歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

異民族

胡漢融合の集大成が唐太宗という存在。

胡漢融合の集大成が唐太宗という存在。 ●唐太宗の時代に胡漢融合が完成する。 ●胡漢融合の歴史を簡潔に述べる。 ●鮮卑による中華征服成る。 五胡十六国時代に始まり、唐太宗の時代に 胡漢融合は完了する。 胡漢融合の歴史を経緯と結論を下記に簡潔に示す。 ●…

鮮卑拓跋氏の国号は何故「魏」なのか②~「魏」との関連を探る。~

●拓跋珪は、何を根拠に魏としたか。 ●なぜ、封地の「代」ではいけなかったのか。 ●封地視点では「魏」は使えない。 ●趙でもよかったのではないか。 ●実は趙と韓には皇帝の国号としてふさわしくない理由がある。 「鮮卑拓跋氏の国号は何故「魏」なのか①」では…

拓跋珪による本格的漢人統治。北魏皇帝と清河崔氏の因縁の始まり~崔逞の嫌味~

「拓跋珪が初めて異民族皇帝として漢人統治を本気でしようとする。」 ●拓跋珪が崔逞を不敬とする経緯。 ●漢地の統治には漢人官僚が不可欠。 ●東晋返書事件で崔逞を自死させる、二つの意義 ①拓跋珪、漢人をマネジメントする。 ②拓跋珪、崔逞の嫌味を認識した…

北魏道武帝拓跋珪が帝都を平城にする意味。

拓跋珪が代の平城に本拠を置いた理由。 (代はエリア名、平城は都市名である。 平城は現在の大同市) それは、北魏鮮卑拓跋氏帝国の持つ異民族気質を保ちたいと考えたからである。 ●趙襄子により中華となる代。 ●対異民族の最前線、代。 ●前漢文帝が封じられ…

北魏皇帝拓跋珪の集権策~部族解体~

北魏道武帝拓跋珪。 一代で北魏帝国を創業。 親征を多々行い、武勇に優れた人物の印象が強いが、 実は拓跋珪は、これまでの異民族皇帝とは異なった政策を行っている。 その一つが、 「諸部族の解体」である。 目的は、拓跋珪自身、皇帝への集権である。 ●異…

北魏拓跋珪は402年柴壁の戦いで後秦に対して「抹殺戦法」

●402年柴壁の戦いで後秦を大破。 ●オルドスの匈奴鉄弗部がきっかけの、柴壁の戦い ●後秦が北魏の平陽を攻撃した背景。 ●拓跋珪の迅速な親征 ●北魏拓跋珪の成功要因・抹殺戦法 ●402年柴壁の戦い、その後。 ●匈奴鉄弗部赫連勃勃の自立。 ●402年柴壁の戦いで後…

北魏拓跋珪、一気に河北の覇者へ。「参合陂」のその後~

●参合陂の戦いとその後。 ●一気に南下して後秦と戦い幷州まで勢力を伸ばす。 ●太行山脈の東に出て冀州へ侵攻。 ●代の平城へ遷都、皇帝を称する。 拓跋珪が395年参合陂の戦いで後燕に大勝してから、 409年に死去するまで、北魏拓跋珪は破竹の勢いで 勢力を拡…

「子貴母死」・・・後継皇帝になるとその実母は殺される北魏

表題の規則は、 「子貴母死」と呼ばれる。 ●北魏において「子貴母死」が行われることになった背景。 ●「子貴母死」の一般的に伝わる由来 ●前漢武帝の故事にこじつけた北魏 ●北魏「子貴母死」が実施されたのは二回のみ。 これは北魏における制度である。 皇帝…

拓跋珪、セオリー通りの参合陂の戦い、大勝利

●拓跋珪は遊牧民の典型的な戦い方をする。 ●拓跋珪は基本に忠実かつ兵法を大胆に応用する名将。 ●実は慕容垂も遊牧民の正攻法で桓温を撃退している。 ●坂の上に陣取る拓跋珪ら北魏騎兵軍、これもセオリー。 ●遠征で疲れる後燕軍、慕容垂の病状も気になり戦い…

匈奴鉄弗部と鮮卑拓跋氏の因縁~赫連勃勃前史~

●赫連勃勃と、鮮卑拓跋氏と匈奴鉄弗部の因縁。 ●匈奴鉄弗部の由来 ●劉虎 由来の怪しさ ●「鉄弗」とは ●拓跋什翼犍に屈服させられる匈奴鉄弗部。 ●赫連勃勃の父劉衛辰が鮮卑拓跋氏の代滅亡のきっかけを作る。 ●匈奴鉄弗部の南部、関中で勢力を増す前秦苻堅。 …

拓跋什翼犍は前燕に従属していた。

338年に代を継承、 376年に前秦苻堅に滅ぼされるまで、 代王として君臨した拓跋什翼犍。 見えにくい史実だが、 拓跋什翼犍は前燕鮮卑慕容部に従属をしていた。 ●石虎を裏切って自立する拓跋什翼犍 ●前燕鮮卑慕容部が河北の覇者となる。 ●370年の前燕滅亡とと…

鮮卑拓跋氏前半の年表 258年から376年

鮮卑拓跋氏が258年に魏に認められてから、 376年に前秦苻堅に滅ぼされるまでの118年について。 これが北魏、鮮卑拓跋氏の前半の歴史である。 後半は386年に鮮卑拓跋氏が復興してから、 534年に北魏が宇文泰と高歓の手により東西分裂するまで、である。 重要…

鮮卑慕容部の後援で拓跋什翼犍が独立。

●鮮卑慕容部の後ろ盾を得て鮮卑拓跋氏が自立。 ●鮮卑慕容部の勢力伸長 ●参考図書: ●鮮卑慕容部の後ろ盾を得て鮮卑拓跋氏が自立。 これを機に拓跋什翼犍は鮮卑慕容部と手を結び、 婚姻関係を結ぶ。拓跋什翼犍が石虎から離反したことになる。 拓跋什翼犍の初…

拓跋鬱律だけが中華王朝従属をやめる。

●拓跋鬱律だけが中華に従属しないことを選ぶ。 ●拓跋鬱律は東晋とも断交して身内に殺される。 ●鮮卑拓跋氏内乱のこの時期は中華全体が動乱のとき。 ●拓跋什翼犍、後趙から離反して自立。 ●参考図書: ●拓跋鬱律だけが中華に従属しないことを選ぶ。 拓跋猗盧…

拓跋猗盧、胡漢融合策の失敗。

五胡十六国時代という時代は、 旧来の漢民族文明に、異民族がどのように入り込んでいくのかを問う時代である。 ●拓跋猗盧、胡漢融合の失敗。 ●後継者争いの構図 ●胡漢の領域にまたがって支配権を持つことで交易利権を得た鮮卑拓跋氏 ●異民族か漢化か、その答…

初めて「異民族のまま」中華諸侯になる鮮卑拓跋氏。

八王の乱での対西晋追従が功を奏して 中華諸侯になる鮮卑拓跋氏。 これは中華史における歴史的快挙である。 漢字一文字の国名は中華諸侯の国名である。 「代」の「公」となった 鮮卑拓跋氏の首領、拓跋猗盧(たくばついろ)は、 徹底的に西晋に協力すること…

296年拓跋弗改葬で対西晋追従策を復活させる。

鮮卑拓跋氏、初代拓跋力微死後を下記に記す。 ●異民族の悪癖、後継者争い。 ●拓跋禄官の鮮卑拓跋氏三分割統治。 ●拓跋禄官のデモンストレーション、先代拓跋弗の改葬 ●拓跋弗改葬を機に西晋との修好をもくろむ。 ●のちの八王の乱のメインプレイヤーとつなが…

「徹底した対西晋追従」が鮮卑拓跋氏の成功要因

●258年司馬昭が鮮卑拓跋氏を認めたことが勢力の起源。 ●拓跋力微は西晋と関係を保持して漠北の覇者となる。 ●拓跋力微が目障りになる西晋司馬炎。 ●策士衛瓘の参考記事 ●参考図書: 鮮卑拓跋氏を歴史に登場させたのは、 司馬氏、のちの西晋帝室の司馬氏であ…

拓跋猗盧の隆盛と西晋の瓦解。~北魏の歴史~

307年鮮卑拓跋氏の大人を拓跋猗盧(たくばついろ)が継ぐ。 八王の乱が終わったのが306年末。その後すぐに拓跋猗盧が立つ。 ●八王の乱終結と鮮卑拓跋氏の再結集という拓跋猗盧にとっての好条件。 ●拓跋猗盧と劉琨の同盟 ● 拓跋猗盧と鮮卑慕容部・慕容皝の同盟…

八王の乱の勝者司馬越に肩入れした鮮卑拓跋氏。~北魏の歴史~

●八王の乱は鮮卑拓跋氏の地位を確立した契機。 ●八王の乱の勝者司馬越側についた鮮卑拓跋氏 ・劉淵に対抗するために司馬騰の要請を受けて鮮卑拓跋氏は動く。 ●鮮卑拓跋氏は拓跋猗盧が再統一する。 ●八王の乱は鮮卑拓跋氏の地位を確立した契機。 258年に鮮卑…

拓跋禄官の代に294年鮮卑拓跋氏三分割。~北魏の歴史~

拓跋禄官。 鮮卑拓跋氏の事実上の二代目である。 ●拓跋力微の死後拓跋禄官が大人になるまで内乱。 ●拓跋禄官は鮮卑拓跋氏を三分割して内乱を落ち着かせる。 ●鮮卑拓跋氏の長、拓跋弗の葬儀を弔問する八王の使者 ●拓跋禄官は宇文氏と婚姻。 ●拓跋力微の死後拓…

始祖拓跋力微は西晋・北魏いずれにとっても最重要人物である。~北魏の歴史~

●異民族を打倒した西晋司馬炎は「英雄」である。 ●104歳で死去したとされる拓跋力微が北魏の始祖 ●拓跋力微の死後の身内争い ●異民族を打倒した西晋司馬炎は「英雄」である。 拓跋力微を西晋の衛瓘は謀略で敗死。 これで、 西晋司馬炎は匈奴だけではなく、北…

司馬炎に用済みとされた拓跋力微は衛瓘により貶められる。~北魏の歴史~

●司馬氏の興隆とともに拓跋力微の勃興。 ●実は西晋の名臣衛瓘(えいかん)の三つの業績 ・衛瓘は蜀漢討伐の時の監軍 ・衛瓘の土断法提案 ●衛瓘の巧みな異民族分断政策(デバインドポリシー) ●拓跋力微が衛瓘の策にはまる経緯 ●参考図書: ●司馬氏の興隆とと…

鮮卑拓跋氏の始祖拓跋力微は旧黄河回廊を押さえて発展する~北魏の歴史~

匈奴や鮮卑など北方異民族の歴史を考える際には、 中心をウランチャブと考えるとわかりやすい。 ウランチャブは代・平城、今では大同市と呼ばれる場所の 更に北である。 中華の歴史は、隋唐までは洛陽や開封を含む、黄河渡河地点が中心。 宋以降は北京が中心…

司馬昭・司馬炎が鮮卑拓跋氏を禅譲正統性の材料にする。

●魏の司馬昭と鮮卑拓跋力微の事実上の同盟 ・司馬昭のメリット ・拓跋力微のメリット。 ●司馬昭の子司馬炎と鮮卑拓跋力微の共存共栄 ●西晋皇帝となった司馬炎、鮮卑拓跋力微が目障りとなる。 ●参考図書: ● 三国時代末期。 いわゆる三国志の時代。 三つの国…

司馬昭が鮮卑拓跋氏に注目し、匈奴の後継者にした。

●258年に登場する鮮卑の拓跋力微 ●258年、魏にとっての意味。 ●司馬昭の政治課題の一つは、中華統一。 ●正統な中華皇帝にとっての最終政治課題は異民族の討伐。 ●皇帝となるべき司馬昭にとっての異民族は匈奴では不適格。 ●司馬昭が「匈奴」の後継者に鮮卑の…

北魏は匈奴の後継者である。~ 匈奴から鮮卑、拓跋氏へ至る経緯~

北魏。鮮卑拓跋部が創った国である。 この鮮卑拓跋部は、古の漠北の強国、匈奴の後継者である。 ●漢民族、因縁の相手匈奴 ●前漢高祖劉邦を屈服させた冒頓単于 ●匈奴を屈服させて真の中華皇帝となった前漢武帝 ●後漢期に匈奴の事実上の滅亡。 ●空白地の漠北に…

姚泓後秦滅亡原因の一つは胡漢融合の失敗~「文弱」になる、異民族の王の後継者~

●内憂外患、四面楚歌の姚泓 ●「文弱」になる、異民族の王の後継者 ●鳩摩羅什が姚興に中華国家を志向させた。 ●中身は「漢人」の姚泓に対する、羌族姚氏の反発。 ●内憂外患、四面楚歌の姚泓 内憂外患。 四面楚歌。 姚泓が後を継ぐも、 非常に厳しい対外情勢と…

姚興の治世後半の落日。仲良し後秦羌族姚氏の末日。402年柴壁の戦い。

●後秦の運命を決める402年柴壁の戦い。 ・平陽、後秦にとって、北魏にとっての意味。 ●柴壁の戦いにおいて後秦姚興の最大の誤算は拓跋珪の親征。 ●姚碩徳が404年南涼の服属で涼州をほぼ掌握。 ●405年後仇池の服属。これで後秦の対外拡張は終焉。 ●407年赫連…

4代姚興前半期に後秦羌族姚氏は最盛期を迎える。

●姚興の前半期に羌族姚氏は最盛期を迎える。 ・東晋の状況 ・関中以外の華北情勢 ●羌族の仲良し姚氏の本領発揮 ●後秦羌族姚氏の快進撃。 ・394年前秦苻登の撃破。 ・396年河東の確保 ・399年洛陽の獲得。 ・400年西秦の服属化。 ・401年後涼の服属化。 ●鳩摩…