歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

これまでは三国時代から西晋。今は八王の乱、永嘉の乱。八王の乱、永嘉の乱は最高に面白い。

諸葛孔明 北伐考 これ以上があったのか。

やりきるとは何かを、
諸葛孔明の北伐は教えてくれる。

内政充実、
幅広い外交、
大胆かつ慎重な対魏戦略。

遼東の公孫淵に騙され、
蜀漢との同盟以外効果的な外交ができなかった、
呉の孫権と対照的である。

諸葛孔明の北伐、
何度も繰り返し読むと味が出る。

初めはドラマチックなこの展開に
感動を覚える。
特に三国志演義ベースで読むとより一層だ。
1800年後の現代まで伝わり通用するのだから
当時の人たちにも
当然その感動はあっただろう。
士気を上げる、鼓舞する、
劣勢の自分たちの正当性、
大義名分を自覚させるのに充分だっただろう。

しかし、
正史三国志、
事実ベースで考えるとどうしても
渭水盆地、関中平野にリーチ出来なかったという事実が浮き上がる。
繰り返し諸葛孔明の北伐を調べると、
その事実に落胆する。

もう一度、本当にそうだろうかと
調べてみる。
そうすると、
諸葛孔明が異民族を巻き込んで、
大規模な、ダイナミックな戦略を描いて、
第四次まで連年魏を攻め立てていることを知る。

夷陵の戦いで手痛いダメージを受けた蜀漢を
ここまで復活させた事実。
夷陵の戦いの敗戦を忘れさせるほどだ。
違う時代のことかと思わせる。

国内は厳しい法治主義【法家主義】に立って、
厳かに蜀漢をまとめた。

魏ですら、
法治主義をやりきれず、
後年その禍が乱を起こす。
一方、
諸葛孔明の厳しい法治主義は、
蜀漢が滅亡するまで、厳かに守られた。

蜀漢の後背地に南征し、
南蛮も抑えた。
屈強な南蛮兵も確保し、
屈強な蜀兵という
イメージもつけることができた。
敵地魏を攻めるにあたり、
その裏に位置する勢力、
主に異民族だが、連携し、
共に魏を攻撃する。

機を見るに敏で、
魏文帝曹丕の崩御、
蜀戦線の総大将、総司令官の
曹真の死、それぞれに合わせて兵を挙げている。

これ以上何ができたか。

呉の孫権まで手玉にとって、
魏に侵攻させ、
蜀漢の利益にした、諸葛孔明。
そもそも夷陵の戦いの後、
孫権からのアプローチはあったものの、
名分を捨てて実をとって孫権との同盟に
舵を切ったのは諸葛孔明だった。
229年に孫権が皇帝を称した際も、
群臣の同盟破棄の献言を退けたのも
諸葛孔明である。
ゴールを忘れない。
プライオリティに忠実だ。
そつなさすぎてその凄さが当たり前に思えてくる。

劣勢の中、
前向きにやりきるとは何か、
こういうことだと諸葛孔明は教えてくれる。

234年五丈原にて諸葛孔明は陣没する。
それさえも想定したか、
撤退の仕方、その後魏延が反乱を起こすことさえ、
想定し、指示を出して死す。

蜀漢の丞相は諸葛孔明のみで、
死後は蜀漢滅亡まで丞相位は
空位であった。

後継者に指名された蒋琬、費禕、
また将来を嘱望された姜維も
丞相位には就いていない。