歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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当代随一のキャリアを極めた司馬懿、世から煙たがれる~正始の音~

人臣としての当代一流のキャリアを極めた司馬懿。

当時の名士としては、一流の業績と経歴を持つ。

録尚書事 事実上の宰相

軍功 事実上の大将軍 蜀と呉を防ぎ、遼東を征伐する。

遺詔通り、曹叡を盛り立てた。

 

曹叡崩御のとき、司馬懿は60歳。

三国志の英雄はそれぞれ下記の年齢で世を去っている。

曹操は66歳

劉備は63歳

孫権は70歳

諸葛亮は54歳。

 

司馬懿も、

自分の人生の終わり方を考える段階に入ってきた。

 

私は、儒教的な価値観での理想的な生き方、キャリアは、

周公旦だと考える。

幼君を輔弼し、外敵を排除し、国をまとめ治める。

この価値観は隋の成立で完全に消滅するが、

この時代はまだ周公旦が人臣の理想形だ。

 

曹叡は34歳で崩御した。

司馬懿は60歳。本来なら、曹叡の御世の間に、

司馬懿は寿命を迎えたであろう。

そうすれば、魏の功臣として輝かしい業績を

歴史に残す。まさに漢人としての理想的な形で

人生が終わる。終わるはずだった。

 

しかしそうならなかった。

 

 

 

 

曹芳の即位後、魏は弛緩する。ゆるむ。

厳格な人生を歩んできた司馬懿は世から煙たがれる。

 

皇帝権という権力の空白

厳しい法家主義政治の窮屈さ

玄学清談の気風を産む 、「正始の音」という時代に差し掛かる。

曹爽と司馬懿の二人で皇帝を輔弼するという非現実宰相

→世代もことなり、実績も大きく異なる。

宗族の巻き返し

→皇帝権が弱まることで権力を握ることができた

 

独裁をして実績も挙げてきた皇帝が突如崩御。

これまで、

あまり表舞台に出ることのなかった宗族が

権力を突然握った。

法も厳しく窮屈な時代だったのが、

曹叡という重石が消えた。

蜀や呉の外患も落ち着いている。

もう少し大らかな世でありたいと思うのは、

全く不思議ではない。

 

そうした風潮の中、司馬懿は煙たがれたわけだ。

なぜなら、司馬懿はそうした厳しい窮屈な皇帝専制の時代に、

忠を尽くし着実に実績を挙げていたからである。

しかし、厳しく自分を律することを求められ、

そして実力で功績を得ることを求められる時代を

くぐり抜け生き残ったのは、司馬懿しかもう残っていなかった。

あくまで、出自・家柄は功績を掴むチャンスをもらうための

チケットに過ぎない。

後年の貴族全盛期とは異なる。