晋の歴史をつまらなくしている。 ●一般的に語られる東晋の歴史 ●面白くない歴史は大体嘘。 ●一般的に語られる…
さて、この 「謝安を6つの視点から批判する④」では、 下記引用文の④⑤に関して、 謝安批判を展開したい。 ●引用文 ④と⑤のパート ●④の反論〜桓温は禅譲を狙っていない〜 ●⑤の反論〜桓温が死んですぐに謝安が政権を取ったわけではない。〜 ・謝安は王導と並び称…
●第一次王敦の乱 王敦が仕掛ける。 ●王敦は大将軍兼丞相、王導も司空から司徒へ昇進。 ●王敦病気になる。第二次王敦の乱 明帝派が仕掛ける。 ●王敦が潰されても、王導はまた昇進する。 王敦は、 王敦が軍権、 王導が朝廷をそれぞれ牛耳ることで東晋は確立し…
東晋の事実上の建国者は、 司馬睿でも、王導でもない。 王敦である。 この理由を説明したい。 ①王敦は実は司馬炎の婿 ②王敦は揚州刺史で直臣、王導は司馬睿の属官で陪臣 ③王敦は王導より年上: ④使える勢力は使うだけ使って捨てるのは王敦の策 ⑤王導が排斥さ…
王導ではなく、王敦が東晋を建国した。
瑯琊王氏の王敦は冷徹な政治家である。 相当に合理的な人物である。王導を超える存在。
318年3月に東晋は成立する。 ●江南は王導。 ●王導の巧みな政略。 ●江州・荊州は王導との関係の深い王敦が調略。 それは、必然ではなかった。 江南がまとまっていたから 司馬睿は皇帝になれたのである。 司馬睿は、ライバル司馬保を 押しのけての即位であった…
司馬睿は司馬越の指示で、江南は建業にやってきた。 ●八王の乱の勝者司馬越、懐帝に足を引っ張られる。 ●西晋が滅亡へと向かう中やりくりする司馬睿ら。 ●司馬睿の下、実働するのは王敦と王導 ●司馬睿が皇帝になれたのは、王敦と王導のおかげ。 まとまりがつ…
東晋の歴史は内乱の歴史である。 下記五つの勢力が相争う。 皇帝宗族外戚(北)北来貴族(北)北府軍(北)江南土着勢力(南)西府軍(南) ※()内は由来。北は華北から逃げて来た勢力の集まり。 南は土着勢力。 ●318年東晋成立 五陣営の権力争い ●西府軍総…