311年6月に西晋皇帝懐帝が、匈奴漢に捕らわれてから、
中華覇権争奪戦が始まる。
330年9月に石勒が皇帝となり、華北の覇者としての地位を確立するまで続く。
約20年の争乱である。
三つ巴の戦いである。
①匈奴漢皇帝 劉聡=匈奴優先=
劉聡の父劉淵は、漢文化の教養を修めた匈奴嫡流の人物であり、
異民族と漢人との融合を目指した。
だが、子の劉聡の代になると、異民族文化、遊牧・騎馬民族文化に回帰しつつあった。
帝国化できないため、匈奴の本拠地幷州から出ることができない。
帝国化できないとは、国家観を共有できない、この匈奴勢力は、例えば鮮卑とか漢人とか
部族が異なると、隷属、すなわち奴隷として扱うことしかできないのである。
同じ国家を支えるということが共有できないのであり、匈奴の領域以外に行けば、途端に
支持基盤がなくなり袋叩きにされるだけになってしまう。
匈奴漢は、建国当初の理念を失い、異民族回帰した結果、他地域への進出が非常に難しくなった。
匈奴漢に匈奴以外が服属しても奴隷にしかならないのである。
さらに漢人からすれば、匈奴のやり方は異質なことばかり。
匈奴は略奪もする、文化も異なる、言葉も異なる、馬乳酒を飲む、レビラト婚をする。
他民族を包含する帝国の要素を備えていない、それが匈奴漢である。
しかしながら、騎兵を主体とした強大な軍事力を擁しているので、
チャイナプロパー領域に進出し得る。
②石勒=異民族・漢人対等融合=
盟友汲桑とともに司馬越と戦い敗れ、
匈奴漢の劉淵に助けてもらう。劉淵から兵を預けられ、
石勒は鄴をはじめ主要エリアを次々と落とす。
とはいえ、いわば外様の石勒。
民族、というより部族の方が今のセンスにあっていると思うが、
石勒は羯という部族の出身だ。
匈奴の一派ではあるが、亜種の石勒は匈奴漢のコアではない。
石勒自身、兵を匈奴漢に借りたとはいえ、自力で鄴などを落としている。
異民族の風習に沿えば、石勒が匈奴漢に従順にならないのは当然である。
力ある者が他を凌駕する。ただそれだけである。
傘下の兵も、力ある者、強い者に従って、美味しい思いができれば何の問題もないのである。
それが異民族たちの文化、習慣なのだ。
石勒は、文明の文物で満ちた中華を席巻し、傘下の兵たちに確実に美味しい思いをした。
西晋は、三国統一を成し遂げ、バブル経済を成し遂げた。
それは八王の乱の遠因の一つとなっているのだが、
八王の乱を経てもなおたくさんの文物、物資があったであろう。
それを掠奪することで、石勒は異民族の英雄となった。
一方、漢人も重用した。
張賓(308年1月に石勒に仕官)という王佐の才を筆頭に、君子営を作り、輔佐をさせる。
それにより、漢人勢力の統合も着実に進むのが石勒の強み。
異民族でありながら、漢人の取り込みも積極的なのが石勒勢力である。
③西晋残党=漢人優先主義=
311年6月に匈奴漢と石勒が洛陽を攻撃し陥落。
西晋皇帝懐帝は捕虜となり、幷州の匈奴漢の本拠地平陽に連行された。
しかし懐帝は存命であり、西晋自体は存続する。
少し概念がややこしいが、記述する。
そもそもこの世のすべては皇帝に帰属する。
たった一人の特別な人物である。
現代の我々は、漢の皇帝とか、西晋の皇帝とかいうが、
実は国ですらないのが中華王朝である。
ただ皇帝がいるだけなのである。言うならば、人類が住むこの領域、今で言うと
世界は全て皇帝に帰属するということである。
そういった思想、一つの伝説、現代では中華思想と言われるものを
信奉するのが、この西晋残党である。
西晋の皇帝を絶対的に崇拝し、晋の名の下活動する。
それに該当する主要人物は下記だ。西晋残党一覧である。
司馬睿(建業)
司馬保(天水を本拠。司馬越の弟司馬模の子)
劉琨(幷州)
陶侃(荊州)
張軌(涼州)
鮮卑拓跋部(代以北)
鮮卑段部(幽州の北方)
爵位と官職を晋から受け、晋の名の下に、政治・軍事活動を行っている。
しかしながら、まとまり方は、中華思想、皇帝思想に紐づいている。
皇帝が不在では、この紐帯は非常に緩いものにならざるを得ない。
各人物の持つ勢力は各個バラバラである。
匈奴漢と石勒は勢力としてはまとまっているので、
上記各勢力を各個撃破の形で討ち滅ぼし、勢力を伸長させる。
刈り取り場となるのが、この西晋残党である。
異民族に関しては、中華思想で接する。
鮮卑などは異民族は異民族として接するので、
漢人より一段下に見られる。石勒がされたように、漢人から不当な扱いも受ける。
しかしそれでも漢人との交易などの恩恵を被ることができるので、
メリットは大きい。
特に鮮卑は半農半牧である。匈奴は遊牧のみだが、
鮮卑は半農であるので、漢人の文化になじみやすく、文化も相対的に近い。
鮮卑は異民族の中でも漢人に服属しやすい条件があると言える。
とはいえ、西晋はやはり中華の王朝であるので、
漢人優先主義なのは、当然である。