歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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魏明帝曹叡は親政を希望〜曹叡即位の経緯〜

226年の5月に魏文帝曹丕は崩御した。
40歳であった。
後継者は曹叡である。魏明帝となる。
曹叡は皇太子ではなかった。
曹丕は本当は曹礼という曹叡の異母弟を後継者にしたかった。(「魏略」)

理由は、
・曹叡は皇后甄氏の子であったからだ。
甄氏は221年に曹丕から賜死を受けて死去した。

しかしながら、曹礼を後継者にする段取りが整っていなかった。
そのため長子であった曹叡が選ばれたのである。
40歳という早すぎる死を前にして、
魏文帝曹丕は冷静であった。

曹丕は曹叡とは疎遠で、平原王(今で言う、済南のそば)として現地に駐在していたため、
朝臣たちは曹叡の人柄などを全く知らなかった。

魏明帝曹叡は、
即位の翌年に、
陳羣以外を出鎮させる。
これは後々西晋における八王の乱の時も度々使われた手法である。
権力者を体良く追い払う手段なのだ。

曹叡は、親政を志向し、先帝の重臣を追い払った。
経緯からすればやむを得ない。
曹叡は、秘書(魏では中書)の劉放と孫資を重用し、今後親政を行う。