歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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名族は社会福祉。その理想は周公旦。

名族とは何か。

名族とは貴族とか士族とかともいう。

名族自体は、名望のある一族という意味。

 

色々な定義はある。

私は中国の名族・貴族とは、

血胤関係に基づいた利権関係と主張する。

 

一族の先祖のある人。

なんとか官吏になれた。

下位の官吏だが、なんとかたどり着けた。

 

高位に着く目処は立たないが、

地方の官吏は細々と勤めあげられるだろう。

 

皇帝のための家来になると様々な利権を得ることができる。

 

国家機密・・・情報を得ることができる。

最新の情報に触れることができる。

 

 

 

一族間での社会福祉・・・富の共有

名族、名士の子と言えど、

必ずしも官吏になれるわけではない。

誰しもが優秀なわけでもない。

例えば、代表的名族河内司馬氏の司馬懿と正妻張春華の子で、

司馬師・司馬昭の同母弟司馬幹は、

知的障害があったのではないかと言われる。

張春華が高齢の時の子供だったためのようだ。

事実は怪しいが、こういうこともありうるわけである。

 

社会からドロップアウトしてしまう人間を救う、

国家的セーフティネットはない。

市井の聖人が、ボランティア精神で助けるぐらいか、

一族の者が面倒を見るほかないのだ。

 

一族の者が面倒を見るといっても限界がある。

昔は子供を間引きすることなど多々あったわけだ。

 

核家族の単位だけではなく、

同じ先祖を共有する広い意味での一族で、

富を共有しあって同族同士繁栄し合う。

苦しい時は助け合いをする。

そういった社会福祉、いわばセーフティネットとしての役割が

血族にはあったのである。

それがうまくいって成功した、それが名族になる。

 

 

 

教育・・・知の共有  書籍と講師

そもそも教育機関がないこの時代、

本を手に入れるのも難しい。

数がそもそも少ない。

そもそも、紙であれ絹に書いたものであれ、

発行部数が決定的に少ないのだ。

 

発行コストが非常に高い。

 

需要は高い。

 

数が少ないので、そもそも手に入れられない。

手に入れられたとしても莫大な費用がかかる。

 

 

漢字は国家の通信手段。

 

例えばインターネット。

元は米軍の通信手段。

ネットにアクセスすれば、

世界各地の米軍関係者と連絡が取れる。

 

漢字は国家の情報伝達。

地方の官吏に伝達。

それを地方の官吏は、地方の言葉の通訳者を介して、

地方の民に命令する。

税をよこせ、軍に参加しろとか。

 

漢字がわからないと、

皇帝を中心とした集団に入ることができない。

権力獲得の手段は漢字の習得だった。

 

漢字の使い方は、

儒教の古典、四書五経の習得だった。

丸暗記で、同様の語順を使うなどして

扱う。

文法がない。

 

つまり、文法という理屈がない、

すなわち慣用表現しかないということだ。

そんなのは知っている人に教えてもらうほかない。

 

それを知っている人も限られている。

基本的には宮仕えした人がメインで、

市井の書士が若干といったところか。

 

ということで、もっとも手っ取り早いのは、

親が官吏で、親が漢字と漢字の使い方を教えてもらえるのがもっとも

良い。

 

事実上、親が官吏でないと、子は官吏になることはできない、

という構図ができあがってしまっているわけだ。

ここに非常に高い参入障壁が存在する。

 

地元に根を張る・・・地方における社会福祉化

富の共有と知の共有ができ、一族が繁栄。

自ずから世間が放っておかない。

 

力をもっているわけである。

地方社会からその力を振るうことを求められる。

 

そもそもこの名族は、

皇帝がこの名族がいる地方に官僚を派遣した際に、

地元との仲介役になるわけだ。

古老ともいう。長老だ。

 

彼らがいなければ、

地方を支配し得ない。

 

名族は、

路頭に迷った民を助けることもあるだろう。

社会的弱者を助ける。

衣食住を提供して助ける。

その見返りに、

奴隷時代の石勒が、友人に助けてもらった御礼に

畑を耕したように、

名族の土地を耕したりする。

希望があれば、使用人にするのであろう。

名族は労働力を手にれる。

重機など機械がない時代、人という労働力は機械と同じ価値なのだ。

使用人、時には奴隷かもしれない。

その労働力は、

土地を耕す力となる。

富を蓄え始めた後は、

警備員にもなる。

こうして、名族は富を蓄える。

 

そのやり方が、人の支持を得られるものであれば、

結果としてその地方の代表者となる。

 

こうして、社会は名族を育成する。

 

儒家の理想が、名族の理想的在り方と言える。

 

そう言われてみれば、

周公旦の在り方は、まさに理想的な社会福祉だ。

一族の代表として、幼い兄の子を助け、

一族をそれぞれ各地に封じ、運営させる。

お互いに補完しあって、周という国を支え合う。

 

儒教の理想は周公旦という順番ではなく、

社会福祉の理想的な在り方を体現したのが

周公旦という順番だ。

 

これが、富裕層に転じ、

富を独占し始めると、貴族になる。