歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

これまでは三国時代から西晋。今は八王の乱、永嘉の乱。八王の乱、永嘉の乱は最高に面白い。

曹爽・司馬懿が任命された「侍中・仮節鉞・都督中外諸軍事・録尚書事」とは

司馬懿は曹叡の遺詔により曹芳の後見をすることになった。

大将軍の曹爽と、
大尉の司馬懿は、
侍中・仮節鉞・都督中外諸軍事・録尚書事が加冠される。

※仮節鉞・・・
仮節鉞は、仮節と仮黄鉞の意味。
仮節は、軍律違反者に対する軍法執行権。
仮黄鉞は、軍事上における独断行動権。
二つを合わせたものが、仮節鉞。
使持節は、二千石以下の者に対する処刑権、
持節は、無官の者に対する処刑権。

「節」とは先端に房のようなものがついた旗。皇帝権の代行の証拠。
「鉞」とは黄鉞のことで、皇帝・天子が親征するときの印である。
「仮」とは、本来は皇帝が持つ物なので、仮という字が付く。臨時。

※都督中外諸軍事・・・
全軍の総司令権限。
※録尚書事・・・
皇帝への上奏を取り仕切る。
※侍中・・・
皇帝の側近として、皇帝の下問に答える役目。

大将軍であろうと、大尉であろうと、
また司徒であろうと、
この上記の権限がなければ何もできないのである。

皇帝専制、皇帝権が非常に強く、
これら権限は本来は皇帝が持つもので、
皇帝から貸与されなければ臣下は持ち得ない。


曹爽は大将軍の位にあった。
司馬懿は、曹叡崩御時大尉であったが、
その後太傅となっている。
よくこれは、曹叡崩御後から曹爽と司馬懿は対立しており、
曹爽一派の画策で、司馬懿を大尉から、事実上の名誉職である
太傅にして、曹爽は実権を得たと言われる。

しかしながら、
司馬懿は、対呉戦線では指揮を執っている。
対呉に備えるため、鄧艾の「済河論」を採用し、
水路・兵糧庫・軍屯の大規模な設置を行なっている。

また、曹叡崩御後に曹爽とともにすぐに任命された、
「侍中・仮節鉞・都督中外諸軍事・録尚書事」の
加冠を外されているわけではない。
魏は非常に皇帝権が強い。
そのため、大尉とかの官職よりも、
この上記の加冠の方が重要になる。
これは皇帝権の部分的貸与だからである。

名目上軍事のトップは曹爽であるとしたに過ぎない。
大将軍も大尉も軍事色なので、
曹爽からすれば司馬懿も軍事職あるのは、
世間からの見え方として、どっちが職掌を握っているのかが
わかりにくいからだろう。
名目に過ぎない。この当時大将軍も名目上の官職になっていたからだ。
魏では大将軍だから軍権を振えるわけではない。
皇帝権の貸与が同格の司馬懿は、軍権を振えるのである。