歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

これまでは三国時代から西晋。今は八王の乱、永嘉の乱。八王の乱、永嘉の乱は最高に面白い。

鄴エリアの勃興~戦国趙の強みに気付いた武霊王~鄴の歴史④ 戦国時代

 

 

●戦国時代 都市国家の発展 

 

 

春秋時代の末期は、

江南の呉と越が強かった。

 

鉄が産出され、

軍事的にも農耕的にも大きな影響を及ぼしたからだ。

 

それまでは青銅器である。

 

戦国時代の
鉄器の開発が、戦争が皆殺し戦争になった。
人間の殺傷能力が格段に上がったからだ。

それまでは青銅器。
いわばこれはサスペンスドラマの鈍器だ。

当たりどころが悪いと死ぬが、
当たりどころが良いと
骨が折れたり、ひどい打撲程度で済む。

それが春秋時代の戦争だった。

ポカポカやっていただけである。
 

硬い土地に鍬を入れるにしても、

鉄と青銅器では全く異なる。

土を掘る深さが違う。

 

鉄の圧倒的優位は今なお現役で活用されていることからも

想像がつく。

 

戦国時代に入ってからは、

魏が強勢を誇った。

 

春秋時代の大国晋の主要部分を継承し、

先進地域であったためだ。

 

文明、文化度が物を言う

のが戦国時代である。

 

そこに新たな手法が生まれる。

 

商鞅が秦に法統治の考えを用いた。

 

これにより、今まで後進国だった秦が飛躍的に

国力を伸ばす。

強国となる。

領域は中原の覇者となる前の周とほぼ同じであった。 

 

●鄴エリア(趙は邯鄲)と山西高原のアクセス 馬がものを言う。

 

一方、これまた後進国だった趙が、

武霊王の手により胡服騎射という軍事革命が達成できたことで、

軍事大国へと変貌する。

 

趙の領域は古の商の領域に近く、

その王都邯鄲は、商の王都安陽のすぐ北であった。

邯鄲は中原に位置しながらも、

西の後背地に上党、そのさらに西には晋陽、

さらに北には代が控える。この後背地が山西高原にあたる。

 

趙武霊王は、鄴エリアと山西高原のアクセス性の良さが、

都市文明と馬産地の融合という強みを持つことが出来ることに気づいた。

最大限有効活用するために、

胡服騎射に踏み切る。

 

隋唐の成立まで続く、鄴エリアの成功パターンが

確立した瞬間である。

鄴エリア(鄴・邯鄲・安陽・襄国・中山)⇔上党⇔山西高原⇔代

のアクセス確保が趙を一挙に強国にした。

 

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秦も趙も、

それぞれ渭水盆地と山西高原を抑えているので、

馬の産出が可能だ。

 

馬は現代で言えば、自動車である。

現代では自動車は技術と資材があれば、どこでも生産できるが、

馬は当時産出できるエリアが限られている。

 

 

馬は北緯36度以北の寒冷な地域ではないと育たない。

 

日本で言うと、本州の北関東のラインより北である。

 

鎌倉時代、奥州藤原氏が誇った騎兵を思い出してほしい。

奥州は良馬の産地というのはそういう意味なのである。

良い馬が育つということである。