歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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桓玄の大失敗 東晋末期③

 

東晋中央は、

司馬道子が専権を振るい、

不安定になる中、

荊州は安定していた。

 

●桓温の遺産:

 

345年以来50年以上桓温の王国と言って良かった荊州は

その統治の見事さを象徴するかのごとく、

どっしりとした安定感を見せる。

父桓温が死んだ時4歳だった桓玄も、

399年の孫恩の乱の際には30歳となっていた。

 

父桓温も30歳前後で世に名を知られ、

東晋皇帝明帝の婿となっていた。

 

荊州で逼塞していた桓玄もちょうど世に出たい頃合いである。

 

そこに揚州で孫恩の乱となれば、

東に目を向けないわけがない。

桓玄は荊州から長江を伝って河を降り、

建康へ速攻をかける。

これはまさに電撃戦と言っていい。

父桓温以来の伝統である。

 

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建康を制圧した桓玄は司馬道子を粛清。

権力を握る。

●桓玄、致命的な間違いを犯す。

最高権力者となった桓玄。

しかし、彼は中華の歴史を知らなかった。

致命的な間違いを犯す。

さっさと皇位を簒奪してしまったのだ。


桓温、桓沖以来の高い声望を背景に

権力を握る。

宗族の司馬道子を粛清するに足る資格があると

輿論が認めたのである。

当然と言えば当然であった。


桓温は東晋の希望である。

常に華北の異民族からいじめられ続けてきた東晋に、

希望の光をもたらしたのが

桓温であった。

 

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桓温は間違いなく庶民視点の政治をしていた。

その子桓玄が支持を得ないわけがなかった。

桓玄は曹操・曹丕の事例にならって、

粛々と時間をかけて徳を積めばよかった。

父桓温は曹操に模して漢晋春秋で批判もされていた。

逆を返せば、父桓温は曹操を継ぐほどの英傑だったのだから、

それを継げばよかったのだ。

まだ30代の桓玄。じっくり曹操・曹丕のように、

熟柿が落ちるのを待つがごとく、

事実上国を治めているのは桓玄で、

桓玄が皇帝になるのがいいと思わせればよかった。本来は。

 

●待てなかった桓玄

 

しかし、桓玄は待てなかった。

すぐに禅譲をしてしまうのである。

理由の一つは若さゆえか。

理由の二つ目は、

既に東晋皇帝に実権がなくなってから、

80年近い。

明帝の崩御の後、主体的にリーダーシップをとった

東晋皇帝はいない。

桓玄も貴族名族たちと同様、

皇帝には有名無実であってほしいと思っていただろう。

そして、事実有名無実の皇帝を軽んじた。

 

司馬道子・司馬元顕父子を粛清して、

すぐの禅譲に踏み切る。

東晋皇帝はたしかに

有名無実だったかもしれない。

しかし、天命が移るという、革命を

軽んじて考えることは、

皇帝、すなわち天命という存在を軽んじることになる。

桓玄自身がこの天命を受けるから

皇帝になるのだが、

革命というもの、天命というものを軽んじるから

手痛いしっぺ返しを食らう。

つまり、

桓玄には天命がない、あれは偽の皇帝だとなるのである。

だから、易姓革命に関して、

長い時間をかけて天命が動く機運を作り、

最後は禅譲という儀式を大々的に行うのである。

桓玄はこの意義を知らなかった。

周囲にそうした助言をするブレーンがいなかったのだ。


桓玄が建てたこの楚という王朝は、

偽物として、劉裕に打倒されることとなる。

 

 

●参考図書:

 

中華の崩壊と拡大(魏晋南北朝)

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