歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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263年魏の蜀漢討伐 第三段階 〜姜維、諸葛緒を撒くも、既に関城は鍾会・胡烈に落とされ、剣閣に入る〜


姜維は白水に入った。
白水から東北に向かえば、
関城を経て、陽平関(陽安関)に至る。漢中に入れる。

しかし、この時点で既に関城は魏軍に手に陥ちていた。
城将のひとり蒋舒(しょうじょ)が人事の恨みで、
魏に寝返ったためだ。

魏としては、蜀から漢中の入り口関城を掌握した。

漢中は鍾会本軍10万が雪崩をうって侵入したことで、
あとは制圧するばかり。

姜維は撤退する他なかった。

白水から馬鳴閣に至ると、
金牛道という蜀の主要街道に出る。

この街道は、
戦国秦恵文王が蜀王に金を産む牛があるといって騙して作らせたという
故事に倣って名付けられた。

メインストリートとはいえ、
ここは、漢中から秦嶺山脈を超える道を
「秦桟」というのに対し、
「蜀桟」と言われる道である。

いわゆる蜀の桟道というのは、
上記のように二つあるのだが、
両者とも谷の岩を穿ち、
桟道を作った街道で、やはり難路である。

姜維はその道を通って南下。

諸葛亮が整備した剣閣に至る。