歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

これまでは三国時代から西晋。今は八王の乱、永嘉の乱。八王の乱、永嘉の乱は最高に面白い。

東晋北伐⑥ 北伐派と反北伐派

東晋における北伐派と反北伐派について。



東晋には実は北伐派と反北伐派がある。

桓温の時代に徐々にこれが明確になっていく。

 

北伐派は桓温に始まる勢力で、

庾氏勢力を引き継いでいる。

これは後に弟桓沖、末子桓玄に引き継がれる。

桓玄の桓楚が滅びた後は、劉裕がこの系譜を継ぐ。

 

一方反北伐派は、

いわゆる名門貴族である。

瑯琊王氏、陳郡謝氏などが代表格だ。

 

彼らも初めから反北伐だったわけではないが、

紆余曲折あり、自己の権益を守る方を取るようになる。

徐々に反北伐になって行くというのがポイントだ。

初めから反対だったわけではない。

この「徐々に」、北伐派と反北伐派に分かれて行くのが、

桓温の時代である。

 

のち、これが時の政権に擦り寄るようになり、

それはやがて梁の侯景の乱で破滅を迎えることになる。

 

●東晋において何故北伐派、反北伐派という視点がないのか。

 

東晋において、

北伐派と反北伐派という視点で語られることはない。

史書でもない。

何故か。

 

東晋が中華正統王朝なら、

もしくは

東晋を中華正統王朝にしたいのなら、

北伐に反対するという概念はないのである。

 

何故なら、

北伐の対象である華北の国家は東晋にとって

賊である。

 

それを滅ぼして東晋の本来の在り方である、

中華統一王朝という正常な状態を取り戻すのは

至上命題、あるべき姿なのである。

 

東晋は本来の名前は、

晋である。いや、

本当は晋でもなく、

国でもなく、

ただ中華皇帝が君臨するのみである。

 

この世にあるものを全て所有するのが、

中華皇帝である。

 

●●中華皇帝とは

 

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国境という概念も何もないのである。

 

中華皇帝としての在り方は

このようなものなので、

北伐は必ず成し遂げられるべきものなのである。

 

●中華王朝たる東晋にとって北伐は当然

 

ここに踏み込まないと当時の東晋の思考がわからない。

なので述べた。

 

大名目は北伐遂行、完遂である。

実態は反対意見は多々ある。

しかしそれは表立って言えない。

 

慎重論だったりの形で、

表に出てくる。

非協力的だったり。

 

桓温はそういう形で足を引っ張られたのである。

 

この意見調整をしたのが、

司馬昱である。

 

●事実上の皇帝代理司馬昱

 

司馬昱は344年に崩御した康帝の後継者候補として

挙がった。

これが司馬昱が表舞台に立った初めの機会である。

 

342年に康帝の先代成帝崩御の際、

遺詔を受けているが、それは庾冰、何充らと共にであった。

 

ここで後継候補として挙がることで、

宗族トップとしてのポジションができあがる。

 

実は司馬昱には兄がいる。

司馬晞(シバキ)である。

4歳年上であったが、文よりも武を重んじたため、

皇帝後継や宗族のトップとしては推戴されなかった。

 

事実上の宗族トップは司馬昱である。

 

司馬昱はまだ24歳であった。

 

これ以後の司馬昱の役割は実は重く、

当代の皇帝が幼帝だった場合、

宗族全体の意向を代表するのが司馬昱となるのである。

事実上の皇帝代理のような立場に置かれる。

 

例えば穆帝のように2歳で即位した皇帝では、

判断能力がないどころか、言葉がまず喋れない。

となれば、人臣たちが考えた施策を誰が承認するのか。

皇帝の為を思って作り上げた妙案であっても、

皇帝が認めてくれなければ、何の意味もなさない。

東晋のような名族貴族社会では、

ある一部の一族が突出することも簡単ではない。

 

となれば、皇帝の意向を共に慮ったものとして、

認めてくれる皇帝側の人物が必要なのである。

 

それが、宗族のトップなのである。

西晋の言葉で言うと宗師という。

 

この宗族のトップが司馬昱なのである。

司馬昱は、344年、24歳にして宗族のトップに事実上就任し、

それから371年に皇帝に即位するまでの27年間、

そのポジションにあり続けた。

 

その間の皇帝は三名いるが、

幼帝もしくは成人間もない時期の皇帝ばかりで、

司馬昱の判断が政策の実行を左右していたのである。

 

●司馬昱と桓温が活躍する時期はほぼ同じ。


そして、

これは桓温が権力を握る時代とほぼ重なる。

桓温は345年に庾氏勢力の後継者となり、

373年に死去するまでの28年間、強い影響力を誇る。

 

このような桓温も当然皇帝の臣下であり、

皇帝の承認がなくては国家単位の行動はできなかった。

 

桓温の時代は、

皇帝とはいえ、幼帝、もしくは若年の皇帝ばかりであったので、

その承認は事実上司馬昱のものに代替される。

 

その下で、

桓温は成漢征伐に始まり、

三度の北伐という国家的大事業を実行した。

 

それは司馬昱の承認無くしては、

実現しえないのである。

 

●桓温と司馬昱は北伐派。

 

桓温は庾氏勢力の後継者である。

 

庾氏三兄弟の悲願が北伐実行・完遂である。

その勢力を率いる桓温は、

その生涯を賭けて北伐を実行しようとする。

 

庾氏三兄弟にとっての義理の甥。

そして、東晋二代皇帝の婿、桓温。

 

北伐を遂行するにあたり、

桓温以上の存在はいない。

 

こうして自明の理として、

北伐を遂行する桓温であった。