歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

これまでは三国時代から西晋。今は八王の乱、永嘉の乱。八王の乱、永嘉の乱は最高に面白い。

石勒、312年葛陂の悟り=これこそが劉聡、劉曜と袂を分つきっかけである=

石勒が異民族から英雄に進化したのは、
葛陂の戦いである。

許昌南西方面の豫州汝陰郡葛陂において、
寿春を目の前にして立ち往生したときである。

 

石勒は司馬睿軍が駐屯する寿春を前に立ち往生。

引用:中国歴史地図集

 

f:id:kazutom925:20170911075603p:plain


●石勒、葛陂にて悟る。

 


葛陂にたどり着くまで破竹の勢いで中華を席巻してきた
石勒軍。
しかし一旦寿春までたどり着いた後、
西に撤退し葛陂に拠点を築いた。

司馬睿の立てこもる建業まで攻め込むためである。
石勒はとにかく西晋勢力をことごとく叩き潰すつもりだった。

この当時の石勒にとって戦うことに大きな意味はない。
ただ生きるためであり、その手段が戦いと略奪だった。


とにかく西晋軍は弱い。
文を尊び、武を蔑んだ結果だ。
兵も弱い。
しかし石勒軍は軽騎兵主体でとにかく戦いが強かった。
巻狩りのような戦い方で、数千の兵力で王衍の10万人の軍勢を打ち破るのである。

しかし、葛陂より先は湿地帯が広がる。
軽騎兵が活用できない。

ここで駐屯するも、長雨の影響で滞陣が長引く。
食糧も底を尽きかけ、諸将も士気も下がる。

司馬睿側への投降を主張するものも出る有様。
ただ前へ進んできた石勒にとって、初めて苦境に陥った。

そこで石勒に進言をしたのが、
漢人の張賓である。

ここを撤退し、鄴などの太行山脈エリアに割拠すべしと提案をした。

石勒はそれを飲み、
葛陂を撤退する。

ただ殺戮と略奪を繰り返してきた石勒が進化した瞬間だった。

鄴の北、襄国に本拠を置き、
本格的に割拠しようとする。


●彷徨う最強の石勒軍、目的がなかった。



葛陂までの石勒はただ戦い、彷徨うだけであった。

石勒は307年10月匈奴漢の劉淵の下に亡命、
その後兵を与えられてから連戦連勝であった。

鄴を陥とし、
冀州・兗州から荊州まで転戦、
その後北西へ移動。豫州で、
旧司馬越軍を率いる王衍10万人を大虐殺し、
とにかく戦いに戦って殺戮の限りを尽くした。

この石勒の行動は、石勒が割拠するための
行動だったと言われる。
しかし、
それは、本当に割拠のためだったのかわからない。
とにかく生きていくためであったことは間違いない。

 

石勒に漢人の都市を統治するという感覚はなかった。

その考え方がわからないのである。


異民族であった石勒は、
漢人たちの農耕文明の生き方がわからなった。

農耕文明では、
一年かけて農作物を植え付け、
収穫まで大事に育てる。
それを集団で機能的に行う。

石勒には理解できなかった。
石勒は文盲で文字が読めなかった。

漢人たちの文化、文明が
石勒には皆目分からないのである。

別段、これは恥じることではない。
後世のチンギスハーンも文盲で、
各種学問は耳学問であった。
異民族にそもそも文字がないのだから、当然なのである。

なお、
異民族としての色合いを残したまま、
文字を初めて作ったのは、フビライハーンでパスパ文字を作った。

13世紀中頃(1200年代中頃)までは、中華の北方異民族に
文字はないのである。

しかし異民族の暮らしには家畜が付き物であった。
石勒は馬を駆り、家畜を育てて、生きていく暮らしならわかった。

必要あれば、狩猟をして野にいる動物を捕らえ食したり、時には、
他人の家畜を奪って、その日を生きていく、
そういうことをしている生活スタイルだ。

さらに石勒は一説にはソグド人ではないかとも言われている。
ソグド人は西域の交易都市を持つ民族だ。
このように物資を奪って転売するという価値観は持ち合わせていたかもしれない。

 


●石勒にとって、中華の都市は掠奪の対象でしかない。




中華の都市を攻略したとしても、
この感覚でしか都市の価値を捉えていない。

だから、
石勒は鄴を攻略しても、維持することなく、
掠奪だけして放棄する。

だから、石勒は、
307年5月、
308年9月、
312年7月と三度鄴を陥している。
陥としては捨て、陥としては捨てである。


最後に313年4月族子の石虎に鄴城三台
(曹操造営。210年銅雀台、213年に金虎台、214年に氷井台)を落とさせて、
石虎に鄴と鄴の三台を任せる。
石勒は北方の襄国を本拠にしていたためである。
南側の重要都市は身内の石虎に任せた。

これでようやく石勒勢力として鄴を統治する。

曹操以来繁栄を誇り、八王の乱の際も最重要拠点の一つであった
鄴さえもこのありさまである。
取っては捨て取っては捨てである。
石勒たちには何の関心もなかったのである。
都市に興味はなく、中にある物資や人という資源だけ関心があった。


ではこのパラダイム転換が起きたのはいつなのか。
それは、葛陂(かつは。豫州汝陰郡の西部)で立ち往生し、
張賓の建言により石勒が自身の誤りを認め、撤退した時である。

石勒が漢人の考え方を理解し始めた瞬間だった。

 

●参考図書:

 

五胡十六国―中国史上の民族大移動 (東方選書)

五胡十六国―中国史上の民族大移動 (東方選書)

 

 

 

魏晋南北朝 (講談社学術文庫)

魏晋南北朝 (講談社学術文庫)

 

 

 

中国史〈2〉―三国~唐 (世界歴史大系)

中国史〈2〉―三国~唐 (世界歴史大系)

  • 作者: 松丸道雄,斯波義信,浜下武志,池田温,神田信夫
  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 1996/08/01
  • メディア: 単行本
  • クリック: 1回
  • この商品を含むブログを見る