歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

これまでは三国時代から西晋。今は八王の乱、永嘉の乱。八王の乱、永嘉の乱は最高に面白い。

虚構の「関羽」の国家利用=明のプロパガンダ三国志演義=

実態に迫ることで、なぜ関羽が国家利用されたのかを記述したい。

 

 

なお、私は関羽が好きだ。
12歳のときに関羽を知ってから、好きな歴史上の人物のトップクラスに入る。

 

しかし、歴史や政治の世界を知れば知るほど、
関羽のような人気者は違和感を覚える事跡が増えていく。
諸葛亮と同様だ。

 

ここがおかしい、
あそこがおかしいと感じる部分が増えていく。

三国志は正史と演義があるので、比較するだけでも理解ができてしまう。

 

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初めの関羽像に心底感動した私は、一旦ここで失望する。

しかし、
再度関羽を認識すると、

やはりその人間味から今度は人間として好きになるのである。

 

 

●関羽 国家と民の心を掴むその理由

 

 

関羽は、現代に至るまで、
また国を越えて、最も民衆統制に活用されている
歴史上の人物である。

 

彼の世間認識は美化され過ぎている。

関羽は三国志演義において英雄。

しかし、実態は塩賊。塩の密売人である。

 

戦国時代魏の都であった安邑のそばで
塩の賊をやっていた。
それであれば、唐の黄巣の乱を起こした
黄巣と同じ。


関羽は故あってこの河東の地(安邑を含むエリア)から、
劉備のいる幽州に逃げ去った。
普通に考えて、塩の密売が見つかり、官憲に追われたからだろう。

 

ここで劉備に拾われた。
劉備は義侠心で互助組織を運営していたからだ。
これは中国に連綿とある民衆の歴史の一つである。

 

ここで逃亡してきた関羽は劉備と出会った。

 

実は、

関羽はどちらかというと自分勝手な人物で、
特段劉備に忠義を仕えたわけではない。
義侠、といえば聞こえはいいが、
単なる無頼漢の寄せ集めである。
兄貴、舎弟の世界である。

 

なお、この世界に近いのが中華史で言うと、
明の朱元璋である。
彼はいわばヤクザ組織に所属したが、皇帝になった。
しかし皇帝になった後も、
義兄弟の関係は続き、朱元璋は頭が上がらなかった。
それで晩年に大粛清が行われる。

 

国に忠義を尽くした人物は、
国家と民衆の支持を得やすい。

国家はもちろん問題がないので制御されない。
民衆の心をつかみやすい。

それが関羽だった。

だから圧倒的な人気を得る。

 

まず、
民衆の支持を得やすいのは、
自分たちの代表として、
自分たちの故郷を守ってくれたからだ。
自分たちの代表なのだ。
そして自分自身もそうなりたいと自己投影できる。

 

そして、国家の支持も得られる。
上記のような民衆の思考回路は、
願ったり叶ったりである。

 

こうして、国家の命令の元に、
自由に民衆を動かす。
これこそが、そもそもの国家という
システムの存在意義だからである。

関羽のような人物は、
国家と民衆のニーズに応えたのだ。

 

 

●虚構の関羽

 


関羽は英雄だ。
道教では神様である。

関羽の、演義寄りの英雄譚はこうだ。

 

関羽の事跡を概説する。


桃園結義で、劉備と張飛と義兄弟に契りを結ぶ。
黄巾の乱で乱れた世の中を、
漢王朝を尊皇の志で支える。
ときには曹操の元に匿ってもらうこともあるが、
劉備への忠義から、曹操に仕官することはしない。
一騎当千の武力で、敵を圧倒。
流浪の末、義兄劉備は益州から荊州にまたがる勢力を確立。
関羽は荊州の統治責任者となった。
関羽はその後、漢王朝尊皇の志を忘れず、
北伐を開始、しかし呉の孫権の謀略に嵌る。
背後の本拠地荊州を攻撃され失陥。
前方からは曹操軍が迫り、関羽は窮地に陥る。
最後は呉に囚われ、関羽は処刑される。
後に劉備は蜀漢を建国、
関羽は建国の元勲となった。
劉備は関羽を殺害された恨みから、呉の孫権が持つ荊州を攻撃。
しかし夷陵にて大敗。劉備は失意のうちに病死する。

義に厚く、腕っ節も強い、英雄的な関羽。
しかし、曹操や孫権の謀略で殺され、
劉備は仇打ちをするも失敗する、という悲劇である。

 

●実態の関羽 四点から考察

 

①桃園の誓い


桃園結義というが、中華において桃の花は、日本の桜と同じで位置付けだ。
なんともドラマチックだが、彼らの関係は表立ったものにするものではない。
一種の秘密結社である。

 

②義兄弟、そのアンダーグラウンドな世界

 

義兄弟も何も、劉備は任侠道に従って、関羽を匿った。
そして義兄弟に契りを結んだ。綺麗なものではなく、中華にはよくある話だ。
養子が多い人物としては、例えば石勒や朱全忠がいる。
異民族はよく養子関係を結ぶ。
石勒はその影響だろうが、それが中華の任侠道の世界に入っていったのではないか。
それで無頼の徒朱全忠にも受け継がれ、義理の関係を結んで、
自分の勢力を増やしたと言うことだと私は考える。

 

またこのお互いの利害関係から、
兄者、弟よの世界になるが、後に争いの種になる。
石勒は死後王朝を養子の冉閔に奪われた。
朱全忠は養子に帝位を譲ろうとしたのを恨まれ、
妓娼との間の子に殺された。

国家レベルの話になると、利害関係が変化してしまうのと、
本来の曖昧な関係性が、争いを生んでしまう。

 

③尊皇の概念で民衆が動く時代ではない。

関羽は、漢王朝を守るため、

尊皇の理念から黄巾の乱討伐軍に加わったことになっているが、

この事跡も怪しい。

どこまで活躍したかはともかくただ単なる立身出世、

もしくは褒賞狙いである。尊皇などという概念がこの時代の民衆レベルにはない。

尊皇というのが必要なのは国民国家という概念が産まれてからである。

 

 

④荊州失陥、悲劇ではない。劉備の政治生命を断ちかねない致命的な問題

 

 

荊州は関羽が騙されたことになっているが、

これは関羽の純粋なミスである。

 

そもそも孫権と事実上の断行状態なのに、

荊州公安を開けるなど、自殺行為に等しい。

孫権を舐めていたのだろう。

 

しかし問題はこれだけでは済まなかった。

 

荊州人士が多数しめる劉備政権。

その故郷荊州が奪われたことは劉備にとって致命的な問題であった。

 

詳細については次項にて説明したいが、

関羽の人間臭さと欠点がこれで見えてくる。

 

しかし、自分らしさを貫いて劉備に大きな迷惑を掛けた関羽は、

民衆の心を打ったのである。