八王の乱の結論は、以下の5段階である。
①291年賈后が楊氏を倒す。
②300年司馬倫が賈后を倒す。
③301年司馬冏が司馬倫を倒す。
④302年司馬穎が司馬冏を倒す。
⑤306年司馬越が司馬穎を倒して八王の乱は一旦収束する。
これが八王の乱である。
5連発の政変を八王の乱と呼ぶ。
案外とスッキリするものだ。
しかしながら、
懐帝が司馬越に反抗、八王の乱は延長戦へと入る。
そうしているうちに、
国内は分裂、異民族の反乱が活発化。
匈奴の内地侵入を招き、西晋は滅びる。
これを永嘉の乱と言う。
これが、簡潔な西晋末期の混乱の結論だ。
司馬亮や司馬瑋、司馬乂、司馬顒、司馬遹が
登場するもこれらは時の権力者が粛清したに過ぎない。
大枠は上記である。
これが結論だ。