歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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土断法 その由来は皇帝権の弱体化

 

そもそも、土断法の由来

 

そもそもの由来は、

西晋の初めである。

 

●土断法の発端は九品官人法の弊害 

 

これは九品官人法(九品中正法)の弊害から、

衛瓘(エイカン)が西晋武帝司馬炎に建議したものであった。

 

九品官人法(九品中正法)は、

魏の曹丕が、陳羣の上奏から採用したものである。

 

この九品官人法の意義は二つある。

 

●九品官人法の意義①漢魏革命をつつがなくおこなうため

 

具体的には、

新たに官人(官吏・官僚)を九品に序列化するというものである。

 

 

そもそもは、漢魏革命に際して、

漢の臣下を皇帝直轄で採用を検討するというものであった。

その位置づけは、

曹丕が厳密に判断するという軽い脅しと、

問題がなければそのまま採用するよという、

不安を取り除くための部分もあった。

 

曹操が死去した時に、

曹丕の本拠地は鄴であった。

 

その後漢魏革命の結果、洛陽を都とする。

曹丕は鄴から直臣たちを引き連れて移るが、

後漢の最後の帝都であった許昌にいる漢の直臣も呼ぶよという意味である。

 

後漢までは、二千石以上の者が最上位という序列があったが、

問題なければこれを元に九品官人法を実施する。

 

だから、漢魏革命を支持してほしいという

メッセージもあった。

 

●九品官人法の意義②皇帝権強化のため

 

もう一つ理由がある。

 

後漢と異なり、曹魏は皇帝の親政を基本とした。

 

曹魏の前王朝、後漢は郷挙里選を官吏採用法としていた。

これは,

各地の有力名族(豪族とも言う)らを中心とした

長老たちが有力な人材を推薦する。

 

孝道に乗っているか、

清廉な人物であるかどうか。

 

しかしこれは主観、定性的なものである。

 

長老たちの主観であり、

結局は自家の子弟が有力になる。

 

推薦されてきた人材を、

皇帝は採用するほかない。

 

ということで、現実は、

各有力名族が人事権を握っていた。

 

これを曹魏においては、

変えようとしたのである。

 

●九品官人法は二つの制度である。

 

すなわち、官吏の採用を皇帝直轄としたものが、

九品官人法、別名九品中正法である。

 

これは、

二つの制度のことを指している。

 

①まず官吏を九品という序列で選別する。

 

これは実は日本でも馴染みのあるもので、

正一位とか従三位とかいう、

この「一位」「三位」のことである。

 

中国では南北朝時代に「品」が「位」に名前が変わった。

それが日本に伝わった。

 

②もう一つの制度は、中正官という者の運用である。

 

これは皇帝直轄の官吏として、

各地に採用活動を行う官僚のことである。

 

中正官は皇帝の意向に沿って、

採用活動を行う。

 

そのため、この中正官をマネジメントする

吏部という部門の力は

曹魏時代には非常に強かった。

 

 

●曹魏の苛烈な政治=元来の九品官人法

 

 

この三国志の魏は、歴史上「曹魏」と呼ばれる。

中国史上、魏という国はたくさんあるので、

区別するためにこう呼ばれる。

曹操の子孫たちが作った王朝のため、氏をとってそう呼ばれるのである。

 

この曹魏はよく苛烈な政治を行ったと呼ばれる。

しかし、現代の感覚でいうと、それは感じない。

曹魏は結局のところ三国志の勝利者であり、

民が厳しく扱われたという話も特段聞かない。

 

これは何を指すのか。

 

これは、曹魏における九品官人法を指しているのだ。

 

曹魏における皇帝親政による九品官人法の運用は、

非常に厳しい評価制度であった。

これにより、貴族名族もなく、ある意味「公正」に

評価した。完全実力主義の制度であった。

魏の建国元勲であり、後の最高権力者である、

司馬懿すら怖れる制度であった。

 

非常に窮屈で、厳しいものであった。

 

そのため、特に

魏の文帝曹丕、明帝曹叡の時代は

苛酷な政治と後に言われる。

 

彼ら二人の名君が世を去ると、

幼帝が続くようになる。

 

その中で力を持つようになったのが、

司馬懿である。

すなわち、西晋・東晋の祖である。

 

彼は、

魏の元勲、元老であったが、

晩年皇帝の取り巻きと対立した。

その領袖が曹爽である。

 

皇帝が幼ければ、

国家運営のために誰かがその集権された

皇帝権を振るうしかない。

そのフラッグの取り合いが、

曹爽と司馬懿の争いである。

宗族対貴族名族の争いとも言える。

 

曹爽は皇帝権を握って、

司馬懿に対抗した。

 

一方、司馬懿は自身も代表的名族であるが、

そのほかの名族と手を組み、

最終的に曹爽らを排除した。

 

これが249年正始政変である。

 

●司馬懿による改正九品官人法が貴族名族勢力を伸張させる。

 

この事実上の司馬懿クーデターで、

最高権力者となった司馬懿は、

九品中正法を改正している。 

 

中正官の上に、州大中正という、

州牧の管理下のポジションを作り、

皇帝権から中正官を切り離したのである。

 

皇帝、および吏部(採用を司る)、中正官は

皇帝権の強化を実現したが、

この組織を利用して曹爽らは司馬懿に対立した。

 

司馬懿は、この対立軸の仕組みを破壊したのである。

 

目的は皇帝集権を弱めること、自身の協力者の貴族名族の力を

強めることである。

 

 

司馬懿、その後の司馬師、司馬昭が力を

握るのに寄与したが、

皇帝権は低下した。

 

また、この州大中正というのは

司馬懿を支持した各地の名族たちに

牛耳られることになり、

結局は、中央集権をストップさせ、

各名族の勢力を伸張させることになった。

 

しかし、

魏晋革命が成ると、

今度は、司馬懿の孫である司馬炎が皇帝となる。

 

しかし、制度上、

九品中正法は各地の名族に寄与するもので、

皇帝司馬炎の力を削ぐものであった。

 

 

●改正九品中正法は皇帝権を抑制する。

 

こうして、九品中正法が弊害があると

言われる時代が始まる。

 

曹丕が採用した時には

皇帝集権に寄与したが、

司馬懿の改変が後に皇帝権を低下させ、

名族たちの勢力を強めるのを助長してしまうのだ。

 

なお、この九品中正法が取って代わられるのが

科挙である。

隋の楊堅がこれを科挙に替えて、皇帝直轄の採用に戻すのである。

 

話を戻すと、

黄巾の乱以来の中華統一を果たした

西晋武帝司馬炎は、

今でこそ評価は高くないが、

当時としては快挙を成し遂げた皇帝だった。

 

皇帝らしくありたい。

 

結局、

皇帝である自身に権限を集中させたい。

 

ということで、

各名族の力を抑制したいという思いが強くなる。

 

この想いに応えたのが、

衛瓘(エイカン)である。

 

●衛瓘が始めて考案した土断は皇帝権強化が目的

 

 

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※衛瓘とは・・・

衛瓘とは司馬昭による蜀漢討伐の監軍であり、

鍾会反乱を収拾し、鄧艾も抹殺した人物である。

皇帝司馬炎の信頼は篤かった。

後に八王の乱のファーストステージ、

賈后による楊氏排撃後、政権を司馬亮とともに任されるも、

賈后の意に沿わなかったため、すぐに抹殺される。

 

衛瓘の意図は、各名族らが私有した民を

土地を含めて皇帝直轄にするというものである。

 

ここで重要なのは、

衛瓘が考案したのは、皇帝権強化のためである。

 

皇帝権強化は、曹魏の思想であり、

それは法家思想につながるというものである。

 

東晋期における、

土断(土断法)は流民の戸籍収容の観点から、論じられる。

 

だが、本来の意義は、

皇帝権強化、皇帝集権である。

 

曹魏の皇帝たちの皇帝権を抑制し、

西晋司馬氏は魏晋革命を成し遂げた。

だがその後、自身のために

行った皇帝権抑制が、今度は

皇帝になった司馬氏自身の権力を抑制する。

 

こうした皮肉な構造になっていた。

 

東晋においてもそれは変わらない。

 

むしろ、ただの亡命者に過ぎない、

西晋司馬氏の残党は、

東晋期において江南に何の基盤を持たなかった。

 

より一層皇帝権の脆弱さが

問題となってくるというわけである。

 

この問題に着手したのが、

当時の法家の大家、庾亮である。

 

庾亮を筆頭に

庾亮、庾冰、庾翼の庾氏三兄弟は、

全員法家である

 

そして彼らの死後、事実上この庾氏勢力を

受け継いだ桓温もまた、

法家なのである。

 

●土断(土断法)の本当の目的

 

土断は、

皇帝権強化のためであり、

一方で貴族名族の権限抑制が目的なのである。

 

流民は当時のわかりやすい社会問題で、

これを名目として、

皇帝権を強化する。

 

国家としての目的、

東晋が中華統一王朝という実態を回復する、

を実現するためのものである。

 

 

この目的のもと、

土断は行われる。

 

 

桓温は364年に最大の土断、戊戌土断を実施する。

 

洛陽の回復と絶大な名声を背景に、

貴族名族の権限を抑制し、

東晋=東晋皇帝の権限を強化。

これはつまり国力の増強と言い換えてもいい。

 

皇帝の信任のもと、

華北回復のための北伐を桓温は狙う。

 

土断という政策の位置付けからしても、

誰が東晋という国を考えているか

明らかである。

 

たとえ、桓温が自身の名声のためだったとしても、

ただ自身の保身のために江南で汲々としているだけの

貴族名族よりは、国家に尽くしているはずだ。

 

桓温が悪名を被る理由はどこにもないのだが。