歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

南朝皇帝はただのガードマン。快楽主義の貴族名族を守るために。

420年に東晋は劉裕の手により滅亡する。

 

その後100年強を南朝と呼ぶ。

 

 

この時代もまた見えにくい。

が、一言でこの時代を表すと、

軍人皇帝と貴族名族がそれぞれの領域を

荒らさないという密約を結んだ時代である。

 

 

●軍人皇帝―貴族名族の密約こそが六朝文化を爛熟させる。

 

歴史はミクロとマクロを交互に見ていくと

より理解が深まると私は考えている。

 

細部に入り込む前にまず大局的に見てみたい。

 

そう見てみると、一つの結論が現れる。

 

劉宋という王朝は、

軍人皇帝劉裕と貴族名族の妥協点である。

 

常に風前の灯だった東晋帝室。

必要があるのかないのか、ただ皇帝としての存在だけが必要だった。

存在だけで実権は必要がない。

 

貴族名族は皇帝を支えて王朝を形作り、

自身の現状維持を図る。

 

これが変わってくるのは、

華北の動静の変化だ。


慕容垂の後燕も大きな脅威であるが、

その後に出現した北魏拓跋氏も大きい。

 

再度苻堅のように大挙して江南に押し寄せてきてしまっては、

ひとたまりもない。

 

漢民族は、基本的に文を尊び、武を卑しむ。

貴族名族は自分で武器を持って戦いたくはないのだ。

 

しかし、自衛は大事だ。

国防を誰が担うか。これが問題だ。

 

・国防の担い手を探す貴族名族たち

 

大挙して押し寄せてきたときに戦う者は誰か。

貴族名族たちのガードマンは誰がいいのか。

皇帝はただの飾り。宗族に現場での実行力はない。

 

貴族名族のなかにも

謝安ほど気概のある人間ももういない。

 

本当は、

貴族名族の言うことを聞くという条件を満たした、

桓温のような存在が望ましい。

 

しかし桓温の後継者桓玄は独立心旺盛である。

 貴族名族たちの言いなりになる人物ではない。

 

貴族名族たちの言うことを聞くような、

自分たちに変わって戦ってくれるような人物。

 

誰かいないか。

 

・劉裕と貴族名族の結託

 

それが北府軍の幹部、劉裕だった。

 

劉裕は貧しい家の出身で、

人脈がない。

 

この血統主義の東晋ではこれ以上上に行けるイメージを持つのは大変困難である。

 

タイミングよく、

劉裕の上司劉牢之は桓玄に同調する可能性が高い。

 

そうなると、劉裕を北府軍の事実上の最高司令官にしてやるぞとして、

貴族名族サイドに抱き込めば、

軍事力を手に入れることができる。

桓玄への対抗にもなり得る。

 

●南朝を事実上支配するのは、皇帝になった血筋よりも上位に立つ貴族名族。

 

この劉裕―貴族名族の密約の根拠としてはまず

血統の序列を上げたい。

 

東晋においては、

貴族名族たちの家の序列があった。

 

日本でも、公家において、

摂関家、清華家等々の序列があるが、

あのようなものだ。

 

最上位は、

瑯琊王氏、陳郡謝氏である。

 

その下の二番目に、

皇帝を輩出した、今後皇帝を輩出する、

宋の劉氏、梁の蕭氏がランキングするのだ。

 

現代の我々の観点からすれば、

皇帝を輩出した方が血統として上というのが普通だろう。

 

しかし、南朝ではそうなっていない。

 

南朝において、

皇帝などその程度の存在なのである。

 

それよりも、

貴族名族の栄華を創った王導の瑯琊王氏、

貴族名族の栄華を取り戻した謝安の陳郡謝氏の方が、

称賛される血統なのである。

 

何故なら、南朝は貴族名族社会であって、

事実上皇帝の国ではないからである。

 

彼ら王氏・謝氏両族こそ貴族名族社会を創った。

彼らは、

南朝貴族名族社会の祖と言える。

 

だから貴族という存在が続く限り、

彼らは賞賛され続けるのである。

 

しかし話は立ち戻る。

彼らの栄華を保証するガードマンが必要だ。

 

平安時代の天皇、藤原家に対する源平のような用心棒が必要である。

 

それが南朝の軍人皇帝なのである。

 

●用心棒・ガードマンの南朝軍人皇帝とディオニュソス的貴族名族

 

名ばかりの皇帝だったが、名誉はある。

そんな皇帝という称号を軍人にくれてやる。

 

皇帝になるバックアップを貴族名族がするのだ。

 

こうして、

劉裕以降軍事は皇帝が担い、

実権は貴族名族が握る。

 

貴族名族は快楽主義にどっぷり浸かる。

貴族は歩くことすらしなかったという。

女性のような外見の男性貴族も出現した。

 

怠惰と言えば怠惰だ。

虚無でもある。

 

しかし一方で、

徳を修め、完成した人間は快楽に耽る権利がある

という思想もあるのが事実だ。

 

ディオニュソス的思想がこれだ。

西晋武帝司馬炎、唐玄宗は中華世界を掌握したら、

まさにこの思想にどっぷり浸かっている。

 

www.rekishinoshinzui.com

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一概に南朝貴族だけを批判することもできない。

 

また、

文化というのは富裕層が無駄なことをたくさんしないと

出来上がってこないものである。

 

この軍人皇帝―貴族名族の密約が、

中華文明、中華文化を爛熟させた。

 

北朝は、この爛熟した南朝の文化、

総称して六朝文化と呼ぶが、これに憧れる。

 

煬帝はこれに魅せられて、

広陵に度々行幸するということになるのだ。

 

貴族名族の生活の面倒を見てくれれば、

皇帝は正直なところ誰でも良かった。

 

王朝は宋であろうが、斉であろうが、梁であろうが、

どうでもいい。

 

この貴族名族全盛の時代は、

420年の東晋滅亡から、

約130年間続く。

 

●548年侯景の乱が南朝文化を破滅させるが、文化は残る。

 

この時代が終わるのが

548年侯景の乱である。

 

梁武帝は貴族名族たちを守れなかった。

 

貴族名族たちは荊州の江陵に逃れたが、

西魏、後に北周の事実上の開祖となる鮮卑の宇文泰に襲われ、

長安に拉致される。

 

これが貴族名族栄華の時代の終焉である。

 

爛熟した文化はここで一旦終焉を迎えるが、

この文化が基礎となって隋唐の文化へと変貌していくのである。


劉宋から梁までは、

一般的に知られている程度の歴史だけ眺めると

正直面白くない。

 

本来、面白くない歴史というのはない。

面白くないと感じる歴史には

本当の真実が隠されている。

 

その隠された真実が、

軍人皇帝―貴族名族の密約である。

この貴族名族文化の爛熟に寄与したこの

密約があると念頭に置いて、

劉宋以降の130年を見ていくと、

やはり歴史は面白くなる。

 

●参考図書:

 

中国史〈2〉―三国~唐 (世界歴史大系)

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