チャイナプロパー(中国本土)には4つの大地がある。
①華北平原
②渭水盆地
③蜀
④山西高原
だ。
この5つは、それぞれ完結できるエリアである。
地域を川・山・海の三つの要素で区切ることができる。
独立できるエリアだ。
(太線で囲まれたエリアが、この文章の4つのエリア)
上記3つへの認識は一般的だが、
山西高原と荊州はあまり注目されない。
山西高原は、
春秋晋・戦国趙・五胡十六国の匈奴・北漢などが
割拠した。洛陽・長安へのアクセスがよく、
頻繁に歴史上に登場する。
荊州は、
①華北平原・・・
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北は北京、南は会稽、
東は泰山山塊、
西は洛陽、
西北は鄴、
南西は襄陽、
という都市を端に置いた平原が華北平原。
泰山の上下に洛陽から向かってそれぞれ黄河が流れる。
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北の端が北京。
これより北は山。
南の端が会稽。会稽には杭州も含まれる。
(会稽郡の中に杭州があった。)
これより南も実は山。
会稽少し北に長江が流れる。
そのため長江から会稽(杭州)までの間に割拠することができるエリアがある。
しかし広大な華北平原からすれば一部分だ。
平原の真ん中に泰山山塊がある。
この泰山の北側と南側に大きな河が東に向かって流れている。
この河は、華北平原の最西端の洛陽から東に流れて
開封周辺で上と下に分かれる。
これが黄河である。
黄河は時代によって流路が変わるが、
大まかに言ってこういう地形だ。
泰山の東は海である。
もう少し言うと、華北平原の西北に鄴がある。
鄴の先は太行山脈がある。
また南西には襄陽がある。
襄陽は漢水に面した都市で
漢水の線がそのまま国境線になる。
②渭水盆地・・・
東は潼関、
西は隴関を端として、
真ん中を渭水という河が横切る。この領域が渭水盆地だ。
その領域のちょうど真ん中、
渭水のほとりにあるのが、
周の鎬京、秦の咸陽、漢の長安、隋の大興城、唐の長安、
がそれぞれある。若干それぞれ場所が異なるが、
渭水盆地の真ん中であることには変わらない。
渭水盆地の西端にある都市が、
陳倉であり、鳳翔であり、今は宝鶏と呼ばれるところだ。
そこから西に隴関を越えれば隴に至る。今の甘粛省だ。
南に大散関を超えて南下すると、行く行くは漢中に至る。
漢中も独立した小さな盆地ではある。
渭水盆地の東の端には黄河がある。
南下して潼関のすぐそばで、直角に近い角度で
東に急激に向きを変える。
この南下している黄河の流路は天然の堀となって、
渭水盆地の東の境界線を明確に作っている。
なお、渭水盆地の南側は、秦嶺山脈がある。
富士山級の標高を誇る山々が連なり、容易に通ることはできない。
北は南ほどではないが、こちらも山々が連なる。
そこを抜けると、遊牧民の楽園、河套、いわゆるオルドス地方だ。
③蜀・・・
蜀から外のチャイナプロパーエリアに出るには二つのルートしかない。
北西ルート。
蜀の北西部に位置する、
剣閣から出て、
蜀の桟道(南側。北側は漢中から渭水盆地に向かう、いわゆる褒斜道のこと。)を抜けて漢中に向かう。
もう一つは、
蜀の東にある白帝城から
長江を辿って夷陵(西陵。今は宜昌)に向かう道。
西の端に成都があり、ここは大きな都市だ。
白帝城の西、成都の南東、ちょうど両者の中央に、
巴、今の重慶がある。
南に行くと、昆明や貴陽があるがいずれも山を越えなくては行けない。
これらは別エリアとなる。
ちなみにこの「蜀」という漢字は元々イモムシを指す。
④山西高原・・・
標高1000メートルを超える高原。
北は雁門関、
南は太行山脈、(太行山脈は逆L型)
西は南下した黄河が境界線、
東も太行山脈、
この四つに囲まれたエリア、それが山西高原だ。
太行山脈は潼関の北に黄河を渡った先から
始まり、東に洛陽まで行き、
そこから北に連なる、それが太行山脈。
趙創業の地・太原、後漢末以降の南匈奴の本拠地・平陽、
春秋晋の曲沃など重要都市が多い。
山と河に囲まれ、守りやすく、しかしながら、
洛陽や長安にも至近で、馬の産地に近い、
軍事拠点としては絶好の場所。
チャイナプロパーの主要都市に近いので、
すぐに中央に進出するエリアだ。
ここだけに割拠はできるが、割拠したのは
北漢だけだ。