何故斉の桓公は重耳を受け入れたか、に関して、
3つの視点から考えていきたい。
①斉の桓公は重耳の亡命を喜ぶ。
斉の桓公が晋の恵公とつながりがあれば、重耳の亡命に困惑するはず。
しかしそういう素ぶりがない、どころか喜んでいる。
戦車20乗を与えている。
戦車一乗につき、三十人の兵卒が付く。600人の兵卒を与えられたことになる。
また戦車というのは簡単に言えば、現代の車だ。
ざっと一台500万円として、1億円分の戦車を与えたことになる。
強国斉の、それも全盛期の王者桓公には何のこともないのかもしれない。
しかしその上、斉の桓公は実の娘(斉姜)を娶らせている。
よほど嬉しかったに違いない。
相当な歓迎ぶりだ。
だからこそ、晋とのつながりが気にかかる。
そこまで重耳を歓待していいのか。
②斉の桓公は晋に介入しない。
斉の桓公は晋に介入しない。
晋に興味がないのだろうか。
しかしそうも言っていられない。
桓公は周王から伯に任命された、覇者なのである。
秩序を維持することを目的とした盟主なのである。
本来ならば晋に興味がないとは言えないはずなのだ。
晋は周王室と同姓、姫姓の国である。
周王の天下の一部なはずなのに一体何故だろうか。
斉の桓公の晋に対する無関心、それが許されてしまう。
晋の恵公との関係はどうなっているのか。
重耳を歓迎している割には、晋の後継者争いに介入するわけでもない。
斉の桓公は全く関心がないほどなのだ。
晋の恵公が抗議するわけでもない。
何の交流もないのだ。
つまりつながりがない。
中原の覇者斉の桓公が晋とつながりがない。
これは非常に不可思議なことである。
本当は介入しなくてはいけないのに、である。
③姫姓の国は重耳を嫌がる。
周王室の同姓の国は親戚の家である。
周王の親戚であることが統治の根拠である。
周王室の代理人に近い。
彼らは重耳を冷たくあしらった。
これは何故だろうか。
姫姓の国々は、晋か、重耳を嫌っていたか、恵公と誼を通じているか、
いずれかである。
晋の恵公と誼を通じていたとすれば、これは斉の桓公への当てつけ、
敵対行為ともなりうる。
しかしこれはない。斉の桓公全盛期の当時、わざわざ
斉の桓公とことを構えるのであれば、もっと大きな問題になる。
何かを企んでいたとしても、
土くれをあげる、
風呂を覗くなどこれは単なる嫌がらせだ。
そこまでの陰謀などない。
となれば、
ただ単に晋もしくは重耳が嫌いだった、としか考えられない。
中原の姫姓の国々はだから、このように
無下に重耳を扱った。
しかし、そうは言っても重耳の存在というのは、無下にしたとしても、
斉の桓公に怒られることはないぐらいのものだった。
④晋に関心のない桓公が重耳亡命を喜び、姫姓の国が重耳を嫌う、その結論
斉の桓公は晋とつながりがなく、興味もなかった。
中原の姫姓の国が重耳を無下に扱ったとしてもそこまで興味はない。
しかし、重耳の亡命は嬉しかった。
何故嬉しいのか。
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斉の桓公という覇者の関心の外。
中原の姫姓の国は晋か重耳が嫌い。
けれども斉の桓公は重耳の亡命が嬉しい。
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これでわかる結論は一つしかない。
実は晋は中原ではない。
重耳が晋文公となるまでは。
重耳は中原の外の異国の公子だったのだ。
こう考えれば、話は通る。
斉の桓公の管轄外の外国。
姫姓の国々は異国の公子を蔑む。田舎者め、である。
しかし桓公は重耳の亡命は嬉しかった。
異国、外国の公子が自分を頼ってきた。
これは斉の桓公自身の威名が異国に轟いているということを示している。
これは嬉しいことだ。
周王とか鄭とか当時の中華中央の国ではない。
東方の以前は東夷とすら言われた斉までわざわざ来たのだ。
後年の異民族入朝が権威を高めたのと同じである。
斉の桓公は夷狄の公子重耳が、自分を頼ったことが心底嬉しかったのだ。