歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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土断・僑州郡県・流民の三つが華やかな六朝文化を産む。

 

土断という問題が元々ある中、

流民が発生、その対処策として僑州郡県が実施。

根本の部分には土断を実施し切れず、

帰属名族たちの力が温存、増強される。

 

このため、華やかな六朝文化、六朝時代が

生まれるのである。

 

※六朝とは・・・

三国呉以降に江南を基盤とした王朝のことを指す。

呉・東晋・劉宋・斉・梁・陳の六つの王朝のこと。

貴族文化が花開き、のちの中華文明に多大な影響を及ぼした。

 

 

●土断という言葉の由来。

 

土をもって断ずる、

実際に住んでいるところを根拠に戸籍とする、

ということ。

平たくいうと、土地で判断ということである。

 

流民は元々住んでいた土地があった。

 

華北の異民族のせいで、

江南に逃げてきた民は、

元々の居住地で区分けされた。

 

華北から逃げたということ自体が

一時的という考え方だったからだ。

 

これは、

東晋は中華の正統王朝であり、

華北はただ異民族が跋扈してしまっている、

これは非常事態であり、

すぐに東晋が華北を統治するという

正常な状態に戻るという考え方を示している。

 

実際に、その当時の人たちが

どう思っていたかはここでは関係がない。

 

華北異民族跋扈、

それは非常事態、

という思想なのである。

 

それが東晋の間はずっと続く。

その後の南朝も東晋の後継王朝なので、

同じ立場だが、少なくとも東晋自身は、

そうでも言わないと自身の立場がないのである。

 

華北に異民族を侵入させてしまったのは、

西晋のせいなのだから。

 

●流民を収容した「僑郡」の発端について

 

 

僑郡の始まりは意外なことに、

慕容廆である。

 

●慕容廆・・・西晋に従順であった。

 

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それは永嘉の乱の最中のことである。

313年に、

中華の混乱に乗じて、

高句麗が百済とともに楽浪郡(今の平壌周辺)を攻撃。

 

楽浪郡の守将は抗戦するも、

耐えられず遼西に撤退する。

慕容廆のもとに身を寄せる。

 

慕容廆は、遼西に

楽浪郡を仮置きする、

 

これが僑郡の始まりである。

 

●「永嘉南渡」・・・東晋流民収容の始まり。

 

大量に南遷したのは、

316年前後。

 

 

幽州、河北、山東、河南の人が、

淮河、長江を南に渡る。

 

その数90万人を超えると言われる。

これは華北の人口の8分の1。

(華北の元々の人口は、約720万人ということになる。)

 

そして、南方の人口の6分の1になると言われる、

民族大移動である。

南方が450万人の人口のところに、

90万人の流民が到来したということだ。

 

 ●参考:三国志の時代からすれば大分人口は増えた。

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大した私財も持っておらず、

当然南方で生きる術もない人間たちである。

つまり難民である。

 

 これら流民たちを収容するために、

僑州、僑郡、僑県ができる。

 

この流民が最も多く集まったのは、

晋陵郡である。

 

いまの常州、丹陽、鎮江にあたる。

もともと東海王司馬越の食邑である。

 

ここは帝都建康の首都圏とも言える場所である。

建康の周囲を囲っている。

重要なエリアである。

 

そして、北府軍を支える人民でもあった。

 

そのため、何度も土断をしても、

ここだけは例外とされた。

 

劉裕などは、

土断を徹底的に行ったが、

北府軍の領袖だったので、

ここ晋陵郡だけは外した。

 

●僑州郡県は貴族名族勢力を伸張させる。

 

九品官人法(九品中正法)で運用されている、

中正官はこの僑州県郡にも派遣された。

 

中正官が派遣されたということは、

官吏の採用があったのである。

 

税金も納めず、労役もしない流民であるにも関わらず、

流民の中から官吏を中央に派遣することができた。

 

税金すら払わないのに、国政に関与できるということは

とてつもない特権である。

 

例えば、 

アメリカ独立戦争においては、

アメリカは植民地なので、

イギリスの議会に議員を送る資格がなかった。

これが不満の発端となり、さまざまな問題が起きて、

独立戦争となる。

 

しかし、東晋の僑州郡県は逆の状況が起きている。

北方から来た流民たちの僑州郡県は、

納税せず、賦役もしない、にもかかわらず

官吏は採用される。

 

僑州郡県以外の元来の江南の州郡県は、

当然納税も賦役もするので、

これは僑州郡県、北来の流民を優遇し、

江南の民を差別していることになる。

 

九品中正法は、貴族名族たちが採用を左右するので、

結局は北来の貴族名族たちが、

僑州郡県を抱えて特権を享受するという構図が生まれる。

 

本来九品中正法において、

官吏の採用に当たる中正官は、

皇帝直属であった。

 

しかし、司馬懿が皇帝と中正官の間に、

州大中正という官僚を創設する。

 

これがじきに、

貴族名族たちが牛耳ることになり、

貴族名族たちが人事権を握ることになった。

 

つまり、

北来の貴族たちが、

東晋政府に税も役務も提供せずに、

自身の私服を肥やし、

そして、自身の息のかかった人材を、

どんどん建康政府に送り込むという、

状況が出来上がってしまったのである。

 

こうして、

皇帝権の弱い東晋が続く。

 

一方で、

貴族名族の力が強いので、

華やかな六朝文化というものが

花咲くのである。

 

●参考図書:

 

中国史〈2〉―三国~唐 (世界歴史大系)

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