さて、桓温である。
桓温が実態と乖離して悪く書かれる理由。
それは、
後に漢人の貴族名族たちが桓温を嫌ったためである。
●桓温は名実ともに兼ね備えた英傑。
桓温は、王敦と庾氏三兄弟の、両者の側面を兼ね備えている。
桓温は王敦と同じく実行力に長け、
荊州の事実上の支配者、軍閥として力を持っていた。
また、王敦と同じく、桓温は皇帝の婿である。
桓温は明帝の娘を娶っていた。
桓温は王敦と同じく、東晋の執政を代行するにふさわしい条件を兼ね備えていた。
さらに、桓温は庾氏三兄弟とも姻戚である。
桓温にとって庾氏三兄弟は義理の叔父であった。
桓温の妻、明帝の娘の母親は庾氏三兄弟の妹である。
状況から見て、
庾氏三兄弟の長兄、庾亮の方が、
桓温に皇帝の娘、つまり公主を娶わせた可能性が非常に高い。
それは蘇峻の乱のすぐ後のことである。
皇帝の権力が著しく抑制され、
王導ら貴族名族たちが非協力的な中、
当時親の仇討ちで輿論の支持が高かった桓温を自陣営に引き込んだのである。
桓温は庾亮の期待に応える。
庾氏三兄弟は西晋以来の法家の大家である。
●庾氏も桓温も法家だから土断をする。
法家とは、ひとことで言えば、
中央集権を主張する。
中央とはこの時代は皇帝のことである。
この具体策が土断である。
庾氏三兄弟も行っている。
そして北伐も、
いち早く実施したのは、庾氏三兄弟である。
つまり桓温は庾氏三兄弟の事業を引き継いでいるのだ。
この辺りがうやむやにされていることに注意深くならなくてはならない。
土断は貴族名族らの権限を抑制するものである。
土断は北伐完遂のため実施された政策であるので、
貴族名族らを抑制する点では同じである。
だから、桓温は良くは書かれない。
●参考図書;