歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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司馬望①:司馬望は司馬朗を継いだのではなく、司馬朗の嫡子早逝により、養子となり後を継いだ。

魏皇帝曹髦が交流を深めた、四人のうち、

司馬望という人物がいる。

 

司馬望は生年205 - 没年271年である。

司馬懿の弟、司馬孚の次男である。

 

司馬望こそ、この時代の名族、支配者階級の典型的なスタンスだ。

 

司馬望について説明したい。

 

司馬望は、早い段階で、司馬孚の兄司馬朗の養子として出されていたと

よく言われるが少し違うようだ。

司馬朗には、司馬遺という嫡男がいて、

司馬朗を継いでいて、魏明帝曹叡のときに昌武亭侯に封ぜられたが、

若くして死去したようだ。

その後を司馬望が継いだというのが事実らしい。

司馬望は二十代なのに、次男の為自身で家を建てなくてはならなかったが、

年齢的にもちょうどよかったのであろう。

 

司馬朗は、司馬望が12歳の時に死去。

 

司馬孚には司馬邕(?-266年)という嫡男がいた。

司馬望は次男にあたるので、司馬孚家を継ぐことはできず、

別に家を立ち上げなくてはならない。

※司馬邕が長子であることは、「晋書」に基づきます。
「三国志」では、司馬望は長子とありますが、
晋書の記述と、司馬望が他家を継いだという事実から、
私は司馬望が次男と判断しています。