歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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石勒の転機は312年に寿春手前で足止めを食い、建業に攻め込めなかったことである。

石勒の経歴を端的に記す。

中原から長江北岸までを散々荒らし回ったが、

華北に帰り、拠点を設け、覇道の道へと進む。

その結果、華北東半分の覇者となり、劉曜との洛陽最終決戦に望み、勝利。

晴れて皇帝となり、中原の覇者となる。

こうした輝かしい異民族の英雄が石勒である。

 

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その石勒の転機は、312年である。

 

 

 

●寿春を目の前に初めて足止めを喰う石勒軍

 

冀州から荊州北部までを散々荒らし回った
石勒は揚州を目の前にして足止めを食った。

それまでは散々石勒は各都市を攻撃、
虐殺、掠奪し放題だった。

軽騎兵を中心として、
まさに狩のごどく、漢人たちを殺戮していく。

まさに西晋、漢人にとってのカタストロフィ、石勒であった。

 

だから面白いことに石勒は例えば鄴を三度落としている。

鄴を陥落させるも、鄴を維持しないので、
その後を西晋、東晋の漢人将校が入城、維持管理してしまうからだ。

最後は石勒は石虎に指示を出し攻撃、陥落させた。
そして石虎に鄴を管理させる。
それまでは、ただ単に殺戮と掠奪のみであった。

非常に野蛮な行為である。

 

現代の我々からすると、残虐な所業の数々である。

現代の一般的な倫理観、宗教観からするととんでもない行為である。


しかし、これは異民族の流儀としては全く間違っていない。
弱肉強食の世界である異民族の世界では、
狩も戦争も同じである。

 

ただ対象が獣であるか、人間であるか。その違いがあるだけだ。
人間が対象である戦争の場合は、
人間自身が文明の産物として、
物資を持っているので、
掠奪となる。

獣は、
獣自身にしか価値がないので、
毛皮などが物資として活用される。

そして肉が食われる。

異民族にとっては、
獣の肉を食らうのも、

人肉を食らうのもそれほど大差のないことであったに違いない。

人間の物資を掠奪するのも、
獣の皮を引き裂き、売り払うのも
同じことだったに違いない。


これは、
モンゴルのチンギスハーンまでは確実にこの考え方だ。
チンギスハーンが、
長城以南の農地を見て、これは役に立たないと考え、
牧草地にしようとし、
耶律楚材に農地の活用を説明されて、取りやめた。

それは石勒と大きく考えに相違がない。

今の価値観で見てはダメだ。

また我々農耕文明の末裔の感覚で見てはダメだ。

 

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そんな偏見に満ちた我々よりも、
すごいのはやはり石勒である。下記で述べる。

 

●野獣のような異民族の石勒、パラダイム転換をする。


石勒は、
寿春手前で足止めを食った時、
張賓に説得をされ、
「鄴エリア」へ割拠することに決めた。


ここで、
都市を支配することを覚えた。

今までとにかく略奪と殺戮だけをしてきた。

華北平原を縦横無尽に駆け回り、

盗賊のごとく残虐な行為を繰り返してきた。

それは異民族として当然の行為である。

 

しかし、揚州を目の前にして豫州汝陰郡葛陂で行き詰まった。

それ以上攻められなかったのである。

略奪・殺戮の行き詰まりである。

石勒はこの時点では何も手に入れられていなかった。

 

どうすればいいのか。

それを提示したのが、張賓である。

 

鄴エリアに割拠し、都市を支配せよ。


石勒はその言葉の意味を理解できたのである。

様々な影響から石勒が理解できたということはできるが、
何よりもまず石勒自身がそれを理解したことが驚異である。

これにより、
匈奴漢を凌駕し、
鮮卑・烏丸と婚姻関係のある王浚を打倒し、
根強い西晋残党劉琨を駆逐した。


それは石勒の歴史的なパラダイム転換の成し得た成果である。