歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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チャイナプロパー(中国本土)、4つの大地

 

 

チャイナプロパー(中国本土)には4つの大地がある。

①華北平原

②渭水盆地

③蜀

④山西高原

 

だ。

この5つは、それぞれ完結できるエリアである。

地域を川・山・海の三つの要素で区切ることができる。

独立できるエリアだ。

 

新しい画像 (37)

(太線で囲まれたエリアが、この文章の4つのエリア)

 

上記3つへの認識は一般的だが、

山西高原と荊州はあまり注目されない。

山西高原は、

春秋晋・戦国趙・五胡十六国の匈奴・北漢などが

割拠した。洛陽・長安へのアクセスがよく、

頻繁に歴史上に登場する。

荊州は、

 

①華北平原・・・

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北は北京、南は会稽、

東は泰山山塊、

西は洛陽、

西北は鄴、

南西は襄陽、

という都市を端に置いた平原が華北平原。

泰山の上下に洛陽から向かってそれぞれ黄河が流れる。

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北の端が北京。

これより北は山。

南の端が会稽。会稽には杭州も含まれる。

(会稽郡の中に杭州があった。)

これより南も実は山。

会稽少し北に長江が流れる。

そのため長江から会稽(杭州)までの間に割拠することができるエリアがある。

しかし広大な華北平原からすれば一部分だ。

平原の真ん中に泰山山塊がある。

この泰山の北側と南側に大きな河が東に向かって流れている。

この河は、華北平原の最西端の洛陽から東に流れて

開封周辺で上と下に分かれる。

これが黄河である。

黄河は時代によって流路が変わるが、

大まかに言ってこういう地形だ。

泰山の東は海である。

もう少し言うと、華北平原の西北に鄴がある。

鄴の先は太行山脈がある。

また南西には襄陽がある。

襄陽は漢水に面した都市で

漢水の線がそのまま国境線になる。

 

 

②渭水盆地・・・

 

東は潼関、

西は隴関を端として、

真ん中を渭水という河が横切る。この領域が渭水盆地だ。

その領域のちょうど真ん中、

渭水のほとりにあるのが、

周の鎬京、秦の咸陽、漢の長安、隋の大興城、唐の長安、

がそれぞれある。若干それぞれ場所が異なるが、

渭水盆地の真ん中であることには変わらない。

 

渭水盆地の西端にある都市が、

陳倉であり、鳳翔であり、今は宝鶏と呼ばれるところだ。

そこから西に隴関を越えれば隴に至る。今の甘粛省だ。

 

南に大散関を超えて南下すると、行く行くは漢中に至る。

漢中も独立した小さな盆地ではある。

渭水盆地の東の端には黄河がある。

南下して潼関のすぐそばで、直角に近い角度で

東に急激に向きを変える。

この南下している黄河の流路は天然の堀となって、

渭水盆地の東の境界線を明確に作っている。

なお、渭水盆地の南側は、秦嶺山脈がある。

富士山級の標高を誇る山々が連なり、容易に通ることはできない。

北は南ほどではないが、こちらも山々が連なる。

そこを抜けると、遊牧民の楽園、河套、いわゆるオルドス地方だ。

 

③蜀・・・

 

蜀から外のチャイナプロパーエリアに出るには二つのルートしかない。

北西ルート。

蜀の北西部に位置する、

剣閣から出て、

蜀の桟道(南側。北側は漢中から渭水盆地に向かう、いわゆる褒斜道のこと。)を抜けて漢中に向かう。

もう一つは、

蜀の東にある白帝城から

長江を辿って夷陵(西陵。今は宜昌)に向かう道。

 

西の端に成都があり、ここは大きな都市だ。

白帝城の西、成都の南東、ちょうど両者の中央に、

巴、今の重慶がある。

南に行くと、昆明や貴陽があるがいずれも山を越えなくては行けない。

これらは別エリアとなる。

 

ちなみにこの「蜀」という漢字は元々イモムシを指す。

 

④山西高原・・・

 

標高1000メートルを超える高原。

北は雁門関、

南は太行山脈、(太行山脈は逆L型)

西は南下した黄河が境界線、

東も太行山脈、

この四つに囲まれたエリア、それが山西高原だ。

 

太行山脈は潼関の北に黄河を渡った先から

始まり、東に洛陽まで行き、

そこから北に連なる、それが太行山脈。

 

趙創業の地・太原、後漢末以降の南匈奴の本拠地・平陽、

春秋晋の曲沃など重要都市が多い。

山と河に囲まれ、守りやすく、しかしながら、

洛陽や長安にも至近で、馬の産地に近い、

軍事拠点としては絶好の場所。

チャイナプロパーの主要都市に近いので、

すぐに中央に進出するエリアだ。

ここだけに割拠はできるが、割拠したのは

北漢だけだ。