歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

v

羌族姚氏

姚泓後秦滅亡原因の一つは胡漢融合の失敗~「文弱」になる、異民族の王の後継者~

●内憂外患、四面楚歌の姚泓 ●「文弱」になる、異民族の王の後継者 ●鳩摩羅什が姚興に中華国家を志向させた。 ●中身は「漢人」の姚泓に対する、羌族姚氏の反発。 ●内憂外患、四面楚歌の姚泓 内憂外患。 四面楚歌。 姚泓が後を継ぐも、 非常に厳しい対外情勢と…

姚興の治世後半の落日。仲良し後秦羌族姚氏の末日。402年柴壁の戦い。

●後秦の運命を決める402年柴壁の戦い。 ・平陽、後秦にとって、北魏にとっての意味。 ●柴壁の戦いにおいて後秦姚興の最大の誤算は拓跋珪の親征。 ●姚碩徳が404年南涼の服属で涼州をほぼ掌握。 ●405年後仇池の服属。これで後秦の対外拡張は終焉。 ●407年赫連…

姚萇独立するも袋叩きに遭う~羌族の仲良し姚氏~

●異民族の皇帝から脱皮しつつあった苻堅 ●姚萇、苻堅縊死後長安を奪取。 ●孤立する姚萇羌族姚氏集団 ●前秦苻登との泥仕合 ●前秦苻登の失策。 ●姚萇の反撃、苻登の大敗。 ●参考図書: ●異民族の皇帝から脱皮しつつあった苻堅 皇帝を殺すという大チョンボを犯…

姚萇、苻堅殺しの大チョンボ~羌族の仲良し姚氏~

●王猛の死後、苻堅に重用される姚萇羌族集団。 ●前秦苻堅帝国の崩壊。 ●鮮卑慕容部の慕容泓VS姚萇羌族集団。 ●姚萇の大チョンボ。その1 「秦」 ・秦はまずい。 ●姚萇の大チョンボ。その2 ●皇帝のなり方をしらない姚萇 ●皇帝は絶対に殺してはいけない。 ●参…

姚萇が王猛に警戒された本当の理由~羌族の仲良し姚氏~

●苻堅に降る姚萇 ●姚萇のもとでも、結束する羌族姚氏集団 ●王猛から警戒される姚萇の羌族集団。 ●王猛の遺言 ●王猛が羌(姚萇)を警戒した理由 ・羌族集団の結束力 ・姚弋仲の胡漢のバランス感覚 ・実は王猛の考えは羌族姚氏の始祖、姚弋仲と同じ。 ・胡漢融…

二代姚襄②苻堅に最後は敗死~羌族の仲良し姚氏~

①より続く。 姚襄は東晋に帰属したものの、 東晋陣営との折り合いが悪く、結局自立をする。 ●姚襄、東晋から離反して前燕に付属。 ●姚襄、洛陽にて東晋の桓温と遭遇。 ●姚襄は桓温の第二次北伐と激突 ●姚襄の撤退。 ●357年三原の戦い 姚襄は皇帝になる前の苻…

二代姚襄①東晋を離反するまで~羌族の仲良し姚氏~

高い結束力を誇る羌族姚氏。 これが羌族姚氏の強みである。 ①姚弋仲(ようよくちゅう) www.rekishinoshinzui.com ②姚襄(ようじょう) ③姚萇(ようちょう) ④姚興(ようこう) ⑤姚泓(ようおう) の五代である。 姚襄は、始祖姚弋仲の後を受ける二代目。 35…

始祖姚弋仲(ようよくちゅう)~羌族の仲良し姚氏~

高い結束力を誇る羌族姚氏。 これが羌族姚氏の強みである。 歴史上の羌族姚氏は 下記である。 姚弋仲(ようよくちゅう) 姚襄(ようじょう) 姚萇(ようちょう) 姚興(ようこう) 姚泓(ようおう) の五代である。 姚泓は姚興を継いで一年で東晋の劉裕に滅…