歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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幽州の歴史⑤漢化した異民族国家隋だからこそ高句麗に拘る

 

幽州・遼東を支配した鮮卑慕容部。

それが皇帝となる。

 

幽州・遼東が皇帝の出身地となってしまった。

 

皇帝、鮮卑、遼東・幽州というこの三つのキーワードが重要だ。

 

これらが、隋唐のアイデンティティを刺激するのである。



隋の煬帝や唐の太宗、高宗が

高句麗遠征にこだわらせてしまうのである。 

 

●前燕が遼東を中華にする。

 

まず、隋唐より前までは、

特にこの遼東や高句麗にこだわる必要がなかった。

 

ここを支配する勢力が自分自身が異民族だという認識があったので、

遼東・高句麗は王朝の存在意義という名の政治課題には成っていなかった。

 

しかし前燕が河北を取って皇帝になってから

変化する。

 

遼東を中華にして「しまった」のだ。

 

前燕は約20年で前秦苻堅により滅亡。

 

苻堅が淝水の戦いで敗れると、

前燕宗族の生き残り、

慕容垂が後燕を建国。

これは前燕の復興とも見れる。

 

慕容垂の死後、

後燕は鮮卑北魏に滅亡させられ、

北魏は勢力伸長。

 

北魏は

これまでの後趙や前秦などの華北異民族王朝が

行ってきた胡漢融合を更に昇華させて、

北魏自身が漢化することを望む。

 

しかし、それは失敗。

 

●幽州、遼東に関心のない北斉、北周

 

結果として、

北斉と北周に分裂。

両者とも鮮卑という異民族色を強く持つ王朝であった。

北魏の上位層は漢化するなか、

彼らは漢化の波から取り残された人たちであった。

 

北魏末期に漢へ振り切ったことに対する揺り戻しである。

ここまでは遼東や高句麗は政治問題化しない。

だから幽州もピックアップされない。

 

北斉や北周にとって、

どうでもいいのである。

 

彼ら北斉・北周は上記のように、漢化から取り残された人たちで、

心は完全に異民族だったからである。

 

北斉の皇帝は北魏に倣って漢民族のふりをしたが、

特段その実際の出自が異民族であることを隠しているようにも見えない。

 

北周に至っては、

漢化政策を否定し、異民族へ回帰する。

 

両者とも異民族であることをそれほど隠しているわけでもない。

 

完全漢化に踏み切った北魏に対するアンチテーゼとしての王朝なので。

こうなる。

 

さらに鮮卑といっても拓跋氏系列で、

遼東の鮮卑慕容部なわけでもない。

 

この時点で遼東や高句麗などはどうでもよかった。

 

●隋の楊氏、異民族なのに漢人名族の弘農楊氏に成りかわる。

 

中華の歴史から一旦遠ざかる、

遼東や高句麗。

 

これに動きが出るのが

隋である。

 

北周は北斉を滅ぼしたが、すぐに北周は隋の楊堅に

禅譲する事態となる。

 

隋は、

北方異民族も

江南漢民族をも全て包含するために、

隋室自身も北魏にならい、漢化することに決めた。

 

隋皇帝は、

漢民族の名族、

弘農楊氏の末裔とする。

 

末裔と称するという言い方が実際には正しい。

 

三国志が好きな人であれば、

誰もが知っている、

三国志の楊修(鶏肋のエピソード)も弘農楊氏である。

 

後漢においては、

袁紹出身の汝南袁氏に次ぐ名門中の名門。

汝南袁氏の次に、

三公を輩出した名族である。

 

特にその祖楊震は、
孝に勤め、50歳にしてようやく仕官、

官は司徒(後漢期の首相)にまで昇る。

 

最後は宦官の讒言のために自決する。

 

宦官から再三便宜を図るように言われていたが、

常に拒否。

それが原因で宦官に妬まれ、讒言された結果の自決であった。

 

宦官にも与しなかった清廉な政治家である。

 

この楊震は

のちの党錮の禁で宦官と対立する清流派官僚や貴族名族たちが

理想とする人物の一人となる。

 

この漢民族を象徴する名族・弘農楊氏を、

異民族である楊堅が乗っ取ったのである。

 

楊堅の出自は北周の十六将軍の家で、

異民族の名門なのにである。

それでも漢民族に憧れたのである。

 

それほどに中華文明は異民族など周囲の勢力を

魅了する何かがあったのである。

 

●漢化したい隋、だからコンプレックスがある。

 

楊堅は隋が中華を統一するに当たり、

自身は漢民族の中華皇帝として君臨することを選んだ。

 

異民族なのにである。

ここに、楊堅のコンプレックスが見え隠れする。

 

異民族なのに、漢民族の皇帝だとする楊堅。

嘘である。

絶対にそうはなれない。異民族だからである。

異民族は皇帝にはなれない。

漢民族には異民族は皇帝になれないという

根強い概念がある。

 

自身の出自を隠してでも漢人として皇帝になる楊堅。

 

この虚偽は、自分自身の非正統性を覆い隠すことと同義である。

ここにコンプレックスが生まれる。

 

だからこそ、

楊堅、および隋は中華正統王朝であることにこだわるのである。

 

鮮卑慕容部の前燕が服属させた高句麗。

たかが知れた前燕すら従属させることができた高句麗を、

中華統一をした隋ができないというのでは面子が立たないのである。

 

こうして高句麗が政治問題化するのである。

 

●参考図書:

 

中国歴史地図集 (1955年) (現代国民基本知識叢書〈第3輯〉)

中国歴史地図集 (1955年) (現代国民基本知識叢書〈第3輯〉)

 

 

 

世界史年表・地図(2018年版)

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