八王の乱の楽しみ方。
中国史上の中で、
著名にも関わらず最もわかりにくい事変の一つだ。
その理由は多々ある。
・登場する人物が司馬某が多く、誰が誰だかわからない。
・そもそも西晋に対しての興味が湧きにくい。
・八王の乱の結果がより一層混迷するので、読後感がすっきりしない。
・そもそも登場人物が多すぎる。(私はこれは見過ごされがちだが、重要な要因だと思う。)
・登場人物の由来がわかりにくく、わからないまま歴史から退場するので、
楽しくない。
・八王の乱の位置付けがわかりにくい。
・八王の乱という西晋司馬氏の内輪揉めは結果として自壊をもたらすので、
何の共感もしにくい。
・八王の乱の結果は、
中華南北分裂をもたらし、これがまたわかりにくい。
日本の南北朝時代も理解するのに、難解さがあるが、それ以上である。
・民族も絡んできて、ここまで来ると、取り組む前から徒労感すら覚える。
つまり、つまらないということだ。
興味が持てないということだ。
大体一般的に見るとこのような雑感なのではないか。
この八王の乱に関しては、著書も少ないので、
学者の方々も大方同じ感覚なのではないか。
非常に不人気な時代と言える。
しかしながら、
私は反論したい。
この八王の乱は、この短期間に今までの中華王朝の病弊が
全て出てくる。
広義の八王の乱は、290年の武帝司馬炎の崩御から、
311年に懐帝が匈奴劉曜に洛陽を陥落させられ囚われるまでであるが、
この約20年間の間に、全て盛り込まれる。
正に集大成と言ってよい。
私も八王の乱に関しては、なんとも言えない取り組みにくさを感じていた。
上記のようなことを考えていた。
一度調べても理解しにくい。
この人は誰なのか、そういうことが多々ある。
なぜこうなるのか、を考えていたら上記の結論に至った。
この八王の乱は秦の始皇帝が前221年に中華統一してからの全ての病弊の
オンパレードである。
岡田英弘氏は、西晋の滅亡で事実上純粋な中華王朝は終焉すると
著書で述べているがまさにその通りである。
これが500年間続いてきた古代漢民族繁栄の終焉であり、
八王の乱こそが最後の打ち上げ花火なのである。
この後の、東晋などは、その残り香に過ぎない。
八王の乱で全てが終わる。
後は、古代漢民族だけで成立し得なかったこの中華というエリアにおいて、
どう周辺民族と折り合いをつけるかの歴史が始まる。
約300年かけて、古代漢民族と周辺民族は淘汰し合い、融合する。
これも岡田英弘氏の言葉だが、
最終的に、「鮮卑化した漢民族と、漢民族化した鮮卑族」が融合し、
南北朝統一となる。
589年の隋文帝楊堅による統一が成る。
290年に西晋武帝司馬炎が崩御してから、
民族シャッフルが約300年(厳密には299年)続く。
その始まりが八王の乱とも言える。