漢王朝正統アイデンティティ。
漢朝400年の後を承けて、
建てた魏。魏は、歴史に伝統に伝説に挑戦した。
漢朝400年の歴史は、
皇帝は劉氏しかありえないという
伝説をもたらした。
これは大きな漢人のアイディンティティにもなる。
漢が本来の正統である。
蜀漢は、その表れだ。
遼東の公孫淵は、燕王を称し、元号を紹漢とした。
これは「漢を紹(つ)ぐ」という意味だ。
五胡十六国の漢も、漢を後継するという意味から、
漢を名乗っている。
五代十国の後漢、北漢も同様だ。
長きに渡る根強い思想と言える。
これは3つ理由があると思われる。
実態は秦が初めて皇帝を名乗ったが、
始皇帝の死後早くも自壊、滅亡したので、
皇帝を名乗った王朝は事実上漢が初めてとなる。
400年という長さ。
事実上初めての皇帝の王朝漢。
それが400年の長きに渡る。
皇帝=漢=劉氏と
いう考え方が出来上がるのは尤もである。
一度王莽により滅ぼされたが、
光武帝により漢は復興された。
光武帝も歴代皇帝の中で最も英雄的に
文武の別なく活躍した。
何か漢が不変なものと感じるのもやむを得ない。
漢の武帝の時代が正統であると
称える「史記」の効果も相まって、
漢が不変の原点であるという考え方。思想が生まれる。
不変への挑戦。
現実主義的ではあるが、当時としては大きな変化だった。
それを曹操、曹丕、曹叡は実行した。
歴史への反抗ともいえるのかもしれない。