歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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魏晋南北朝から唐末までの非名族の中華皇帝たち

中国史における軍人皇帝。

名族・貴族の力が強かった魏晋南北朝から、

朱全忠が白馬の禍で貴族を皆殺しにするまでは、軍人皇帝は名族から毛嫌いされた。

 

西晋・東晋は、名族・河内司馬氏。だから良い。

しかし、

曹操、五胡の諸君主、劉裕、蕭道成、陳覇先、楊堅、李世民、

全て嫌われた。


 

こう並べてみると、大半のこれら「ぽっと出」の皇帝は、

漢人名族の末裔だと称している。みな怪しい。

彼らは自分の出自を脚色しようと躍起になった。

 

●曹操=前漢二代相国曹参の末裔。ということは、

周の武王の弟曹叔の末裔となる。姫姓。

父は夏侯氏。前漢夏侯嬰の末裔である。落ちぶれたからこそ、宦官の養子になった。


●劉裕=前漢高祖劉邦の異母弟劉交の末裔。

諸葛長民から「私は諸葛氏で、あなたは劉氏だ。先祖と同じように交わろう」

と言われたのに対し、

「私は皇帝劉氏とは関係ない」と言い切ったのに後にこう称す。


●蕭道成=前漢初代相国蕭何の末裔。

「顔氏家訓」の顔之推の孫顔師古が痛烈に否定している。

 顔師古は唐の時代の人。

蕭道成は前漢後期の蕭望之の末裔としている。蕭望之は蕭何の子孫としている。

しかしながら、顔師古は、下記のように断じている。

漢の功臣蕭何の末裔は、代々候に封じられているのだから明らかである。

一方蕭望之は高名な学者で、自身の先祖を理解していないわけがない。にもかかわらず、

漢書においては、蕭何と蕭望之が血縁関係にあるという記述がないわけだ。

これが正しく、蕭道成の蘭陵蕭氏の主張は間違っているというわけである。

 

●陳覇先=後漢の陳寔の末裔。

陳寔は魏の陳羣の祖父で、清流派の代表的な人物。

交州の田舎武将の陳覇先のイメージと全く重ならない。


●高歓=渤海高氏。姜斉の末裔。管仲の時代に大臣になれる家の一つの高氏の末。

どう考えても懐朔鎮から出た英傑なのにである。


●楊堅=後漢の楊震の末裔。弘農楊氏。

匈奴の宇文氏の王朝後周・十二将軍のひとりで鮮卑である。


●李世民=唐の事実上の創業者。

秦の名将李信の末裔。直近では、西涼の武昭王李暠に連なるという。

事実はこちらも鮮卑。

そもそも、母は北周の宇文泰の孫なので、半分は確実に鮮卑である。

 

例外は、西晋・東晋、北魏までの五胡諸国、胡族重視政策を取った北周である。

 

みな、一代の英雄なのに、

こうでもしないと、漢人社会に認められないほどに名族社会だったのだ。

ここまでしないと、漢人社会を支配できなかった。

 

臣下の献言に従ったとはいえ、

これに嫌気がさしたのだろう。

朱全忠はただの朱全忠である。