歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

これまでは三国時代から西晋。今は八王の乱、永嘉の乱。八王の乱、永嘉の乱は最高に面白い。

司馬懿が「倭」という一文字の国を服属させた。公孫淵討伐成功の副産物。

五丈原の戦いの後、司馬懿は大功を挙げる。

公孫淵討伐により、「倭」という、「中華圏内」の国を

服属させた。倭に親魏倭王の称号を贈る。

 

我々は、邪馬台国の由来や場所などでこの歴史に注目する。

卑弥呼の存在だったり、日本の由来をたどりたくなる。

 

しかし、これは魏にとっても非常に大きな意味がある。

 

「倭」という一文字の国。

一文字の国というのは、

中華圏内の国にしか贈らない。

 

匈奴や月氏、鮮卑など異民族というのは二文字の名前を贈られる。

いわばこれが中華思想であり、文明圏の漢人の国と

異民族である胡人の国は分けられる。

 

魏、実際には司馬懿は、遼東の公孫淵を滅ぼしたことにより、

海の向こうから朝貢に来た国があった。

その国は、後漢光武帝の時代に、

「漢委奴国」という、若干匈奴に似たような国号を贈った国の

方面から来た。

(「奴」という漢字に、プラスの意味はない。)

 

本来なら、二文字の国であろうが、

私はこれは司馬懿が意図的に働きかけて、

「倭」という名前にしたと考える。

 

そもそも魏志倭人伝に出てくる倭は、記述に忠実だと、

今のグアムあたりにあることになる。

国土もとても広く、背後から呉を攻めることができるぐらいの

国土を持つ。

これは、岡田英弘氏の説によると、司馬懿が当時争っていた

曹爽の父曹真の功績と張り合うためという。

 

曹真は対蜀戦線の総司令官のときに、

インドのクシャーナ朝からの入朝があった。

これは非常に大きな功績で、

月氏という称号を贈っている。

西域の国からの入朝があったこと、それも

魏呉蜀の三国がひしめく中華で、魏に入朝したのだ。

魏が正統だと認められたことに他ならない。

 

また漢の武帝から、異民族を従えるというのは、

正統性の証であった。

 

とはいえ、

入朝と言っても、することは二つだ。

①その国の使者が

挨拶の手土産(もちろんたくさんあってもいいのだが)を持って来る。

②そのうえで、朝廷における朝礼に、ともに参加して天を祭る儀式に参加する。

 

ただこれだけのことだ。

入朝した使者は、これで何倍ものお土産が渡される。

入朝された中華王朝は、異民族を服属されたという

正統性をより高める事績となる。

入朝したとされる国は、ただの友好を深めるための使者程度の

位置づけしかされていなかったとしても、

中華王朝ではその意味合いはとてつもなく大きい。

 

司馬懿は、238年に公孫淵を滅ぼしたことは、もちろんだが、

倭を入朝させた方が大きいわけだ。

 

 

234年五丈原の戦いの後、司馬懿は、

引き続き対蜀戦線の総司令官として長安に駐留する。

238年に

司馬懿は、魏明帝曹叡より、遼東の公孫淵討伐を命じられる。

 

司馬懿は公孫淵を順調に滅ぼした。

 

その副産物として、

倭の入朝があった。

 

倭に対して

親魏倭王の称号を贈った。

東の海上にある島国はここで、

一文字のくにになった

 

二文字は異民族

意図的に悪い名前。

 

呉や蜀漢も、魏は、

それぞれ、蛮荊、庸蜀と呼ぶ。