何故斉の桓公は重耳を受け入れたか。
後に春秋五覇の一人となる、晋の文公、重耳。
彼は公になる前は流浪の公子であった。
衛で冷たくあしらわれ、当時覇者であった斉の桓公の元に亡命する。
春秋五覇の代表、斉の桓公と晋の文公が心を通わせる心地よいエピソードである。
彼ら二人を「斉桓晋文」とも呼び、天下の主宰者の理想像として賞賛される。
しかし、斉の桓公がこの時後の晋の文公を受け入れるのは実は問題がある。
これは晋の後継者争いに絡むことを意味しているからだ。
●斉の桓公は本来の晋の後継者争いを差配する立場である。
重耳をまず受け入れたのは、春秋五覇の桓公。
当時は覇者として中原の盟主である。
彼が重耳を受け入れるということは、晋の献公、
及びその後継者を認めないと言っているに等しい。
覇者と言うのは、周王から覇者として認められ、
中原の秩序を維持する立場にある。
中原という概念は様々あるが、
春秋五覇の文脈では、
周王が自分の世界だと認めているエリアのことである。
重耳の出身国晋は、姫姓の国で、周の武王の子供が祖先である。
遠くはあるが、周王室の親戚である。
確実に周王の世界に含まれる。
周王の世界で起きた政変に関して、斉の桓公は、
その後継者の有力候補をかくまっている。
晋の重耳の亡命を受け入れるというのは、後継者争いに口を出すのと変わらない。
晋では、既に重耳の弟、夷吾が即位している。恵公である。
斉の桓公は、
場合によっては、
重耳を奉じて斉は晋に軍事介入することもできるカードを
手に入れているわけなのだ。
しかし、斉桓公はそのような行動をしていない。
これは春秋五覇斉の桓公の権威に関わることなのではないのか。
何故動かないのか。大きな疑問が残る行為である。
●重耳を冷遇するのは全て姫姓の国である。
重耳は、父献公の妾驪姫の謀略により、国を追われた。
驪姫が自分の子を献公の跡継ぎにしたかったためである。
晋の北方にある、母の実家白狄に逃れる。だが驪姫の追手が現れた。
そこで、
山西高原を離れ、中原へ行く。
衛などでは冷遇された。
斉では厚遇された。当時の君主は春秋五覇桓公である。
桓公の死後、孤偃と趙衰により強引に斉を出奔させられる。
曹、鄭、宋、楚、秦と流浪した。
曹、鄭では冷遇、
楚、宋、秦は厚遇された。
衛、斉を含めてまとめてみる。
重耳を冷遇→衛、曹、鄭
重耳を厚遇→斉、宋、楚、秦
この違いは何なのか。
並べてみると、はっきりとわかることがある。
冷遇しているのが、姫姓の国、周王室と同姓の国で、
厚遇しているのが、異姓の国、周王室とは親戚関係にない国、
ということである。
●異姓の国
重耳は衛では歓迎されず、
曹では風呂を覗き見され、
鄭では冷遇された。
晋は姫姓なのに、である。
重耳は身内の姫姓に嫌われたということである。
姫姓諸国としては、恵公の即位を認めたとも言える。
しかしこの時点での中原、天下の主宰者は、
斉の桓公なのだ。良いも悪いも決めるのが覇者なのである。
斉の桓公は重耳を匿っているわけで、その意図は明確だ。
その桓公の意図に衛、曹、鄭が反抗するのは外交問題に発展する。
●周王室と同姓国が重耳を嫌い、異性国が重耳を好む
これらの意味するところは何か。
上記をまとめる。
①斉の桓公が重耳の亡命を喜んでいる。
②斉の桓公は晋の後継者争いに介入しない。
③重耳のことを姫姓の国だけ嫌がる。
春秋五覇と言うのは、実は晋以外は全て周王室と異姓の国である。
晋だけが姫姓なのである。
斉の桓公も異姓である。太公望呂尚の子孫である。
斉の桓公は覇者である。天下の主宰者である。
周王の権威を代行する。
中原の秩序を守る春秋五覇の筆頭、
斉の桓公が重耳を匿ったのに、何も動かない。
晋の恵公に関心がなく、ただ重耳が来たことだけを喜んでいる。
娘も娶らせ、重耳は居心地がよかったらしく五年も斉にいた。
繰り返すが斉の桓公にとって重耳が来たことだけが関心ごとだった。
一方姫姓の国にとって、
重耳は忌々しい存在だった。
重耳が姫姓の国に行くと冷たくあしらわれる。
それはなぜなのか。
次項にて考えたい。