歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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漢中、蜀と関中をつなぐ「置石」

なお、もう一箇所割拠できる独立したエリアがある。

漢中だ。
漢中は、北に秦嶺山脈、
南は蜀に連なる山脈があり、
南北共に直行するには蜀の桟道を通らなくてはならない。
普通の感覚で言うと、道が作れないエリアだ。

渭水盆地から蜀に行くには、この漢中を庭にある置石のように、
踏み込んでからではないと行けない。
反対に蜀から渭水盆地に行くには、やはり漢中を
飛び石のようにしなくてはいけない。

漢中の東も険しい山だ。
漢水沿いに沿って東に下る、標高としては下りることになるが、
たどり着く先は実は襄陽だ。

漢中の西は開けている。
そのため陽平関という関所が戦国時代からあった。
陽平関を抜けた後は二つのルートがある。
一つはそこから北に上り、
武都郡(下弁もここに含む)があり、少し開けた平野だ。
さらに北に上ると、
西周の創業の地祁山がある。これより北はやはり山を越えなくてはならない。
越えた先は天水などの隴である。

もう一つのルートは、
陽平関から北西に向かい、秦嶺山脈の谷間を抜けて、
大散関に至る。これを越えれば、渭水盆地だ。

独立したエリアだが、
王朝を建てるには不足している。
漢の高祖劉邦の創業の地であり、
後漢末の五斗米道の教祖張魯が割拠したの場所だが、
ここだけで国が作られることはなかった。

ほかに、
上党、斉、隴、洛陽盆地、郢(のちの江陵。楚の都)といった
エリアもある。
しかし、他エリアとの関係性が深く、
独立しきれるかというと歴史上微妙なので除外する。
それぞれ秦の始皇帝が天下統一するまでは割拠独立できたが、
それ以後はできなかった。