歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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石勒はソグド人か②=石勒は安禄山と同じソグド人、祖先は大月氏=

「石勒はソグド人か①」において、

石勒が匈奴、羯ではないことが明確になった。

 ●●●石勒 

わざわざ大カテゴリーのテュルク系民族(トルコ系民族)に由来する名前、石勒を

名乗るからには、匈奴、羯ではない、テュルク系民族だと、主張しているのだ。

 

 

となれば、石勒の出自は何か。

 

そのヒントが唐代における西域諸国政策にある。

 


●石勒は石姓の祖?唐代において石姓はソグディアナの姓

 

 


実は石という姓は唐代においては、
タシケント出身者のソグド人姓である。

 


ソグド人は、

ソグド突厥と言われる人たちの血縁もしくは文化的影響を受けた人たちと
言われている。

突厥はトルコの訛りである。つまり、テュルク系民族のソグディアナの人たち

という意味である。


一言にトルコと言っても、その範囲は実は非常に広い。

中央アジアのトルキスタンから東西にユーラシア
大陸に広がったからだ。
テュルク系民族と言っても非常に様々な「トルコ」がある。

アナトリア、小アジアのトルコはそのほんの一部に過ぎない。

 

石姓のトルコ民族が、唐代においては、
中華の西域のトルコである、ソグディアナのタシケントにいた、ということである。

 

ここはテュルク系民族の一つ匈奴のいた漠北ではなく、

西域だ。

 

 

●ソグドの初登場は「魏書」西域伝。ソグド人の身体的特徴

 


北魏の史書「魏書」において、
初めてソグド人という名前が出た。

粟特国(そくどくこく)としてである。

その前にはソグド人の概念は中華にはない。

 

石勒の時代にはソグド人の概念はないのである。

 

ソグド人は交易の民であり、
涼州までは確実に来訪していた。
彼らの祖先は汗血馬で有名な大月氏とも言われ、
馬の扱いに長けている。

 

のちに唐代に昭武九姓と言われる中に石姓は含まれる。
彼らソグド人の特徴は、
深目、高鼻、多髭である。身体的特徴が石勒と同じである。

 

 

●唐の西域における昭武九姓=行政管理の必要性から=

 


ソグディアナのオアシス国家の王がそれぞれ昭武という姓を名乗った。
このオアシス国家が9つあったので、昭武九姓という。
彼らは中華から見れば当然異民族のため、
九姓胡とも言う。

 

なぜ中華名を名乗る必要があったのか。
それは中華には来訪した際に、戸籍管理など行政上の必要性からである。

 

漢人の行政なので、当然漢字表記しかできない。

当て字でもなんでもいいから、
漢字の姓を必要とした。
石勒が汲桑に石勒という名前を与えられた事跡と同じである。

 

●古例に則るのが漢人の教養であり文化である。

 

ここでは、事実を紐解くよりも、
唐においては、


異民族が行政上の必要から漢字を当てさせる考えがあったこと、
ソグディアナのタシケントが石国であったこと、
ソグド人は深目、高鼻、多髭であったこと、
ソグド人の祖先は、汗血馬で有名な大月氏と言われ、馬の扱いに長けていること

 

ということを私は言いたい。

 

それには由来がありそうなものだ。
中華の文書管理は、圧倒的に卓越している。
時代を遡ることは、中華においては、当然の教養の一つだ。

 

急遽「石」という姓が出てきたとは考えられない。
古の慣習に則って、行政上の定義をする、
それが中華教養人の嗜みだ。
科挙はそれを確認するための試験であるのだから、そういう思考回路になる。

 

 

●唐代にソグディアナのタシケントという国に石姓を使った事実。

 

 

私はこれは石勒の存在にならってつけたと主張したい。

いきなり石という姓が出てきたというよりは、
石勒が西方出身だから出てきたと考えたい。

唐代まで来ると、慣例に倣うものだ。

石虎も、自分は西方出身だから、と言っている。

石勒が西のトルコから来たので石勒という名前になった。

石虎が言う、西は西域諸国のソグディアナだ、
それで唐代においてタシケントが石姓となった。

 

 

●石勒の出自がソグド人、大月氏だからこそできた先進性

 


となれば、石勒の祖先はあの汗血馬の大月氏となる。

 

ソグド人と大月氏の特徴は、
馬の扱いに長け、交易に優れているということだ。

 

馬の扱いに慣れていると言う部分は石勒が滅法戦上手なことからもよくわかる。
また石勒は交易はしていないが、
他文化受容度が高いことは特筆に値する。
漢人の意見の飲み込みが非常に早いのは、
交易国家出身ゆえではないか。
また土地にこだわりがないのが石勒の強みの一つだ。

 

匈奴漢は、并州に割拠したまま、プラス関中を制覇する程度だが、
石勒は中華を縦横無尽に動き回った。
特に距離、場所にこだわりがない。

これだけでも石勒が匈奴系ではないことを窺わせる。

 

石勒は他の異民族と大きく異なるのだ。

匈奴、鮮卑、氐、羌と、
生態がよくわかるが、
石勒だけは見えない。
部族を率いている影もなく、ただ石勒の凄さだけが際立つ。

 

私は石勒の先進性は、
西域トルコ、すなわち、ソグド人、大月氏だからこそ、
なし得たものだと考えている。

●参考図書:

 

スキタイと匈奴 遊牧の文明 (興亡の世界史)

スキタイと匈奴 遊牧の文明 (興亡の世界史)

 

 

 

五胡十六国―中国史上の民族大移動 (東方選書)

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