前回まで理想の皇帝が社会の変容によって
価値を失っていく経緯について
述べた。
- ●皇帝司馬炎の裏切り
- ●司馬炎が歴史的に皇帝と諸侯(貴族名族)の関係を破綻させた。
- ●皇帝は有名無実であって欲しい、貴族名族の時代
- ●意外と復古主義な庾氏三兄弟と桓温
- ●一介の軍人と貴族名族が手を結ぶ。
- ●異民族のワンマンリーダーが、中華皇帝にすり替わる。
社会が混乱すると、強いリーダーシップのある皇帝が再度求められたが、
しかし変容した社会はもう受容できなくなっていた。
ソフトな皇帝を求めたのだ。
しかし、
皇帝司馬炎は強いリーダーシップを持とうとする。
時代に逆行しようとした。
●皇帝司馬炎の裏切り
司馬炎は、諸侯(貴族名族)の代表として
皇帝に即位。
しかし、皇帝になったら、司馬炎も
太古のように一天万乗の皇帝になりたい。
諸侯の代表格としての皇帝ではなく、
前漢武帝のようなワンマンの皇帝になりたいと考える。
その現れが衛瓘が建言する土断である。
これは、諸侯の力を抑制するものだった。
●司馬炎が歴史的に皇帝と諸侯(貴族名族)の関係を破綻させた。
司馬炎の考えは自己中心的で勝手なものだ。
司馬炎ら河内司馬氏は貴族名族であり、
その代表として皇帝になった。
しかし、司馬炎は何かの勘違いをしてなのか、
それとも、皇帝にしてもらった時の協力関係は
唯一人の皇帝になったからには知らないと思ったのか。
司馬炎は自分自身が皇帝の中でも特別な存在だと
思い込みたい傾向がある。
いずれにせよ、
私は、
この時点で、皇帝と諸侯(貴族・名族)の信頼関係は
歴史的に破綻したと考えている。
八王の乱においても、
出てくる諸侯(貴族・名族)は非常に少なく、
かつ失礼な言い方だが小者が多い。
諸侯(貴族名族)が皇帝を見捨てたのである。
●皇帝は有名無実であって欲しい、貴族名族の時代
見捨てられた西晋は破綻。
逃げられる者は江南に逃亡。
江南の事実上の指導者は、
王敦であった。
しかし、中華文明における国家は皇帝がいないと成り立たない。
西晋という枠組みでまとまる方が手っ取り早いわけで、
それで司馬睿を皇帝にした。
皇帝を据えて国家という体裁を整えた。
その上で
王敦はまずは江南各地の掌握に動く。
王敦が江南から荊州にかけて掌握を進める中、
司馬睿は皇帝としての実態がないことに不満を持つようになる。
これが歴史上「王敦の乱」と言うが、
司馬睿は王敦に全権を握られた中で死ぬので、
これは王敦側の乱と言えるのかどうか。
事実上王敦が皇帝を屈服させたのであるから、
事変としか言えないのである。
この後、王敦は一族の王導の裏切りで憤死。
こうして、
弱々しい中華皇帝のもと、
諸侯(貴族名族)が好き勝手にやるという
流れができる。
信頼も必要性もなくなった皇帝は、
必要がなくなった。
ただし、中華国家としての枠組みにはどうしても
皇帝が必要であった。
そのため皇帝という制度だけを残す。
皇帝はいるだけで、何もしなくていい。
これが諸侯(貴族名属)の本音であった。
●意外と復古主義な庾氏三兄弟と桓温
しかし、
いやいやそれはおかしいという人たちが
当然出てくる。
本来の中華皇帝とはそういうものではない、
皇帝のもとにみんなでまとまって
華北を回復し元々の中華王朝に立ちもどろう。
これが、
庾氏三兄弟と桓温である。
彼らは皇帝の姻族であり、法家である。
皇帝の原理原則上の立場を守ろうとするのである。
そう考えると、彼らは案外と復古主義的でもあるのだ。
トップダウン型の皇帝を復活させようとするからである。
法家は皇帝権強化、中央集権型の思想である。
このように考えるのは当然であるのだが、
社会が発展していくと、これは時代に逆行している部分もある。
皇帝の押し付けがましい強制力は社会の発展を妨げかねない。
歴史上では改革者に見える彼らも視点を変えると、
歴史の足を引っ張っている。
●一介の軍人と貴族名族が手を結ぶ。
皇帝権を必要としない、諸侯(貴族名族)。
本来の皇帝のあり方に立ち戻り、
中華を回復しようとする、皇帝の姻族。
この二つの勢力対立こそが東晋の歴史と言える。
この結論は、劉裕という軍人皇帝であった。
東晋は結局、
宗族(司馬道子)、貴族名族(謝氏、王氏ら)、皇帝の姻族(桓玄)の
争いになるが、
この勝敗を左右したのは北府軍であった。
北府軍の意向が勢力争いを左右する。
こうして力をつけていく。
これは日本史において、
平安時代後期、天皇と藤原氏が争う中、
源氏平氏が力をつけていったのと似ている。
劉裕は北府軍の代表としてのし上がり、
皇帝になりますが、貴族名族は好き勝手にやる。
●異民族のワンマンリーダーが、中華皇帝にすり替わる。
貴族名族が好き勝手にやれた時代が崩壊するのは、
梁における侯景の乱、
その後宇文泰が後梁を成立させた時である。
貴族名族の時代は異民族宇文泰により終焉する。
隋以降の皇帝は、
異民族の単于などが中華化したものである。
異民族のリーダーが皇帝という名前を借りたに過ぎない。
なぜなら、本来の漢民族の皇帝というのは
上記のように名目であってほしい存在へと文明進化の過程で
変容していたからである。
しかし異民族は基本的に騎馬国家である。
つまり軍事国家なので、
ひとりの絶対的な統率者が必要となる。
親分である。
親分がいないと争いあってまとまらない。
中華ではその存在に当たるのがただ皇帝だっただけである。
なので隋唐以降にはまた中央集権化する。
ただ中華化するとまた分権化する。
中華は歴史的に商業志向であり、
商業には平和が必須。
商業が活発になると、
文明が発展する。
社会の階層が複層化する。
皇帝以下の各階層が力を持つ。
皇帝のトップダウンが邪魔になり、
各階層が力を持って皇帝がやっぱり有名無実化していくのだ。
皇帝がこうして有名無実化するからこそ、
中華2000年の繁栄があるのである。
皇帝が建前化するというのは、
中華文明において宿命だったのかもしれない。
●参考図書:
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