歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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晋書の意図が劉淵の歴史的事実を「伝説」にすり替えられた。

劉淵と白登山との関係は、晋書の意義を考えると見えて来る。 

 

時代が変わると白登山の意義が変わるのである。

 

前200年白登山の戦いは、4世紀の劉淵にも、

7世紀の唐太宗にも影響を与える。

900年以上に渡って影響力を持ちつづける事績である。

 

 




晋書は648年の唐の太宗の命により、房玄齢をリーダーとして編纂された。

晋書は誤りも多く、信用するに足らないとはよく言われるところだ。

房玄齢は648年に死去、太宗は649年に崩御していて、
非常に急いで編纂を完成させたことを伺わせる。


それまでに、五胡十六国から南北朝の各王朝の史書はあったのに、
わざわざ何故この晋書を作ったのかというのはよく取りざたされる。

 

 

●晋書の完成を、唐太宗が自身の晩年に急がせた理由:

 

 

それは鮮卑に由来を持つ唐太宗がここに王朝を開くその正統性主張のためである。

太宗が晋書をわざわざ作った理由、
それも晩年に急がせた理由、
それぞれ推測される。

その理由は、
太宗が父李淵の後継者であった兄を排除して、

皇帝になったという点を正当化するため、
太宗の後継者李治、後の高宗の正統性を確立するためと
言われる。

それを西晋武帝司馬炎が、恵帝司馬衷を選んだ理由に模しているなどと言われる。

八王の乱が勃発し、西晋が滅亡したのは、この後継者選定に由来があり、
年長者ではなく、然るべき後継者を選んで皇帝を継がせることが
王朝の存続につながるというロジックである。

そのため、太宗は後継者李治の正統性を補完するために、
晋書を急ぎ晩年に完成させたというわけである。

私はこれはこじつけだと考える。
晋書の目的はこの程度ではない。
晋書はもっと大きな意義があると私は考える。


そもそも太宗だったり高宗だったりが後継者になれたのは結果論で、
その後の唐皇帝たちに引き継がれる伝統ではない。

ここで唐太宗が、
西晋から五胡十六国、南北朝の歴史をまとめる意義は何なのか。

それは、鮮卑出身の唐の太宗が、
異民族の地・漠北と、漢民族の地・中華の両方を支配し得た歴史を
明示する、その役割が晋書である。


西晋の八王の乱に始まり、
異民族と漢民族が入り乱れる状況から、
南北に明確に政権が分かれて、
異民族・鮮卑出身の人物が、
中華を統一するという物語。

隋文帝楊堅が偉大だが、煬帝が世を保てず、
李淵が受け継ぐも、この漠北、中華を保つには足らず、
唐の太宗がそれを受け継ぐという歴史だ。

現代の我々にはぼんやりとしか伝わらないが、
唐の太宗が鮮卑であるという事実は当時は周知の事実であった。

異民族、鮮卑出身の太宗が、
中華、漠北を支配する、その正統性。

それを明示するのが、晋書なのである。

西晋から、300数十年乱れに乱れたこの天下を
唐の太宗が支配する由来。

それは今後の王朝維持には非常に重要である。

それで、唐の太宗は晩年に急いだ。

拙速であろうが、
完成を急いだのは、王朝維持のためである。

 


●唐太宗を初めとした異民族が侵略者ではない理由を作りたい。

 


ここで、重要なのは本来は中華を支配すべきではない、
異民族が中華に入ってきた由来である。

異民族は、
単なる侵略者なのではないか。

そう思われてしまったら、
唐太宗も同類となってしまう。

そうではない伝説を作りたい。

 

唐太宗は侵略者ではない。

その理由。

見つけた理由が、
劉淵が白頭山の戦いに由来して、
漢を名乗ったということであったと私は考える。

 

ここで話が変わったのだ。

 

●異民族=漢、なのかもしれないと思わせるロジックの出現

 

劉淵存命当時においては、
非常に攻撃的なこのストーリーは、
唐の太宗の時代になると、異民族が漢民族と融合できた由来と
なり得る。
唐の太宗時代には、融和の象徴になる。

異民族の唐や唐太宗の視点から考える。
前200年に白登山の戦いにおいて、
漢高祖劉邦が匈奴冒頓単于に負けた時点から、
漢と匈奴は兄弟である。

西晋の末期、その由来に則って、
始めて異民族が中華の伝統に従って、漢風の王号を名乗った。

異民族の漢化の第一号、劉淵にそれを言わせた。

しかし劉淵の死後、匈奴は漢化しきれず、滅亡。
紆余曲折を経て、鮮卑拓跋氏が北魏を建て、その志を引き継ぐ。

北魏が漢化したのは良く知られている。
その後分裂などを経て、隋唐に至る。
唐の太宗が、隋や李淵が天命を受けきれず、お鉢が周ってきたわけである。

この話の流れは、
異民族が正統に漢化し、漢人のみしか受けられないはずの天命を
異民族が得た経緯を示している。

唐の太宗に至る必然性、それを示しているのが晋書である。

前漢武帝にとっての史記が、
唐の太宗にとっての晋書であるというわけである


漢民族の祖と言える劉邦と、中華にとっての異民族首領初代冒頓単于が
兄弟となった白頭山の戦いをピックアップすることは、
漢民族に対する異民族の優越性を示している。

冒頓単于の漢に対する優越から始まり、
約800年の漢人・異民族の対立が続く。

それを融合させ、統一したのが
唐太宗ということである。

前200年に始まる、異民族と漢の対立の歴史が、
唐太宗が編纂させた晋書の成立する648年に終焉するのである。
それは唐太宗という人物が全てを終わらせたという新しい「歴史」である。

だから、晋書には、
漢人皇帝のみではなく、
異民族皇帝も事実上の列伝(載記)が存在するのである。