歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

徙民政策①目的と始まった背景について。

 

徙民政策。

徙民、しみんと読む。

民を徙す(うつす)、移動させるという意味である。

 

移動させるというより、実態は強制移住と行った方が正しい。

 

この徙民政策は魏晋南北朝において、国家の存亡に関わる

最重要政策の一つである。

 

我々日本人にはこういった政策への馴染みはあまり無いが、

中華においては、頻繁に行われていた。

 

●徙民政策の目的

 

その目的について。

 

三崎義章氏「五胡十六国」から引用する。

 

五胡十六国―中国史上の民族大移動 (東方選書)

五胡十六国―中国史上の民族大移動 (東方選書)

 

 

目的は四つである。

 

1、労働力の確保などの経済的目的。

 

異民族は牧畜が生業であり、農業ができない。

漢民族を適切に配置して農耕を行わせる必要がある。

手工業も同様である。

匈奴は漢を攻めては漢民族を拉致。

そしてバイカル湖に近いエリアで、

農耕や手工業をさせていた。

匈奴以来異民族はこうして自分たちができない、

農業・手工業を運営していたのだ。

 

漢民族が騎兵を欲するなら、異民族は農耕民・手工業民が必要なのである。

 

またさらに、兵士の確保という点からも

徙民政策は有用である。

 

 

 

2、敵対勢力を滅ぼしたのち、その主要部分を管理統制する目的。

 

原住地から引き離して、自身の本拠側に置く。

 

敵対勢力の基盤から引き離し、

その勢力の自立性を破壊する意図である。

 

3、国内の反乱勢力を鎮圧したのち、再度の反乱を防止する目的。

 

2に近い意図である。根こそぎ敵対勢力を消滅させるものである。

異民族らしい徹底した者である。

 

 

4、国内の統治、軍事力を強化する目的信頼できる人物を重要地域に部族ごと徙すなど。

 

これは、1から3の政策を受けてである。

1から3を行うと、

民の空白地が出来る。

もしくは勢力の空白地が出来る。

 

そこが地政学的、商業政策的に重要な土地であるのであれば、

そこに時の支配者の信頼の置けるものに

その地を授ける。

授けられた者は、部族ごとそこに移住するのだ。

万単位の人間がそこに大量移住する。

 

地理的な外面は相変わらずだが、

民という中身が大きく変わるのである。

 

これも徙民政策の一つの有用なポイントである。

 

 

●徙民政策は曹操・曹丕父子が始めた。

 

国家としての徙民政策は魏の曹丕が始まりである。

曹操の時点でも必要に迫られて

ある程度行っていたので、

曹操、曹丕父子で確立させた政策の一つと言える。

 

余談だが、ここでも曹操・曹丕は政策上の重要人物として

登場する。一般的には三国志の悪役でしかない、

曹操・曹丕父子だが、相当な英傑であることを強調したい。

 

さて話をもどすと、

徙民政策を実施するようになった背景は、

黄巾の乱以後の争乱で、

人口が大きく減少してしまったことである。

 

 

中華中心部で争乱は起きたので、

皆辺境へと逃げ出してしまった。

 

洛陽や長安といった漢を象徴するような都市は廃墟となってしまった。

 

曹操が争乱を収めるとこれらの都市は復興が必要となる。

復興には人間が必要だ。

瓦礫を片付けるにも、民家を建設するにも、

畑を耕すにも、全て人間が必要である。

そのため、徙民は頻繁に行われていた。

文献に残っていないだけである。

 

●曹丕は中華の領域を決めて、それ以外のエリアから徙民する。

 

曹丕は父曹操が死去し、後継者として立ち、数カ月後に皇帝となる。

皇帝となった曹丕は、

中華のエリアを定める。

 

四方四点の端を定める。

国の端を作ったと言いたいところだが、

曹丕の意図としては、皇帝は自分ただ一人なので、

中華はここまでと決めたというのが正しい。

 

これより外は中華の外、化外の地。

つまり異民族の地とした。

 

漢民族は中華に中にいるべし、

辺境にいる民は異民族に裏切りがちなので、

内地に有難くも移住させるということだ。

こうして、徙民政策が正当化される。

 

 

古来からの中華文明圏から考えても、

呉も蜀も中華の外だったので、

この理屈は成り立つ。

 

秦の恵文王に滅ぼされるまで蜀には立派な文明があった。

呉に至っては、

春秋戦国の楚は周とは全く別物の王朝であるし、

呉王夫差や越王勾践は中華とは別物の勢力である。

 

魏が支配する部分のみが中華で、

呉蜀は異民族エリアである。

 

これが三国時代における魏にとっての、

中華観である。

 

 

●徙民政策の成功により、三国時代の人口競争に曹魏は勝利する。

 

人口は激減していたので、

内地の重要都市に民を配分することは、

争乱後の復興には大事であった。

 

呉も蜀も、人口問題は同様の課題であった。

 

孫権はそのために山越族討伐、台湾遠征などを行う。

蜀は、諸葛亮による南征が有名だ。

 

機械がない時代には、

民は貴重な資源なのである。

 

40年近くに渡る三国時代。

魏を継いだ晋が三国時代の勝者となるが、

これは人口増の成果でもあった。

 

内地が大きく、人口も多い、魏晋は複利で国力が回復する。

二次関数のような逆放物線上に大きく力をつけていく。

ベースの人口が多いので、魏晋と呉蜀の差は広がって行くばかりである。

時間が経てば経つほど、呉蜀は不利だった。

 

曹魏の積極的な徙民政策が功を奏し、

曹魏の後継王朝西晋が

三国を制すのである。

 

●参考図書:

 

魏晋南北朝 (講談社学術文庫)

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