歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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鍾会の主張は実力主義・成果主義=鍾会の「才性四本論」= 鍾会⑤

鍾会の著書「才性四本論」における
「性」とは何を指すのか。

それは人柄を指す。
王莽、光武帝以来、後漢では、
儒教思想で素晴らしいとされる人が採用されてきた。


人材採用、具体的な方法は郷挙里選である。
各選抜項目があるがその中で最も重要視されたのは、
「孝廉」
である。
「孝行」と「清廉」を合わせた言葉だ。
すなわち、父母への孝行、物事に対して清廉潔白であること、
これが求められた。
これがある人は名声を得る。

これは非常に定性的な評価である。
感覚的と言っても良い。
目に見えないので、
偽装もできる。


リスクを背負って才能を活かして実績を挙げに行くよりも、
ずっとリスクが少ない。

こちらの方に時代が流れるのは当然である。

時代が蜀漢の討伐、呉の討伐を嫌がるのは当然だ。

司馬昭だって本当はやりたくない。
賭けに出たくない。
しかし賭けに出なくてはならない事情がある。

賈充のような物事を推し進めてくれるような人物が現れないか。

賈充が提言すればいいのだが、
賈充の賭けはすでに終わっている。
また、賈充は軍事に自信がない。

諸葛誕の乱、曹髦弑逆で充分な地位を得ている。
これ以上の賭けは賈充には必要がない。

そこに現れたのが鍾会だ。

鍾会には理由がある。

・鍾会は春秋晋の士会を意識している。
名将・法の厳正な番人で、末子にも関わらず、
後に六卿の一つとなる范氏を立ち上げた。

鍾会が士会と同様のことを行おうとしていた。

・鍾会の「才性四本論」上の考え方・主張は、
「才」と「性」は「合」である。

傅嘏んこ
「同」との違いが難しいが、
鍾会の主張は、
才能であろうが、
人柄であろうが、
結局合わさるというものだ。

つまり才能であろうが、
人柄であろうが、
成果を挙げればどちらでもよい、である。

私は鍾会はこの時代、理解してもらえない自分に孤独感を感じていたと
思われる。

この「才性四本論」をもって、
竹林七賢のひとり嵆康を訪ねたのも、
その主張を認めて欲しかったからに他ならない。

鍾会には野心があった。

しかし時代は徐々に野心を認めない方向に流れて行く。
そのジレンマが鍾会にはある。

これは後の西晋後期の内乱にも繋がると私は主張する。

力がある、野心がある、上昇志向の人には生きにくい世の中なのだ。
孤独とジレンマを感じる鍾会。

そこで、司馬昭の蜀漢討伐の可否に関する下問に鍾会は乗った。

司馬昭のベクトルと、鍾会のベクトルが合致した瞬間だった。